2017年1月19日木曜日

引退

今の4年生はあと5試合で引退する。そのことを今の4年生はどう捉えてるんだろう。
 
1年後の自分はどうなんだろう。時間の濃さは多分いまとは比べものにならないくらいに濃いもので切羽詰まったものなんだろう。それとも案外同じようなペースで1年後も過ぎているのだろうか。
 
引退の迎えた先の自分はどうなんだろう。ああ終わったなって感じで今までの鎖が全部外されてスッキリした気分になるのだろうか、それともなにかモヤモヤしたまま毎日が過ぎていって不完全燃焼感をもちながら生活するのだろうか。サッカーの能力でそいつの良し悪しを定められるような毎日を終え、刺激がなくなった毎日を、意外と後悔とかはそんなに思い出さないような質だから、そういうメンヘラにはならないで、キッパリテキトーに過ごせるのかもしれない。
 
思えば生活の行動全ての中の軸に、強いにせよ弱いにせよサッカーがあった。サッカーがあるからあれしようこれしようだの、あーやばい明日のために急いでこれしなくちゃだのそういう脳内トークを毎日のように行っていて、その生活は、ただ惰性でなにも目標なく過ごす人のと比べて果して立派と呼んでいいものなのだろうか。軸を公転するだけの毎日は、もしかしたら考える振れ幅の少ないはるかに楽な日常なのかもしれない。
 
ア式を引退した後残される自分の要素って何なんだろう。サークルも部活もなにもやってないよ、だって別にやりたいことないしっていう人もいるけど、その人たちは何を糧に生活をしているのだろう。否応なく持て余される時間を1人で過ごす事ってとてもできないしとても苦しいことだと思う。だけど引退を迎えれば、そういう世界に放り出されるわけで、自力で何かアイデンティティを持たなきゃいけないわけで、それはそれでとっても大変なことなんだと思う。目標がある、仕事があるって実はすごい楽で幸せなことなんだと思う。
 
今の自分はきっと自分が思った以上に幸せで思った以上に楽しい生活を送っていて、そして思った以上に周りに迷惑をかけながら色々な助けを借りて生活してるんだと思う。そしてきっとかなり世間知らずなんだと思う。全然遊ぶ暇ねー、何か面白い事ないかなーとか毎日テンプレのように言ってるけど、そういう欲求不満は多分世の中のみんな変わらず持ってるんじゃないか。俺は体育会なんだ、しかも一橋なんだぞ、だから偉いんだっていうプライドを心の中で持っているのは本当だけど、やりたくてやっている、けどちょっと休みたいなっていう生活をしているのは全世界の人がそうだと思うし、そこに差はないんじゃないかとも思う。だから昨日の神藤が書いていたような今を生きるって大事なんだと思う。
 
あと5試合で4年生が引退する。その節目は毎年あるけれど、4年生の背中をじっと見て、そして先輩たちの想いを繋いでいきたい。
 
最近の出来事
今年の夏は渋谷で燃えた

0 件のコメント:

コメントを投稿