2017年1月19日木曜日

考えてきたこと

最後に、自分自身について書きます。長くなります。
 
GMになることが決まってからどういうGMであるべきか、どういうチームを作るべきか考えてきました。四年生という素晴らしい学年において(素晴らしい後輩に恵まれたア式で)、僕が、GMとしてどういう働きをすれば、一部昇格できるか、考えてきました。四年生の特徴、僕の特徴、チームとしての理想像。この代が最高学年で、僕がGMである意味。この組み合わせがピタッとはまる答えを見つけようとしてきました。
 
四年生はみんな素晴らしい人間です。面白いことが好きで、巻き込みながらみんなで馬鹿笑いのできる学年です。それは学年で集まっている時だけの話ではありません。後輩との距離の詰め方が上手で、一緒にいて嫌な思いをする後輩はいないと思います。仲が良いということがダイレクトにチーム力につながる事。良い結果は良い関係性から生まれる。この代らしいチーム作りの方向性は間違っていなかったと思います。
それから常識もある人たちです。チームをまとめていく上で本当に大切な「文化」は四年生が体現するものです。細かいところまでルールにせずとも当たり前のことを当たり前にできる人たちだと思っています。僕が手の回らない部分、あるいはまったく知らないところで範を示し、後輩を導いてくれました。感謝しています。
そして何よりチームやサッカーに対して自分の「意思」を一人ひとりが持っていることが最大の特徴だと思います。こうしたい、ああしたほうがいい、こうしてみようといって自ら行動する姿をよく見てきました。自分が関与していないことでも、自分なりに考えて意見を持っている。そんな四年生の力を十二分に活かすことが僕の仕事だと思ってきました。
 
チームの中で自分が一番力になれる(=認められる)ポジションを見つけようとしている。これが僕の特徴です。大きい意味で言えばア式の中で、小さい意味で言えば何人かで話し合ったりする中で。だからこそ人の行動を見てその動機を探ったり、その人がどういう気持ちなのかよく考えたりしています。幼いころからずっと集団の中で自分なりの立ち位置を模索してきた癖だと思います。その反面、自分の意思や主張はあまり強くありません。常に自分を疑い、必要があれば何でも変えてきました。
小泉さんとの出会いは衝撃的でした。二年半前GMになった小泉さんをみてこんなにストイックな人がいるのかと驚いたのを覚えています。そしてここまで自分に厳しく、自分の意思を貫くことが果たしてGMになったときできるだろうかと心底不安になりました。小泉さんはチームを引っ張り続けながら、GMに求められることの最低水準はこれだと僕に示しているようで、GMをやる自信が薄れていった時期でした。
今でも小泉さんになれるかと言われたら、なれませんと答えます。今シーズンの自分の取り組みも小泉さんに到底及ばない部分ばかりだったと思います。しかし、僕は小泉さんになる必要はないし、なってはいけなかったと今では思います。自分なりのGMになればいい、むしろ自分から逃げずに自分を活かそうと思うようになりました。全然うまくいきませんでしたがみんなの力で勝てた新人戦期の明学戦。去年の秋季、チームがまとまっていった一体感。色々なきっかけがあります。今シーズンを始める準備に取り掛かったときには、この自分とこの四年生にしかできない最高のチームを作る、と素直に思うことができました。
四年生をはじめとした全員の”こうしたい”という思いがチームを動かします。その意思をできるだけ拾うこと。そしてその意思が生まれるような接し方をすること。今シーズンが始まるにあたって僕が自分に課した事は、シンプルに言えばこういったことでした。そしてその結果として、自分で考え行動する文化が根付き、いいチームでありつづける。そして一部に昇格する。
今になって初めて具体的に言葉にしますが、僕が見出した答えは、「みんなの意思を推進力にして、自分が引っ張るのではなく、まとめていくこと」でした。それが僕の意思だったとも言えます。
円陣でも触れましたが、突き詰めればGMは必要ないと思っています。ありうる理想のア式の一つとして、このチームにしかない信頼関係と文化がもっと高いレベルで融合すれば、真の意味で学生主体のチームになるだろうと思います。責任の所在を明確にすること。それができればGMが今のような存在である意味はそれほど無いのではないでしょうか。
 
しかしこういう思いが常に付きまとうシーズンでした。「自分はどうしたいのか」「それはつまり他人任せということでは」「自分がなにもできない言い訳ではないのか」人よりも自分への視線が強い僕は、何かにつけ自分の真意を疑っています。言い換えれば自分を知ろうとしてきました。GMは色々な感情にさせてくれる立場です。歓喜、イライラ、悲しみ、楽しさ、悔しさ、あたたかい気持ち、たとえようがないやるせない気持ち。自分の感情には人一倍敏感です。だからこそ、GMをしていく中で味わう色々な感情を起点に僕自身をよく疑ってきました。「落ち込んでいる暇があったらもっと努力できるのでは」「とても嬉しいけれど、どこかで油断してないのか」これらの問いにいつも明確に答えは出せません。正しい時もあるし、的外れな時もある。ただそう思うたびに自分自身の取り組みを、ルーティーンに陥りがちなサイクルを見直してきました。田尻のプレーに調子の波があるように、チームにも、そして僕自身にもいい時悪い時があります。昔に比べ深く考え込まなくなったように思います。
トップに立つものの主語が一人称で無くなっていくとチームは不安になる。何百回とみんなの前で話してきましたが、今日の円陣の話妙に力が入っていると感じた日もあるかもしれません。自分に不安を感じたときや、自分なりの貢献に疑念を持ったときには、あの場を借りて奮い立たせていました。自分なりのチームへの貢献方法を見つけてほしい、俺が一部昇格させたといえるようになってほしいとみんなへ話しながら、僕自身へも大口柾文なりの貢献を確認しよう、そしてそれをやり続けようと、語り掛けていました。「偉そうに喋っているが、お前自身は一部昇格したとき、自分が昇格させたと言えるのか?」 これに自信をもって答えることでいつも自分の軸を直してきました。こういうことができるようになったのもGMをやっているおかげです。
 
 
ここまで書いてきたことが正しかったと、明日の円陣で言いたい。俺たちが昇格に値することを証明したい。胸を張って喜びたい。心からそう思います。
 
 
みんなにとって僕はどういう存在だったでしょうか。もしかしたらチーム運営を担うGMとしての認識しか持っていない人もいるかもしれません。僕は下地の彼女の名前を結局知らなかったし、いつだれがどの合コンに行くのか把握することもだいぶ前にやめました。部員が増えた今それもしょうがないことだと思います。けれど最後に、まがりなりにもGMをやらせてもらった僕がどういう思考回路で、何を思って来たかみんなに知ってもらいたかった。それは今後の部をどうしていくか、圭吾や岡谷をどう巻き込んでいくか、みんなが考える上で必要なことだと思ったのです。
 
このブログは圭吾のブログに触発されて書きました。みんなしっかり読み返してください。
 
僕は、一橋大学ア式蹴球部で自分を知ることができた。この部での活動とサッカーを通して自分の考え、感情、パーソナリティを理解することができた。それが、GMとしての自分の軸になったし、今後の人生の糧になると思う。僕にしかできないGM。そしてみんなもみんなにしかなれない自分でこの部を強く、素晴らしくしていってほしい。
 
明日については、もうそんなに言うことはありません。いいゲームをしましょう。
 
最近の出来事
・変化球ばかりだったので、最後は直球で。
・ブログを書くのはいつも楽しい。円陣で喋るよりもよっぽど得意です。
・とりあえずオールナイトのライブとかに行きたい。

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