2020年12月27日日曜日

「強くあれ」

1.たくみからの質問

Q.いろいろなお取り寄せグルメを頼んでいた中で、いちばんのおすすめと、今後狙っている商品を教えてください。


A.1番のおすすめは宮崎の完熟マンゴーです。

カリフォルニアからのお取り寄せになりますがゴールデンオロブロンコは年明けに買おうと思ってます。


2.「強くあれ」


2020シーズンのGMを務めました、経済学部4年の山本健太です。



今季は常にウイルスの脅威に晒され、多方面で大変な出来事の多い一年となりました。

しかしながら、このような社会情勢の中でもリーグ戦を全試合戦うことができたことを非常に嬉しく思っておりますし、安全を確保した上での開催のために尽力してくださった大会関係者の方々にはこの場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。


また、OBの方々、ご父兄の皆様も、直接試合を見ていただく機会は少なかったですが、現役部員がサッカーに熱中するための環境を整え、サポートいただき、ありがとうございました。


ア式での4年間はあっという間で、気づけばブログを書くのも最後です。


少し長くなってしまいますが、ぜひ読んでいただけると嬉しいです。


では、始めます。



「最後のブログ」



人に想いを直接伝えるのが苦手で下手な自分にとって、ブログを書く機会は非常に貴重なものであった。時間と労力を割いて書いたものは多かったし、コメントをもらうこともあったので少なからず響くものはあったのだと嬉しく感じている。


最後ということもあって何を書くか非常に迷っている。サッカーへの熱い想いを書くにはもっと適した人間がこの部活にはいるし、GMとして今季を総括するべきとも考えたが振り返るほどに後悔の念が湧き出てくるのであまり書きたくない部分もある。

後輩へのメッセージなどと言うとおこがましいが、GMという立場で、色んな目を持ちながらチームを見てきた自負はあるので、僕という人間に見えた景色や感情の変化などに言及しながら、自身のア式生活の振り返りと今後に向けた思考の整理のためにこのブログを利用することにする。

まとまったものにはならないと思うが、読んだ人に何か伝わるものがあれば嬉しいなと考えながら、本音で書き出してみる。



「苦しくて、苦しくて」



今季の感情を一言で示せと言われれば、

「苦しい」

これに尽きる。


コロナでサッカーができない時期があったが、そんなことは大した苦しさではない。

サッカーができるのに、公式戦ができるのに、自分が試合に出られるのに、

チームは勝てないし、大した活躍もできないことが何よりも苦しい。


アミノvs学習院で活躍していた自分は?

都トーナメントで帝京を倒したチームは?


これまでの自分が、そして自分たちが脆いものだと分かり、理想と現実の乖離を認識した時のの絶望感はこれまで経験したことのないものだった。


しかしながら、自分の心理状態がどうであれ、時間は止まらないし、次の試合はすぐにやってくる。


一選手であれば、自身のプレーを細かく見直して課題分析を行い、成長のために日々のトレーニングに真摯に取り組むことで大抵のことはうまくいくだろう。

でも、自分は立場があるから自分のプレーよりも大事にしないといけないこと、考えないといけないことがあって、見えないものに押し潰されそうになって本当に辛かった。


玉川に負けて、今後のチーム運営をどうするかの議論になった時は、「ああこのシーズンは1回も勝てずに終わるのかもしれない」と本気で考えたし、みんなにとても申し訳ない気持ちになった。


上智に負けて、「このチームは競技サッカーレベルに値しない」と言われた時は信じられないほどの屈辱と、どうにもできない自分に対する怒りに苛まれたし、これまたみんなにとても申し訳ない気持ちになった。



少し話は変わるけど、自分はそこまでサッカーが好きな人間ではないと思っている。

そもそも汗をかくのが嫌いだし、痛いのも嫌いな人間。観るのであればサッカーよりもテニス、それ以上にF1が好き。今年のハミルトンは圧巻だった。

それでも大学までサッカーを続けた理由は複数あったし、その一つは「サッカーが好きで全力で取り組む友達が好き」ということだった。


だからこそみんなのために自分ができることを探してきたつもりだった。

それがGMを務めることだと考えていたし、自分の存在意義はそこにあると信じていた。


でも現実は違った。


全部勝てるなんて思ってないけどあまりにも勝てない。

運営含めて何もうまくいかない。

そもそもみんなが楽しくサッカーする舞台すら整えられない。


自分の、この組織における存在価値は何だろうか?

何のために大学生になっても高校生と同じようにサッカーばかりしているのだろうか?

ビジネスマンとしての目標を達成するためには金融の勉強を1からやり直すことに時間を割いたほうがいいんじゃないか?


いろんな考えが脳裏によぎるけれど、逃げるなんて選択肢はないから自分にできることを精一杯やろうということだけ考えて12月までの日々を過ごした。


自分らしく振る舞えた場面はあったしそれがチームに対して小さくともプラスの効果を与えた場面はいくつかあったと思う。


2年前、後期の東大戦で何もできなくて0-4で負けて、自分たちの代で東大にリベンジすることを誓った。

これについては達成できたし、その瞬間は素直に嬉しかった。


それでも、昇格という目標に対しては全く届かなかった。

全くだ。


後輩からもらった色紙を読んで、活躍できなくてすみませんとか昇格した代のGMにできなくてすみませんと書いてくれた選手がいたけれど、全くそんなことはない。


「この世の不利益は全て当人の能力不足」

そう考えているし今年上手くいかなかったのは全て自分の責任だと感じている。


寧ろ後輩たちの積極的な取り組みと逞しいプレーには本当に背中を押された。

ゆうとや陸がこんなにタフで頼もしい選手になると思っていなかったし、まさかコロナ明けデブデブだった森下とサイドを組むとは思っていなかった。それくらい、驚くくらいに、みんな成長していた。


だからこのまま、今年の悔しさを忘れないことも大事だけど、誰よりもサッカーを楽しんで精一杯頑張って欲しい。



自分はもとより、感情の起伏は大きくなければ、物事への拘りもほとんどないが、この部活での日々の中では非常に多くの感情を持った。


そしてその経験から後輩たちに向けてメッセ

ージを送ることができるとしたら、


「強くあれ」


この一言に尽きる。


自分はア式のみんなが大好きだったし、日常生活も含めて本当に貴重な日々を送らせてもらったと痛感している。


でもこの組織は部活動だから、サッカーは勝つためにやってるから、

みんなと大きな喜びを共有するためには強くなくてはならない。

自分自身が、チームを勝たせられる存在でなくてはならない。

苦しい時に、みんなを鼓舞できる存在でなくてはならない。


技術、フィジカル、メンタル、全ての要素をフルに使って、チームに貢献できる存在でなくてはならない。


だって、負けるサッカーはクソほどつまらないから。



自分の未熟さを痛感する一年だった。


それでもみんなとボールを蹴るのはとても楽しかったし、喋りながらダウンするそのひと時がものすごく幸せだった。

LINEが70件来ようがどれだけ辛かろうが、みんなの顔を見てワイワイしてれば大抵のことは乗り越えられるような気がした。

この1年ストレスで禿げるなと思ってたけど引退しても髪の毛はふさふさだった。

本当に仲間に恵まれた。

心の底から、みんなには感謝している。


だからこそ後輩たちにはもっともっと強い人間になって欲しい。

大切な仲間を、いざという時に守れる人間であって欲しい。


これが僕からのメッセージです。



最後に、

繰り返しにはなりますが、この4年間には何物にも変え難い、貴重なものでした。

お世話になった先輩、同期、後輩、

離れていてもリーグ戦の結果を常に気にかけてくれていた家族、

ご支援ご声援くださったOBの方々には本当に感謝しています。

ありがとうございました。


ア式蹴球部の今後の更なる発展を祈りつつ、僕自身は「日本を代表するビジネスマン」になるために新たな環境で精進します。




3.最近の出来事

・本当に卒論がやばい

・断食するって決めたけど24時間ぴったりで断念した

・もう22歳なのに彼女いなくてネタにすらできなくなってきてる


#2 山本健太

2020年12月25日金曜日

「怪我を経て」

 1.名徳からの質問の解答

春は櫛田の汗。少し暖かく、ほんのり汗ばみたる。夏は雨の嘔吐。試合の頃はさらなり、練習もなお、暑さでピッチを転がり回りたる。秋は櫛田の汗。少し涼しく、ほんのり汗ばみたるはいとをかし。


2.「怪我を経て」


 今年度の主将を務めさせていただいた西山拓実です。


   まずは、OB・OGの皆様、保護者の方々をはじめ、現役の活動を見守ってくださった全ての方々にお礼を申し上げます。特に今年度はイレギュラーなシーズンではありましたが、皆様のご理解とご協力があったからこそ、最後までやり抜くことができました。ありがとうございました。


 正直なにを書こうかめちゃくちゃ悩んでいる。でも、こうやって何を伝えようか考えるのが、練習の締めでの円陣を思い出すようで、もう既に少し懐かしかったり。このア式でかけがえのない4年間を駆け抜けることができたことは幸せだったなとつくづく感じる。


 せっかく頂いた最後のブログという機会なので、ア式という組織の一部員として経験したこと、特に二度の怪我を通じて学んだことを、少しでも来年以降のア式に伝えられたらなと思う。


 振り返ってみると、自分の人生は人からの評価、つまり他者との比較を気にすることが多かった。中学校時代は、所属していたクラブチームで同じ学年では活躍できていたものの、上の学年の試合で何もできない自分への評価が怖くなり、衝動的に辞めた。高校でも、選手権で夏前に負けた時にOBや関係者からどう思われるかを気にして、過去の戦績を遡れるだけ遡り、同じような結果を見つけては気休めに使った。今思ってもそこに「意志」だとか「目標」だとかはなかったなと思う。


 でもそんな自分を変えたかった。変えたくてア式に入った。そして主将をやらせてもらった。「学生主体」の下、伸び伸びと自分のプレーをしてア式を勝たせられる選手になろうと。


 けれど、現実はそんなに甘くない。人はそんなに簡単には変われないし、そんな中でも時は無情にも過ぎ去っていく。




 去年の8月、膝の怪我をした。全治8ヶ月。チームのために闘えないことが悔しかったのと同時に、来たる自分たちの代で主将としてどうチームをまとめられるかに深く悩まされた。というか不安に襲われて、何度も逃げ出したくなっていた。


 そうはいってもサッカーができないなりに、チームへの貢献を考えて行動した。ア式でいる時間が楽しかったし、本気で一部昇格を達成したかった。そんな想いに沿って走り続けようとしたけど、どこか物足りないような、居心地の悪いような、そんなことを感じていた。自分が知らない自分のようで。周りからの見え方を気にするあまり、いわゆる「主将」としてあるべき姿を演じようとしていたのかもしれない。そしてその「主将」像と現実の自分との乖離に頭を悩ませ、チームメイトを率いる立場として相応しいのか考え込んだ。そんな2020年の上半期。


 今年の7月、また膝の怪我をした。当初は怪我の原因がわからず、1ヶ月間ボールを蹴れない不安の中で、プレイヤーとしての復帰を諦めたときもあった。一時はスタッフに転向しようとも本気で考えていた。今の自分がチームに与えられるものはなんだ、おれってこのチームの中で何ができる存在なんだ、と考え続けた。


 でも、そんなことを考えてるうちに光が見えた気がした。自分の長所を出し切って、できることを全力でやる。笑顔を絶やさず、チームを鼓舞し続ける。変に背伸びせず、等身大の自分を表現すれば、「自分」という存在が、チームに対して自然とプラスに作用するんじゃないか。こんなような考えに至った。実際、自分の性格(馬鹿にされるほぼ全ての言動は計算しつくされたボケなのだが)をさらけ出して、一人一人の部員とフランクにコミュニケーションを図るようになってから気持ちが楽になった。その結果、部員が考えていることに純粋に向き合うことができるようになり、みんなの目線に立ってチームを引っ張ることができるようになったように感じている。皮肉にも自分をどん底に陥れた怪我に助けられるとは。




 ここからは来年のア式に向けて。


 組織に属する上で、主将はこうある「べき」とか、4年生はこうある「べき」とか、Aの選手はこうある「べき」とか、なかなかAに上がれないとか、ピッチで自分を表現しきれないとか人からの評価みたいなものが気になることもあると思う。けど、どんな時でもまずベクトルは徹底的に自分自身に向ける。自分の強み、弱みは何か。究極を言えば、自分にしかできないことは何か。

 この一年間、4年として、主将としてみんなと話していたから分かるが、このア式の人間はそれぞれが個性的で、性格でもプレーでも人に負けない長所が必ずある。だから人からの評価や期待を気にしすぎる前に、まずは変化を恐れずに自分なりのアクションを磨くこと。自分自身というある種絶対的な評価軸で自分を見れて初めて、他者という相対的な評価軸が出てくると思っている。


 「勝利から逆算した自分なりのアクション」をとり続ける。一番シンプルな答えにたどり着いたわけだが、結局シンプルが一番大事みたいなところはある。それこそ、みんながこのシンプルなアクションを実践できたら、「学生主体」を前面に押し出した盤石な組織になるだろう。



 もちろん、それぞれの立場で苦しいとき、辛いときは間違いなくある。自分には何ができるか、どういう存在なのか、悩むこともあると思う。そういう状況で原動力になるのは、やっぱりア式への愛着と、ア式で成し遂げたいことへの執着だと思う。実際に、二度の怪我とリハビリを乗り越えるにあたって、そして主将を務めるにあたって、自分はこの二つの感情に何度も救われてきた。

 前者に関しては、修也くんや玉水さんが昔言ってたように、ア式という組織に費やした労力と時間によって決まると思う。この点で、今年はコロナ下での活動やAB分け、理念作りなど、いろいろな場面でみんなにア式について考えてもらうことが多かった。こうして全員が時間と労力を割いて、自分たちの組織について主体的に考え、意見を交換することで、ア式への愛着は高まると思う。そして、そこで芽生えた信頼や帰属意識は、間違いなく苦しいときに踏ん張る原動力になる。

 そして後者について。いつも言ってることだけど、ア式での活動を通じて自分が成し遂げたいこと、なりたい自分を明確に持ってほしい。人間はゴールがないと絶対に自分を奮い立たせられない。もちろんチームとしての目標はあるけど、それに向かっていくために、もっと小さなステップに細分化して自分に合わせたゴールを設定することが、継続的な努力を生むために必要なことだと思う。

   こうした原動力に後押しされた自分なりのアクションが掛け合わされて、チームのゴールを達成するための、一つの大きなベクトルになるんじゃないか。この一年でぼんやりとだが、わかったことだ。


 あくまでも自分の経験を踏まえて感じたことだから、これをみんなに押し付けるつもりはない。ただ、心の片隅に置いておいて、こういう考え方もあるんだなって思ってもらえればなと思う。



 あんな状態で最後の試合にマークを巻いて立てたのは奇跡だと思う。本当にア式にいるみんながいたからこそ。特に同期のみんなには、めちゃくちゃ助けられた。ありがとう。みんなの存在があったから、いつも最終的には頑張る選択肢を選べたし、チームとしてもシーズンを戦い抜くことができたと思う。そして後輩のみんな、4年生を、チームを支えてくれてありがとう。

 みんながいなければできない主将だったと思うし、でもだからこそ仲間の存在の大きさを一番に感じることができました。


 正直言って、一部昇格を成し遂げられなかった以上、今年のチームの取り組みがア式蹴球部にとってポジティブなものだったかどうかは、今現在ではわからない。それでも、今年の取り組みの一部は、確実に来年以降につながっていくと思う。そして、それが受け継がれていく中で将来のア式が昇格を達成し、より強く大きな組織になった時に、自分たちのチームの取り組みがようやく報われるんじゃないかなって、そう思っている。


 だからそのときまで、そしてそれを達成してからも、立場は変われどア式のOBとして、全力で現役の活動を見守っていきたい。


 今まで本当にお世話になりました。そしてありがとうございました。


3.最近の出来事

・何いってるかわかんないって言う感想は受け付けません。


・中村憲剛と同じ言葉使ったけど、これだけは本当に言いたい。パクってない。


・引退生活、お金なくなってギブアップ。



4.健太への質問


いろいろなお取り寄せグルメを頼んでいた中で、いちばんのおすすめと、今後狙っている商品を教えてください。


#5 西山拓実

2020年12月24日木曜日

「Lucky boy」

 


1.林からの質問の解答

アシキ生活で、1番胸熱だったこと、笑ったこと、きつかったことをサッカー以外で教えてください

→胸熱は、一個上引退した時と、自分引退した時。

笑ったことは、木田が自転車で一回転して無傷だったこととか、七條がビーフソトロガノフ全部吐いたこととか、1年の時の八田とか。

キツかったことは、いくつかした遅刻。


みょー的ベスト学年旅行は?

1月にある最後の学年旅行です。楽しみにしといてください。


2.「Lucky boy」


「お前は本当に運がいいよな。」

昨日会った高校の友達に言われた。確かに、自分はなんとなく運がいいって思ってた。だけど、ア式でのサッカー生活、運がいいとおもうことはそんなになかった。



自分は4年間を通して、多くの公式戦に出させてもらった。その全てで、絶対に勝てる試合も、絶対に負ける試合もなかった。でも、多くの試合で負けて、勝てた試合は僅かだった。決して全てを運で片付けるつもりはないけれど、運がいい、それだけでも結果は大きく変わっていたと思う。

他にも、入った直後の部活動停止、リーグ戦直前の大怪我、どれも、運がいいとはとても言えない。


そして今年。カテゴリーで練習を分けたから全員が一緒に練習できない状態に、コロナで応援ができないという追い討ち。運が悪い。


ア式が自分に教えてくれたサッカーの楽しさは、全力で取り組んだ先に生まれた感情を共有する瞬間だった。


自分が本当に弱すぎるからだけど、感情を共有したいはずの人たちがいないことが多くて、サッカーの楽しさがわからなくなっていった。


格上に勝つことができた都トーナメントとか、応援してた去年の前期リーグ、別に勝てたわけじゃない去年の後期リーグも、喜びの瞬間はそんなに多くなくて、悔しさばかりだったけど、本当に楽しかった。そんなことばりが思い出されて、引退したいとか心から思うことはなかったけど、別にいいかもなって思っちゃう時はあった。


それでも、幕張の学年ミーティングとか、全員が揃って、一人一人の話聞いたら、自分の気持ちは引き締まった。他にも、練習に対する姿勢をみたり、実際にみなくても聞いたりすることはあって、自分もダサい姿は見られたくないなって思った。そんなおかげで、いろいろと運が悪い中でも、最後までやり抜くことができた。これまでの人生、中学も、高校も、サッカーを途中でやめてしまった自分がだ。感謝しかない。


気づく。


やっぱり自分は運がいい。



部停とか、怪我とか、コロナとかあったし、試合にも全然勝てなかったけど、


ア式で、ク式、その時点で、なにを差し引いたって、運がいい。


昨日友達に言われた言葉は正しかった。



運の話をしたのにじゃんけんのことに触れないのは、じゃんけんに失礼な気がするので、最後にお礼を言いたい。


本当に数えきれないくらいのじゃんけんをしてきた。じゃんけんは実力だとか、じゃんけんは運だとか。ア式での思い出の大事な要素の一つだ。じゃんけんを考えた人、天才すぎる、ありがとう。


そして本当に最後に。

どれだけおじさんになっても、ア式の人たちとはじゃんけんをしていきたいと思ってる。だから、これから先じゃんけんしよって言った時に、嫌がる人に言いたいことがある。


「じゃんけんに敗者なんていないよ。負けた時は必ず、誰かを笑わせてるんだから。じゃんけんをやると決めた時点で、みんな笑者じゃん。」


3.最近の出来事

・サプライズは嬉しすぎる。

・森下のプレゼントはセンスで溢れてた。

・みんな活発で本当にいい代になってきた。



4.たくみへの質問

たくみの鼻水は、冬の風物詩だと話題ですが、他にたくみ的、ア式の季節の風物詩を教えてください。


#66 名徳泰地

2020年12月23日水曜日

「未来の自分に向けて」

 1.質問への回答

引退ライフいかがお過ごしですか?

→みょーや松田と一緒にもっぱら「人はなぜ泣くのか」について考えてました。(ア式とばかり過ごしています)


2.「未来の自分に向けて」


忘れないように、12/5に引退した率直な感想を。

この4年間ほんとにしんどかった。というか、自分の弱さをとことん突きつけられた4年間だった。


これまで自分は生ぬるい高校生活を送ってきた。だからこそア式は驚きの連続だった。上手く強くなるために各々が考えて行動していた先輩方の姿を見てわくわくした。そんな環境は新鮮であり、自分も強くなりたい、上手くなりたいと思うようになった。


2年の4月に怪我をして長期離脱をしていた時もその思いは変わることはなかった。怪我をしていたからこそ長く話せた先輩方もいて、小平のジムで筋トレをしながら様々なアドバイスを頂くことができた。


ようやく2月に復帰することはできてからはプレーできることがとにかく嬉しくてたまらなかった。

しかしその後引退までの大半は自分にとって弱さを感じ続けた期間だった。


・(精神的に)辛いことから逃げ出したい

・責任を持ちたくない

・苦しいところから這い上がれない


根幹にはこれらが自分の中には強くあり、それをとことん突きつけられた。特に去年の後期リーグ戦。技術面では確実に劣る自分がチームの役に立ち勝利に貢献するには、果敢にチャレンジする積極性や空元気でもチームを盛り上げる勢い、勝利への貪欲さなどが求められるはずだった。しかし結局これらを一切見せられることはなく、前期2位という勢いを完全に自分が止めてしまった。A1にはただただついていくのに精一杯で、何一つ自分の色を出せず終わったのに失望した。何より他の先輩方や同期が応援してくれる中で期待に応えられなかったことに悔しさしかなかった。

本来ならここで更に努力を重ねリーグ戦で活躍しようと考えるはずだが、自分はチームの責任を負うということに怖さを感じてしまい、リーグ戦で活躍する自信が全くといっていいほど湧かなかった。


A2で心地よくプレーできていたのも多分責任が無いからだと思う。A2ではチームの結果の責任を負う立場にはなくただただ自身が上手くなるために積極的になれると考えていた自分が、A1に上がって何もできないのは当然だった。そしてA2のぬるま湯に浸かりきってある種の満足感を覚えてしまっていた。当然のことだが、そこから高いレベルにいっても良い結果を生み出すことはできないということを痛感した。「なんとなく良い縦パスを出して、なんとなくライン上げて、なんとなくロングパスを出す」が、なんとかなるはずがない。


それでもア式に支えられて乗り越えることができた。ミロや尾高さん、中西さんはどんな時も応援し励ましてくれたのが力になった。同期をはじめ、先輩方が声をかけてくださったおかげで苦しい時間を乗り越えることができた。苦しい時でもア式の人たちがいたからこそ立ち向かえることができた。


ア式での生活はかけがえのないものだったものの、プレーヤーとしては何一つ残すことができず、自分が満足できることは何一つ成し遂げられていない。けど4年間で学んだことは数え切れない程多い。自分の人生の中であらゆる感情が動いた、最も濃い4年間だったことは間違いない。

それらが活きる時がきたらいいな。ていうか、活かそう。今後自身の弱さに直面しそうな時、強くなった自分がそれを乗り越えていい結果を手に入れられるようにこれから歩んでいこう。そしてあんなこともあったなって未来の自分が笑えたらベスト。


最後になりますが、自分に関わってくださった全ての方々本当にありがとうございました。ア式で素晴らしい時間を過ごせたのもみなさんのおかげです。本当に感謝しています。


3.最近あった出来事

引退ブログっぽくなくてごめん。

サウナと筋トレで健康生活始めました。

みんなそろそろお金返して下さい。


4.名徳への質問

アシキ生活で、1番胸熱だったこと、笑ったこと、きつかったことをサッカー以外で教えてください


みょー的ベスト学年旅行は?


#57 林遼太郎

2020年12月22日火曜日

「自分を信じる健全性」

1. えいみーへの質問

一番プレースタイルが好きなア式蹴球部の選手は誰でしたか?印象残ったプレーと併せて教えて下さい。


→うーん、ここは4年生の中から選びます。健太です。印象に残ったプレーを1つあげることはできないですが、いつも的確なパスを出して、狙ったところにボールが落ちるのを見ると、素人目にも凄いなと思います。正確で緻密な感じがして、性格が出てるなと感じます。上からごめん。



2.「自分を信じる健全性」



最後のブログだからと気負わず、4年目を経た今、心に浮かんだことを3つあげたいと思います。サラッと読んで下さい。①と②は題名と関係ありません。



①本気になって覚えたことは忘れない


当たり前のことですが、これは1年のブランクを経て、9月に部活に復帰した時に実感しました。正直、もっと色んなことを忘れていると思っていました。試合のアップで、次のメニュー何だっけ?とか、リーグ戦のメンバー表チェックってどうするんだっけ?とか、分からなくなっているんだろうなと予想していました。ドイツにいた時間は、部活のことを毎日考えてる余裕は無かったし、頭の中を占める部活の割合が少なかったから、忘れていても1人でがっかりしないようにしようといろいろ理由をつけてメンタルに保険をかけました。

でも、いざグランドに戻ってみると、1年前までやっていたことが蘇ってきて、特に考えなくても次はこのメニューだな、この時こうするんだったなって一連の流れが自然に思い出されました。あ、私忘れてない!と嬉しくなりました。

思うに1年生の頃、叱咤激励を受けながら体に染み込ませたおかげです。国が変わっても、言語が変わっても忘れられないようです。相当染み付いています。



②まだ足りない


幸いにも、私には8人の後輩マネージャーがいます。みんなと接している中で、自分は全然足りてなかったんだとハッとさせられることがたくさんありました。

大変大変と言いながらやった主務の仕事を、異例の速さで覚え、私の助けもほとんど必要なくこなしたゆいちゃんに驚き、続く碧ちゃんは早く、丁寧、正確に三拍子揃ってやっているのを見ると、私って全然できてなかったと気がつきました。大変と言いながら本当に大変だった当時の自分を恥ずかしく思いました。

あやなちゃんの学連での頑張りには毎回驚きます。こんなに頑張ることのできる人見たことないです。

何か意見を求めれば必ず鋭い指摘をくれるともみちゃんには、やばい、私そこまで考えてなかったと気付かされます。

あやちゃんの丁寧で細部まで気を配った仕事ぶりを見て、自分の適当さを何度も反省しました。

しほちゃんのセンスの塊のようなインスタの投稿はモチベーションを上げるのに最適だったし、同時に私には広報はできないって思います。

ひなちゃんの淡々と、時に思い切りよく仕事をこなすスタイルは憧れです。私も心臓強く在りたいです。

まいちゃんの初々しさに、初心を思い出し、1年生の頃の日々ワクワクしてた気持ちを取り戻すことができた感じがします。

自分の成長の多くは、後輩の取り組み見て学んだことに由来すると思います。後輩の成長に刺激を受け、自分はまだ足りないと言い聞かせ頑張ることができました。こんなに信頼のおける、個性溢れる後輩のおかげで充実したマネージャー生活でした。



③信じる健全性


このブログの題名にしたことについて書きます。


4年目に思うマネージャーが活躍するとは、自分に何を求められているのかを瞬間、瞬間分析し、相手のニーズを察知し、行動することだと思います。常に考えて、行動する、この繰り返しです。自分がチームを変えているとか、勝利に繋がったといった大きな達成感はありません。ご存知の通り、常にモチベーションを高く持ち、プレーヤーに負けじと活躍しようとするのは難しいです。

しかし、それでも意識高く在るために私が必要だと思うのは、自分の取り組みを信じる健全性です。今よりもあと少し細部に気を配って、練習の流れを読み取って、、、そういう取り組みが勝利を引き寄せ、熱量を増幅させるんだ、と自分の取り組みを肯定し、信じる健全性です。

自分の取り組みが結果として現れることのないものなら、まずは自分の取り組みを丸ごと肯定し、その先にあるであろうチームの勝利を信じて疑わないことも必要かと思います。

自分なりの活躍の仕方を見出し、それが正しいと信じてみると、精神論にはなりますが、気が楽になるし、少なからずマネージャーというものを楽しめるのではないかと思います。


ここまで読んで頂きありがとうございます。①〜③は何の関連性も無く、冒頭に述べた通り、思い浮かんだことを書きました。何かの参考になれば嬉しいです。


最後になりますが、私は留学で1年間部に穴を開けるという大変な迷惑をかけましたが、無事に同期のみんなと引退の日を迎えることができ嬉しく思います。最後までやり通すことができたのも、関わってくださった皆さんのおかげだと思っています。特に同期と後輩マネージャーには感謝の念にたえません。

本当にありがとうございました。



3.最近の出来事

•また秋田県民に戻るけど、寒さに耐えれるか不安。


•初めてバーガーキング食べました。



4.林への質問

引退ライフ、いかがお過ごしですか?


#MGR 木村映美


2020年12月21日月曜日

「1345日と感謝」

1. 質問の回答

サッカー中にしかでないと言われているあの「わっちょま」が引退してから一度だけ出たそうですね。それはいつどんな状況の時ですか?


→ランニングマシーンから転げ落ちたことです。

恥ずかしくてそれからジムには行ってません


2.「1345日と感謝」

2017年の3月31日に初めて練習に参加して、

その日に入部宣言して、その年の第一号入部者になって

2020年12月5日、ア式蹴球部を引退しました。

約3年と8か月。およそ1345日、自分は一橋大学ア式蹴球部の一員でした。


色々と内容について悩みましたが、恥ずかしくて今まで伝えられなかった感謝の念をこの場を借りて伝えさせてください。これが最後のブログです。人の心を動かすとか心に残るようなブログは端から書けないし、「読んでいる人が退屈だと感じるかな?」とかそういうことは度外視で素直に思っていることを書かせてもらいます。


先輩たちへ。

下手くそだった僕とサッカーしてくれてありがとうございます。

沢山迷惑かけてきました。練習で吐いたり、試合で吐く。対角にロングボールを蹴るしか能が無い。体力が無くてDFラインをあげられず、縦に間延びさせる。あの温厚な尾高さんからは試合中にお叱りをうける。挙げればキリがありません。それでも先輩たちは未熟で下手な自分と一緒にサッカーしてくれました。見捨てられるのではなく沢山アドバイス頂きました。感謝しかありません。

大好きな先輩達が「上手くなったね」と言ってくれるとお世辞でも本当に嬉しかった。もっと上手くなったところを見せたかったし、リーグ戦という場でその姿を見せられなかったことは僕の一生に残る悔いなのでしょう。それでもサッカーやってきて良かったって思いました。

先輩たちのお陰でア式という組織を知り、そしてア式という組織を本当に好きになれました。ありがとうございました。


後輩たちへ。

頼りがいのない先輩でしたが、一緒にサッカーしてくれてありがとう。

残された時間は長いようですごく短いです。1345日という時間はとてつもないスピードで過ぎ去っていきます。つらいこと、苦しいことがあってモチベーションが下がるときがあるかもしれません。

色んな誘惑があります。部活じゃない人が羨ましく、楽しそうに見えるときがあるかもしれません。結果が出ずに、なぜ体育会でサッカーをやっているのだろうと思う時もあるかもしれません。

それでも真剣に取り組むサッカー以上に楽しいことって、熱中できることってやっぱりないです。


本当にないです。


だからこそ諦めたことを数えるのではなく、ア式での活動を通じて得られるモノに目を向けて、一日一日を大切に過ごしてください。特にアドバイスできることもない自分が唯一伝えられることはそれだけです。もう練習後に一緒にご飯に行けなくなるのが、一緒にサッカーできなくなるのが寂しいですが、OBという立場から応援しています。

みんなの1345日が最高の1345日間となることを祈っています。


たくみ、けんた、みょう、みろ、おおた、ひでし、みや、はやし、たつ、えぐち、せやま、まつだ、えいみー、なかた、きだ、八田へ


1345日間一緒にサッカーしてくれてありがとう。

僕の活動のモチベーションは同期のみんなでした。

大好きな同期に認められたい。

一緒に試合出て、自分のプレーでみんなを支えたい、役に立ちたい。

その一心で、1345日間ア式でサッカーをやることができました。

入部当初から三年なるまでは辛いことばっかりだったけど、それでも一回も辞めたいなって思ったことはありません。みんなのお陰です。

一生の付き合いになると思っているので長々書くことはしません。

ありがとう。これからもよろしく。


見てないとは思いますが、高校の友人へ

大学でもう一度サッカーしようと思ったのは、高校三年の秋に部員としてではなく、観客として外からみんなの試合を見たからです。あの試合を見たときに感じた悔しさ、憧憬、恥ずかしさ、それらが僕という人間の根底となり、原動力でした。ありがとう。


最後に一橋大学ア式蹴球部へ

その雰囲気の良さに惹かれて入部した日から早いもので1345日間が経ちました。入部当初と比較して現在の自分は成長できたと思っています。そうであって欲しいという自分の願望かもしれませんが。

スパイクのかかとを踏むとかを辞めて、モノを大切に扱うようになったとか。

試合前に過度に緊張しなくなったとか。

人のせいにして、責任逃れしようとすることを辞めたとか。

こんな弱い人間だった自分を成長させてくれて、本当にありがとうございました。

ア式で過ごした1345日間は僕の一生の宝物です。

ア式大好き



これ照れずに直接伝えるのは無理ですね。


3.最近の出来事

城所さんの笑い声が動画に入っていましたが、国公立戦での江口へのパスは狙ってだしたものです。


佐川、豚トロ丼食いにいくぞ

先輩たちが応援来てくれて本当嬉しかったです。ありがとうございます。


両親と現役の活動を支えてくださるOB・OGの方々へ

本当にありがとうございました。


4.えいみーへの質問

一番プレースタイルが好きなア式蹴球部の選手は誰でしたか?印象残ったプレーと併せて教えて下さい。


#28 雨宮一郎

2020年12月19日土曜日

「引退ブログ」

 1.質問の回答


はっちー。俺らもう5年も一緒にいるのか。

理由は煩悩の数だけありますが、例えば、

①自分に無いものを求めるのは本能なのではないでしょうか。

②こんな美味しいキャラをもらえて幸せです。

これで勘弁してください。


2.「引退ブログ」


どこか勝手に引退というものに希望をいだきすぎていたのかもしれない。4年間やり遂げる事で強烈な達成感や満足感を味わえるものだと信じていた。そして次のステップへ進むための勇気をくれるものだと信じていた。ただそんなに甘くはないわけで。思えば引退なんてものは自分で勝手に決めた区切りに過ぎないわけで。以前より少し彩りを失った日常が続くだけだったりするもので。


分かった事がある。

人は1日では変わらないし、何か1つの出来事で世界が変わる事もない。

自分は何も変わっちゃいない。



この4年間は本当に満たされたものだった。

いい時も悪い時も全て含めて満たされたものだった。

それは沢山の種類の、方向の、色の感情を経験する事ができたから。

そしてその全ての感情が、みんなと一緒にいることで1人では到底感じる事が出来ないほど大きく、強いものになっていたから。


ふと考える。感情っていくつあるんだろうかと。きっと数え切れないほどあるんだろうな。自分の4年間はどんな感情が組み合わさってできているのだろう。


このブログは誰に向けたものでもない。

隠しておきたいほどの恥ずかしさや普段は言えないような感謝の気持ちも書いているうちに溢れてしまった。

別に誰かに届いてほしいとかそんなんじゃなくて。

なんでこんなことを書くのかって。悲しいかな、覚えとく自信がないからさ。


今目の前には筆箱がある。その中には赤のシャーペン、黒の消しゴム、オレンジと水色の蛍光ペンが入っている。4年間の全てを忘れずにとっておくのは無理だけど、せめてこの筆箱に収まるくらいの思い出は残しておこう。



赤い思い出は強烈なものだ。例えばリーグ戦のように。初めてリーグ戦に出た時の高揚感を忘れる事ができようか。試合前の緊張感を。勝った時の幸福感を。身体は疲れているのに心が満たされるあの感覚を。そして思い出すだけで鳥肌が立つ、気迫のこもった応援の声を。


話は変わらないようで変わるけど、引退試合でもし自分が少し涙を流したとしたらそれは応援のせいだ。みんなの声で色んな思いが巡ってしまった。決して泣いてはいないけど。


なるべく多くのみんなにこの舞台を味わってほしい。リーグ戦の全ての瞬間は、4年間をかけるだけの価値があるからそのためだけに頑張ってほしい。とかいいつつ自分ももっとあの場にいたかった。

自分に勇気と感動を与えてくれたこの経験に感謝をしたい。



黒は深い後悔の色だ。忘れられない試合は沢山ある。昨年の成蹊戦とか、都トーナメントとか。だけど1番心に残っているのは今年の亜細亜との試合。恥ずかしいほどに何もできなかった。自分にとってもチームにとっても大切な一戦で本当に何もできなかった。実はあの試合のビデオは未だに見る事ができていない。それくらいショックな試合だった。自分に失望した。チームのみんなに申し訳なかった。全て終わったと思ってしまった。でも今ふりかえれば分かる。ただ実力が足りなかっただけ。努力が足りなかっただけ。そしてそれを受け入れる事が出来なかっただけ。自分が最も後悔しているのは、その試合の後の振る舞いだ。残念ながら引退の日までに自分を変えて結果を残す事はできなかった。ただ、サッカーを引退しただけであって人生は続く。弱く情けない自分を受け入れる事からまた始めよう。

この事に気付けただけでも長くサッカーを続けてきた意味があるのかもしれない。

スタートラインにたたせてくれたこの経験に感謝したい。

いや、気付かせてくれた方への感謝を込めてここはありがとうございますとしておこう。



オレンジ

オレンジの感情は優しく暖かい。これまで長い間支えてくれた家族には感謝しかない。どんなに朝早くても玄関でお見送りしてくれてありがとう。いつも美味しいご飯をつくって待っていてくれてありがとう。遠くの会場まで試合を見に来てくれてありがとう。活躍している姿を見せる事が出来なくてごめん。だけど、少なくとも必死になって頑張る姿を見せる事はできたと思う。

同期のみんなもありがとう。楽しかったな。これからも楽しいだろうね。後輩のみんな、仲良くしてくれてありがとう。先輩方ありがとうございます。特にFC南武線のみなさんお世話になりました。またゆけむりで会いましょう。

当たり前すぎて気がつかないような暖かな日常に感謝したい。



水色

水色は自由な色だ。自分はア式の自由なところが好きだ。誰もが自分の意思でこの組織に所属する事を決め、自分の意思で毎日必死に活動するこの組織が好きだ。自分の意思で練習前に早く来てボールを蹴ったり、練習後に残ってウエイトをする仲間がいるこの組織が好きだ。自分はこれまで自由であるために頑張ってきたし、これからも頑張るだろう。サッカーとは自分にとって自由を表現するものだったのかもしれない。少なくとも自分が魅了されたサッカーはとても自由なものにみえた。

自分の人生に強いて一つだけルールを設けるとしたら、それは自由じゃなきゃいけないってルールだ。


最後の一文は竹原ピストルの歌の歌詞。上手く締められなかったこのブロックをまとめてくれた竹原ピストルの歌詞力に感謝したい。



最後に。

これまでサッカーを辞めると言い出そうとした事は何度もある。でもそのたびにそれを遮るようなタイミングで何かが真横を走り抜けて。それに何らかのメッセージを勝手に感じて、黙って歩き続けてきた。ただそれだけのことなんだけど、


サッカーを続けてきて本当によかった。

ア式と出会えて本当によかった。

これだけの感情と思い出と経験を持ってる俺らは多分強い。


気づいた事がある。

俺4年間で変わったな。いや。変わったね。



3.最近の出来事

•ブログの文字の色が赤だからややこしいよなとか思いつつ。


•金沢にカニを食べに行く旅でカニアレルギー発症。死ぬほど辛かった。けどめちゃうまかった。ちなみにハプナで食べた時は発症はしなかったけどめちゃうまくもなかった。


•今日も今日とて日吉で勉強。信じられる?俺まだ毎日高山と昼飯たべてるんだぜ。


4. あめちゃんへの質問


サッカー中にしかでないと言われているあの「わっちょま」が引退してから一度だけ出たそうですね。それはいつどんな状況の時ですか?


#26 松田悠太郎

2020年12月18日金曜日

「長くて短い4年間」

 1. たつからの質問への回答

みずほでのキャリアプランを教えてください。

→企業のことなのであまりふざけたこと書けないです。3~4年営業やって、森山さんと田舎の方へ向かいます。その後森山さんを置いて、僕は東京に戻ります。いいキャリアが歩めたら最高です。


2.「長くて短い4年間」


長く拙い文章、失礼いたします。


世の中の大半のことは、自分の判断基準で考えたとき、割に合わない。そんな風にふと考えた。中高と、定期試験の時、自分の中では頑張った。でも勉強してないように見える友達には敵わなかった。「なんでこんなにやってるのに、ダメなんだろう。」サッカーでも、練習しているはずなのに、苦しんでいるはずなのに変化は起きない。もともとの序列を変えることは出来ないのかもしれない。でも自分の周りには時々、その序列を変えることが出来る人がいた。前まで一緒にプレイしてた人が、今違うところにいる。こんな経験は誰にでもあるだろう。そういう人たちは、自分の中の割の合わなさを何度も経験して、何度も乗り越えてきたのだろうか。



思えば一年の頃の僕は、楽観的で自信過剰な選手だった。とてつもなく太っていて周りから笑われていたのに、自分なら誰にも負けないって何の疑いもなく信じていた。それは実際に一橋の練習に参加しても変わらなかった。当時の4年生の圭吾さんや健也さんを実際に見ても、「上手いが、おれなら絶対勝てる。1年でレギュラーになってやる。」。同期の人は知らないと思うけど、本気でそう思ってた。意識だけは一人前だった。

「皆と同じように練習をして、今までのように試合をこなして経験を積めば、どうせいつか試合にでてるはず。」

サッカー選手の熱い名言とか好きだったから、そんなことは言葉に出さないけど、心の奥底で考えていた。


与えられた練習に皆と同じように取り組み、走りの練習もやりきった。たまに居残り練習で時間をかけてパス練習をした。

食事も注意されたことは、やるように変えていった。

試合では勝てると思う相手には勝つときもあれば、負ける時もある。負けると思うチームには負ける。負けたときは、その瞬間悔しくなって、帰りは笑って楽しく皆と帰る。

カテゴリーはB1とB2を行き来していた。

そんな日々を過ごして、一年たった。僕の目標は達成できなかった。


続く二年

この頃もまだ自信があった。「まあまだ二年だしな。学年が上がっていけば、カテゴリーも上がるでしょ。いつか、それか最後には絶対試合に出られる。」。

下級生が入ってきた。ある日、自分のものだと思ってたB1のポジションは無くなった。最初は怒りで頭が真っ白になった。何かを変えるために家で自主練した。けど1,2ヶ月と経ったら以前の様な悔しさは薄れていた。自主練をやったりやらなかったり、やっても結果が出ないことにイラつき、自主練することや時間をかけることが目的になっていた。

そんな僕にも一回チャンスがきた。誰かが怪我をして、A2の紅白戦に出られることになった。頭にラウールの「目の前に来た列車に飛び乗れるかどうか。それが成功と不成功、運と不運を分ける。」が浮かんでいた。正樹さんを前に何もできず、チャンスは消えた。準備したはずと思いこんでいた僕の自信は消えた。「何で練習した割に何もできないんだよ。」ふと思った。

一年の時と同じように皆と一緒に与えられた練習を行い、皆と一緒に走りの練習もやり切った。時に怒られ、叱咤激励の言葉をもらい、気分の浮き沈みを感じながら、与えられた課題に取り組んだ。でもAの人と自分の差が埋まったように感じなかった。

全く同じ文章になるけど、

試合も勝てると思う相手には勝つときもあれば、負ける時もある。負けると思うチームには負ける。負けたときは、その瞬間悔しくなって、帰りは笑って楽しく皆と帰る。

カテゴリーはほぼB2、たまにB1だった。

二年たってもいつかは来なかった。



三年


自分には残された時間があまりないことにようやく気づいた。

大口をたたき、試合に出ず、一発芸の時だけチームに必要とされる自分が嫌いで仕方なかった。

自分にとって最後の一年だと思ってサッカーをやろう。そう思った。

初めて自分から、人に与えられてないことで自分を変えようと思った。整体師やジムの人にトレーニングを聞き、知らない人とサッカーをさせてもらい、自分の至らなさを痛感した。

けどやっぱり試合に絡むことは出来なかった。ベンチ入りできる雰囲気すら感じなかった。

自分の足りなさ、準備不足を嘆いた。


一年の時と同じように皆と一緒に与えられた練習を行い、皆と一緒に走りの練習もやり切った。大澤さん、戸塚、健太に本気で勝ちたかった。だからこの三人と対峙するときは激しくいった。意識を変えた割に、Aの人と自分の差が埋まったように感じなかった。

試合も勝てると思う相手には勝つときもあれば、負ける時もある。負けると思うチームには負ける。負けたとき悔しくて誰とも話したくないときがあった。途中出場なら、自分の出てるところだけでも勝ってやる。そう想うようになった。

カテゴリーはB1が多くなった。

三年たってもいつかは来なかった。


四年


コロナ後練習が再開されて、何が何でもAに入ってやる。そう思った。自分なりの結果を残す。そこに意識を向けていた。

大学四年間で初めて、関東リーグに所属する慶應と闘える日がきた。リーグ戦には全く絡めてなかったけど、自分でも驚くくらいワクワクした。関東一部のチームを倒したい。そのためにトレーニングをしてきたんだって思うくらい興奮していた。

結果、何もできなかった。空虚さだけが残った。どうしたら自分より強い相手に勝つことが出来るのだろうか。結局答えは出なかった。「考えて練習しても何もできないのかよ。」割に合わない。心から感じた。

練習の意味を考えるようになり、以前よりチームのために声を出せるようになった。

試合も勝てると思う相手には勝つときもあれば、負ける時もある。負けると思うチームには負ける。そこは残念ながら変わらなかったが、10分でも何か爪痕を残してやる。そう思うようになった。

気づいたら引退日を迎えていた。いつかと思ってたリーグ戦の日が僕に来ることはなかった。最後の試合、自分の20年近く続けてきたことが終わると思うと変な感じだった。自分の人生が終わるような、変な感じがした。




引退してサッカーから離れ、自分を振り返り、思うことがある。

四年間サッカーを大学でやり続けて、1分も試合に絡むことも、その予感を感じることもなかった。この状況は、人生で最も力を注いだと感じる自分自身の判断基準からしたら割に合わない事態なのかもしれない。だけど成功した人を考えたとき、何にも足りていなかった。

頭の中に少しでもまだできることが思いつく。その時点で僕は成功するに値しなかったことがわかる。自分では足りていると思うことでも、実は何にも足りていない。そのことを理解できていなかった。

正直この四年間はかなり苦しくて、悔しくて、自分の人生で最も辛い期間だった。自分の掲げた目標は叶えられないし、ボロボロに負けた試合しかほとんど思い出せない。いつか必ず来ると思っていた自分の番が来ることもなく、最大のチャンスを物にすることもできなかった。自分の言動で自分の首を絞め、自分を生き辛くしてきた。反省しなくてはならないこと、つらかったことを挙げるとキリがない。


でもそれ以上に、この四年間もがき苦しんで得られた経験から学べたことは多い。プラス面は初めて自分を変えるために動きだせたとき。知らない場所でサッカーをしたり、知らない人に自分の意見をぶつけるのは苦痛でしかなかった。でもその先に大きな充実感があること。自分を変えるのがどれだけ難しいかを知ることができた。逆に、与えられたことに満足して、それをこなす奴にチャンスなんか来ない。何にも得られることはない。それを大きな虚無感と一緒に痛感させられた。


やっぱり何かを変えるにはどうしたって動き出すしかないと思う。どんな些細なことでもいい。そこから次につながることは必ずある。1,2年の頃、一橋サッカー部のあらゆるものは、僕に与えられたものだった。食事ライン、練習、筋トレ。与えられたものに対して思考停止をしている状態では何の充実感もなかった。本気で成長したいと思って動き出したとき充実感と共に人は大きく変わることが出来る。僕はそう信じている。


最後に僕の好きな言葉を送ります。

「王侯将相寧んぞ種有らんや」

どんな選手であっても、努力と意識次第で素晴らしい選手になれると思います。


一緒にBで練習をしていた選手が、Aのレギュラーとして出場する日を、一橋大学サッカー部が関東で戦う日がくるのを信じています。


サッカー、チームメイトとコーチ、家族のおかげで充実した日々を送ることが出来ました。

心からありがとうございました。またいつか皆でサッカーができる日を楽しみにしています。


3.最近の出来事

卒論0文字、さすがに萎えてきた。


4.松田への質問

一番付き合いの長い松田の好きな部分が胸って知ったとき狂喜乱舞した。

最後に聞かせてくれ。何故好きなんだ。


#18 八田健吾


2020年12月17日木曜日

「信頼」

 1.木田の質問への回答


最近のア式では隠し事がブームですが、たつのまだ隠してる事教えてください。ないなんてないです。


→2年の夏にあやなちゃんと2人で花火見に行きました。

もう2年以上も前のことなので詳しくは覚えていませんが、自分の記憶が正しければ、たしか藤井とのデート後だったはずです。




2.信頼


Bの円陣で一度した話ですが、全体にも共有しておきたいと思ったので、最後のブログで書こうと思います。


少し長くなってしまいましたが、最後まで読んでくれると嬉しいです。




Aの選手とBの選手の差。


技術。フィジカル。戦術理解度。プレーへのこだわり。


挙げればキリがないが、一言で表すなら


「信頼」


ってことになると思う。


戸田さん、スタッフからの信頼。

選手からの信頼。


前者は主に練習中に積み重ねるもので、カテゴリーを決める最大の要素。

後者は練習中だけでなく、日常でも積み重ねるもの。


ここでは後者について話します。




では、どうやって信頼を積み重ねるか。


練習中であれば、常に全力で取り組む。

上手くできるかどうかは関係ない。

(戸田さんが前に仰ってました。)


Bチームの選手は正直、全員が全力でやっているようには見えないし、特にスタッフの説明を聞いてない人が多かった。

練習中に人の話を聞いていない人が全力で取り組んでるとは思えない。


健太が最後の円陣で言ってたけど、人間としても大事な部分なので、意識して続けて欲しいです。


自分としては全力でやっていると反論したい人もいると思うけど、周囲からそう認識されていない時点で信頼を得られていない、とだけ言っておきます。




次に、練習以外でどうやって信頼を積み重ねるか。


チームとして決められたことを守る。

特に時間に関して。

全体集合だけでなく、荷物集合や食事ラインもそう。


正直、遅刻したからといってプレーヤーとしての信頼度が下がるわけではないけど、人間としての信頼度は確実に下がることは覚えておいてほしい。


特にリーグ戦に絡む人は、チームの代表として試合に出るわけなので、どちらの信頼度も高い人であってほしいというのが個人的な考えです。




初めの方で言ったように、カテゴリーを決めるのはあくまでも戸田さん、スタッフからの信頼であって、選手からの信頼はカテゴリーに直接は関係してこないもの。


それでも、サッカーは仲間との信頼がなければ成り立たないし、信頼があるからこそ勝った時より嬉しいんだと思う。


だからこそ、選手からの信頼も大事にしてほしいし、そこを大事にする組織なはず。



ここまで偉そうに言ってきたけど、要はプレーヤーとしてだけでなく人間として信頼される人になってほしいし、そういう人が多い組織になってほしいってことです。




最後に1つだけ。


今年、多くの時間をBで過ごした人にとって、その悔しい経験が自分にとって良かったと言えるかどうかはこれからの各々の取り組みにかかってると思います。


これからの努力次第で来年以降のリーグ戦に出て活躍することは十分に可能なので、頑張ってください。


Bで一緒に頑張った選手が1人でも多く来年のリーグ戦に絡むことを願っています。





3.最近の出来事


・二日酔い辛すぎた

・広報飯で寿司10貫も食べてないのさすがにもったいない

・森下頑張れ



4.八田への質問


みずほでのキャリアプランを教えてください。


#14 達康大

2020年12月16日水曜日

「2ヶ月間」

1.ミロからの質問への回答

どんな社会人になりたいですか?

→最速最強のプロデューサーになります


2.「2ヶ月間」



このブログをいま締め切りギリギリに書いている。書くタイミングなんていくらでもあった。怪我をした日、MRIを取った日、もうサッカーは諦めた方がいいと言われた日、リハビリをして試合に出ると覚悟を決めた日、ZOZOでみんなの本心を聞いた日、リーグ戦にメンバー入りできた日、目の前でサッカー人生が終わった日。でも、1文字も書けなかった。自分の気持ちを言葉にしようとすると胸が痛くなってしまってしんどいから。でも締め切りが来たならしょうがない。今も涙が出そうになるけれど、後輩にアドバイスとか正直言えないけど、この2ヶ月の自分の思いを率直に書こうと思う。長くなってしまうかもしれないけれど読んで欲しいです。



10月1日、自分として最高なコンディションの時に怪我をした。今でもその瞬間は鮮明に覚えてる。直前の東工戦で4年目にして初のちゃんとしたリーグ戦メンバー入り、初出場、初アシストを記録した。これはちゃんとアシストになったらしいんで異論はやめてください。ほんとに嬉しかったし、これまで頑張ってきて良かったと思ったし、なによりもっともっと練習して今度は絶対決めようと思った。怪我をした紅白戦も瀬山とツートップで出て、次節武蔵戦はこれで行くかもしれない雰囲気もあり、締まった気持ちを作れてたはずだった。でも、怪我をした。無理なボールに自分が足を出してしまった。やった瞬間は痛覚だけが襲ってきたが、だんだん自分の脳裏によぎってきたのが引退の2文字だった。武蔵戦出たかったな、瀬山と一緒にリーグ戦出たかったな、自分の力で試合を決めたかったな、もうサッカーできないかな、涙が止まらなかった。



10月3日、MRIをとった。ケータイも持てない、友達とも喋れない、何にもできない15分間は久しぶりだった。だから、色んなことを考えた。新人戦、ミロが走って飛びついてくれた時嬉しかったな、最近のミロあんくらい試合で笑ってるかな。2年目の新人戦、ほんとにしんどかったな。4年間で1番ダメダメな時だったな。でも、きどさんのおかげで立ち直れたな。結局、あの人熱いんだよな。こないだのリーグ戦楽しかったな、意外と公式戦っていつもよりしんどいんだな、林もキダ最高だったよって言ってくれたし、松田も嬉しそうに実況でいじってくれてたし、いいやつばっかだな。でも、もうこんなのも味わえないのかな。気づいたら涙が落ちてた。もう少しで泣きそうだなとかいつも思うけど、ほんとに気づいたら泣いていたってあるんだ。



10月7日、診察だった。サッカーはもう諦めるしかないかな。なんでこの人はこんな簡単にそんな事が言えるのか。悲しい気持ちは一切なくて軽い怪我だとどこかで期待してた気持ちが打ち砕かれた焦りから、怒りしかなかった。ちょっとは気を遣って、頑張ってリハビリしようとか言ってくれよ。俺はあと2ヶ月何にもできないで終わるだけなのかよ。もっとちゃんとMRIとってよ。前十字ほんとに切れてんのかよ。今後の人生?そんなんどうだっていいんだよ。あと2ヶ月の中でサッカーしないと意味ないんだよ。また家で気づいたら涙が出てた。


10月8日、死ぬほど痛かったけどアシキのやつらと会いたくなって練習に行った。りく、送ってくれてありがとな。でも、意外と笑えるもんなんだな。昨日まで1ミリも笑えなかったのに、アシキのやつらと会うと不思議と笑えてくる。佐川、木田さんもう引退すかっていじり上手く返せなくてごめんな。麻布って怖いな、優しさがこんな形で出ちゃうんだもんな。渋幕でよかった。でも、こんなに膝が痛むのに、立ってるだけでもキツいのに、もう諦めるしかないと言われたのに、サッカーがしたい。森下が俺みたいに胸でぎこちなくポストしてた。頑張ってるけど俺の方が絶対ポストはできる。このままじゃ終われない、そうこの日思った。森下勇気くれてありがとな。



10月24日、ZOZOで学年ミーティングをした。もう長いなと思ってる人もいるからここは簡潔に。サッカーができるやつらがなんだかんだ色々言ってるのが悔しくて、悔しくて、しんどかった。でも、大切なミーティングだったと思う。



12月4日、リーグ戦の最終節のメンバーが発表された。メンバーに入っていた。言っていいかわかんないけれど、その週初めに準備はしとけよって言われたから、驚きはしなかった。ただ安堵しかなかった。忖度でもなんでもいい、5分でも1分でもいい、リーグ戦に出れるチャンスを与えられた。俺はどこでもいつでも寝れる。でも初めて寝れなかった。0対0後半残りワンプレー、瀬山out木田in。最後のコーナーキック、たくみのヘッドのこぼれを俺が押し込んで、決勝点。熱すぎる。ここまでリハビリ頑張ってきてよかった。ほんとに楽しみでしかなかった。



12月5日、リーグ戦最終節にして引退試合。

目の前で俺のサッカー人生は終わっていった。ほんとうにほんとうにしんどかった。出させてあげられなくてごめんなって瀬山とか中田に言われるのもつらいし、みんなが笑ってるのを見るのもつらい。毎年、毎年先輩たちが引退していくのを見てきて、やりきった姿っていいなって思ってた。でも、俺これでやりきったって言えるのかな。正直、この2ヶ月俺ははっきり後悔がないって言える。最近きてないあの人に目の前で聞かれても自信を持ってベストですって言える。そんなんもんがベストかって言われたら言い返せる自信もある。ちょっと盛ってるけど。本当に後悔はない。でも、後悔をずっと探してしまう自分がいた。結局、俺は試合に出れなかった。だからこそ、もっとリハビリに真剣に取り組めたんじゃないのか、チームをもっと自分の力で鼓舞する事ができたんじゃないのかって考えるけど、やっぱりやり尽くした。だからこそ、きつい。俺の全力がこの結果だったのが1番きつい。もっと適当にリハビリやっとけば、声も出さないで練習見てれば、戸田さんにフィジコって言われて内心めっちゃつらかったしアップなんて適当に仕切っとけば、悔いが残ったとか言えたのに。いつこのしんどさは消えるんだろうか。なんだかんだ結局、時間って最強だし1年後にはこの気持ち忘れてるんだろうな。でも、このブログ自分で読んで思い出すんだろうな。この2ヶ月が自分の糧だって言える日が来たらいいな。早く来て欲しいな。



後輩へのちゃんとした言葉は他の同期が言ってくれるだろうから俺からはほんとになんもない。こういうプレーヤーもア式にいたって頭の片隅に置いといて欲しいだけ。ただ、大怪我をこれからして、自分で自分の気持ちが処理できないやつは俺に連絡ください。痛いほどその気持ちがわかるから。



最後に、、こんなブログになったけどこれまで長いサッカー人生を支えてくれた、指導者の方たち、マネージャー、後輩、先輩、同期、そして両親、ありがとうございました。


サッカー最高に楽しかったです。


3.たつへの質問


最近のア式では隠し事がブームですが、たつのまだ隠してる事教えてください。ないなんてないです。


#11 木田力斗

2020年12月15日火曜日

「自分にとってのサッカー」

 1.ミロへの質問

YouTubeで「ミッツチャンネル」を見てみてください。

ホテルに泊まります。観光産業の再生に貢献してきます。


2.「自分にとってのサッカー」

4年間本当にお世話になりました。

そして、本当にありがとうございました。



ここでは自分が部活でサッカーすることに対して、感じたことを書こうと思います。


大学に入学したての頃、ある友人に

「人生に目標を持っている人は部活なんてやらない」

と言われました。(こんなにキツイ言い方はされてないですが、本質的にはこの通り)

彼の主張では、現在の活動に意味があるかどうかは将来的な理想像から逆算して判断されるもので、プロスポーツ選手になりたい人以外はもっと有意義なことをすべき、とのことでした。


彼には明確な目標があって、それを叶えるために今すべきことを逆算して取り組んでいるようでした。

当時は、なるほど、時間は有限なのでこの主張も一理あるな、と思いました。

僕としてはサッカーが好きだし、やるなら本気でやりたいから、体育会サッカー部でサッカーをする。そう考えていましたが、これでは選択を正当化するためには不十分だそうです。


確かに、目標を持たず、日々をぼーっと過ごしていても何も生まれないことはその通りでしょう。


でも、僕は"やりたいこと"はこれまでの経験を糧に見つけるものだし、その活動の意味は自分で見出すものだと思います。

目標や使命は、正の感情にしても負の感情にしても大きな揺れ動きの中で見つかるものだと思います。そのためにはサッカーが必要だし、サッカーしか見つけられなかったのでしょう。


チームが負けているのに試合に出ることすらできない悔しさや、自分がスタメンを外されてからチームが勝ち始める虚しさや、リーグ戦で結果を出すことの難しさ、努力が身を結んだ時の感動、はやった人にしか分からない。

この感情の振れ幅はどれだけ本気で向き合えたかによるのだと思います。


結局のところ、部活でサッカーをやる意味とは自分次第なんだろう。


もっと色々な学びを得られたのかもしれないですが、自分にとっては、大学でサッカーをやる意味はありました。


なぜ部活をしているのか。もう見つけている人も今探している人もいるかもしれませんが、この先も頑張ってください。

応援しています。


3.最近の出来事

・一昨日1000日でした

・サウナ会続いてるのか気になります

・花笠家めちゃくちゃ美味いです


4.木田への質問

どんな社会人になりたいですか?


#10 ヘルバート弥呂

2020年12月14日月曜日

「4年生として、9番として」

 1. 江口の質問への回答

本命は拓です。これまで以上のさらなる飛躍を期待しています。

期待枠としては由都と善養寺です。

由都は今年以上のプレゼンスを出せると思っています。

善養寺はシーズン終盤よく点を取っていたし、FWとしてセンスがあると思うので、まずはトップに定着してまーぼとか戸塚に怒られながら成長してください。

一応、春平も期待してます。


2.「4年として、9番として」


最後のブログということで、引退から一週間いろいろ考えたことを書こうと思う。これは自分の価値観で押し付ける気はないし、そんなことを思ってたんだ程度に読んでほしい。書きたいことを書いた結果あまりまとまらなかったが、うまく伝わってくれることを願う。


はじめに、同期、後輩、一緒にプレーさせてもらった先輩方、日ごろからチームを支えてくださるOB・OGの皆様、そして大学でもサッカーをさせてくれた両親に感謝を伝えたい。

本当に楽しい4年間でした。本当にありがとうございました。




一か月くらい前だったと思う。同じリーグに所属する高校の後輩が、「エースの自覚」という題名でブログを書いていたのをたまたま見た。内容は題目の通りエースとしてのピッチ内外の振る舞い、今後の抱負なんかが語られていた。

このブログを読んで最初に思ったのはすごい、ということだった。というのは、彼が自信をもって自らをエースと称し、それを外部に発信できているからだ。自分は高校時代から彼を知っていて、うまいのは重々承知なのだが、最高学年でもない彼がそれだけの自覚と責任をもってサッカーに取り組み、なおかつそれを発信できるだけの自信があるのがすごかった。

自分はこれを去年かけたか?絶対にかけない。

自分のア式人生を振り返ると、一年生で公式戦に多少なりとも出場して、二年生ではリーグ戦デビュー、半分くらいスタメンで出た。三年生ではだいたいスタメンで使ってもらったし、今年もケガの期間を除けば全て試合に出た。字面だけ見れば順風満帆な大学サッカー生活だが、実際はそんなことなかった。

今年は9番もつけさせてもらって、多分いろいろな人に期待してもらっていたと思う。結果的には今年は点を取れて、得点ランキングにも名前が載った。戸田さんにもご指導いただいて、昨年に比べればうまくなっただろうし、一年生から積み上げてきたいわゆる努力の結果なのかもしれない。

でも自分の中で最も大きいと思うのは自覚の違い。

先輩がいない、最高学年、ましてや長いこと試合に出ている責任。

プレッシャーではなくて自分がチームを引っ張って、勝利をもたらすという気持ちを一年間継続させること。自覚と責任。自分にとってはこれが今年一年のすべてだったと思う。


思い返せばア式に入るということから始まっていろいろな選択をした。特に今年は多かった。戸田さんに関わってもらうか否か、コロナ下の活動、週の活動回数、AB分け、下位リーグになって4年の進退など。全員一致で決まったことって最後のやつくらいだったと思う。これらを正解にできるかは自覚と責任による。

何のためにサッカーやってんの、なんで一部昇格したいの?いつかのミーティングの議題だった気がする。自分は間違いなく自分のため。サッカーが大好きで勝つことが面白いからうまくなりたいし、自分の成長のためにやってる。今年もそうだった。正直後輩の成長とかあんま考えてこなかったし、というよりそんな余裕はなかった。でもその没頭が自覚と責任なのだろう。本当の意味で本気になれる。これは最高学年の特権だと思う。責任と自覚は没頭の上に存在する。4学年しかいない大学サッカーでは先輩後輩関係ないなんてよく言われるが、それは立派な最上級生の存在に立脚するのではないか。


エースとして試合に出ていたわけだが、自分が知る歴代の“エース”に比べれば足元にも及ばない。だからこそがむしゃらにやって、純粋にうまくなることを追求する。それでも技術でいえば下手だったけど、何とか二部ではやれた。点も取れた。もし後輩が自分の背中を見て何かを感じてくれたなら今年の自分の取り組みは本気だった証になると思う。自覚と責任がこの代に、自分に足りていたか、そしてこの組織と活動に没頭できていたかは後輩が判断するもの。

自覚と責任を持つことや、没頭することは大変なことのように書いてしまったが、考え方次第では単純なことなのかもしれない。だって全部背負えばいいのだから。チームの勝利、チームの雰囲気、組織として機能するかなど、全部自分の問題。テストでは80点を目指すより100点目指す方が単純だろう。


最後に先輩っぽいことを書かせてもらうと、今年の三年生は本当によくやってくれたと思う。四年との仲の良さもあると思うが、対等な立場で議論できた。臆することなく意見してくれた。二年生にはもっと頑張ってほしい。昨年はAチームに絡む人がほとんどいなかったが、今年はスタメンに定着する人、Aチームに定着する人が増えた。でもまだ足りない。特に上の選手、満足するな。今の取り組みが十分だとは思わない。もう十分やっているとか、だけど誰かのせい、何かのせいにしてうまくいかないみたいな顔している選手が多い。サッカーって理不尽なものだと俺は思う。つらいことも多い。それでも部に所属して、Aチームに関わるんだったらやらなきゃいけないし、三年生をもっと脅かさないといけない。


昨年まで代々いた、一人で試合を決めることのできるスーパーな選手はもういない。そういうア式ではない。それでも二部でプレゼンスを出して、一部に昇格する。不可能ではないと思う。ア式は今、本質的な変革期にいる。がむしゃらに、本気でサッカーしてみろ。楽しいから。みんなはこれに共感してサッカー部に入ったんだと思う。一・二年の頃はわからなかった体育会に入ることの機会費用が今ならいろいろわかる。それでも、もう一回選択の機会があってもア式を選択すると思う。それぐらい価値のある活動で、組織だと思う。

チーム一丸となってサッカーしているア式らしさを人工芝の小平で見られることを期待しています。



3. 最近の出来事

文章まとめるのって難しい

三年生、一緒に就活しましょう

中田をよろしくお願いします


4. ミロへの質問

僕と三年生に就活アドバイスをください

クリスマスのデートプランを教えてください

#9 瀬山謙人


2020年12月13日日曜日

「三本の矢」

 1.中田への質問の回答

めちゃくちゃ謝りました。

酒にだけは飲まれないと心に誓います。


2.「三本の矢」


僕は物事を成し遂げる上で、大事なことが三つあると思っています。合ってるかどうかはわからないですが、上手くいってる時はこの三つが揃っていて、何かうまく行ってない時は大体この三つが揃ってない気がします。僕のア式人生では全体で見ると、この三つが揃ってないことが多かったように思います。怪我をしたり、大事な試合でシュートを外したり、自分のこだわりに固執したり。この時も、三つのどれかが欠落していました。


僕は人生全体で見ても、上手くいかなかったことの方が多かったです。中学受験は第四志望にしか受からなかったし、高校最後の試合は骨折して出られなかったし、大学受験は第一志望に落ちたし、ア式ではリーグ戦に出られませんでした。八田がグランツリーで13000円負けて萎えてる中、松田が「人生トントンだから」って慰めてた時、あれ実は僕にすごい刺さっていて、泣きそうになってました。冗談はさておき、こうした上手くいかなかったことも、振り返ってみると、三つのどれかが揃っていなかったです。何でその時に気づけなかったんだろう、って何度も思いましたが、こういうものって失敗の先で得られるもので、これまでの自分の失敗や後悔を無駄にせずにしっかりと受け止めることができた証なのだろうと思います。辛いこともしっかりと受け止めて、乗り越えた先に見えるものを大切にすることが重要です。たくさん後悔して、たくさん失敗してきた自分だからこそ得られた人生の教訓が、この三つの大切なことです。僕のオリジナル理論であり、皆んなに当てはまるとは限らないですが、参考程度に聞いてほしいと思います。焦らしましたが、三つの大事なことを言います。


三つの大事なこと、それは以下の通りです。


①アイデンティティーの確立

②謙虚に直向きに努力すること

③周りへの感謝と愛情を忘れないこと


この三つを意識していれば、大抵のことはうまくいく気がします。

もちろん、運とか色々あるので、これで全て上手くいくわけではないですが。でも、運は少なくとも努力してる人の前にしか現れないと思います。だから、この三つを実践しないとやっぱり上手くいかない気がします。脱他力本願思考。


アイデンティティーを確立し、自分がどんな人間なのかを把握する。そうすることで、自分の現状が理解でき、目標との距離がわかる。目標との距離がわかれば、足りないものがわかる。それを補うために直向きに、謙虚さを持って努力する。ただ、目標は一人で達成できるものは少ない。そこで、周囲への感謝と愛情を忘れずに行動する。そうすれば、周囲の力を借りることができ、その力が目標達成を後押ししてくれる。


口で言うのは簡単ですが、体現するのはとても難しいです。僕もこの三つを実践するスーパーな人材になりたいって思いますし、ア式にもこういう組織になって欲しいです。ア式がこの三つの矢を体現し、今よりもっと素晴らしい部活になることを期待しています。色々なしがらみがあると思いますが、それらに屈することなく、「謙虚に、直向きに」頑張って下さい。応援しています。


3.最近の出来事

・RGみたいに焦らせない自分の文才の無さ。

・隠し事って精神的に良くない。

・滝に打たれる夢でうなされる。


4.瀬山への質問

エースから見て、来シーズンの得点王は誰だと思いますか?理由も教えて下さい。


#8 江口雄介

2020年12月12日土曜日

「全部欲しい」

 

1.宮林の質問への回答

何一つ変わりません。理由は本文を読めば分かるかと思います。

ただ付け加えたいことが一つだけ。それは、宮が雨と「仲間」として肩を並べるためには、こんな無難で面白みのない質問をしているようでは駄目だということです。僕は、この質問を初めて見たとき「宮らしい、毒の無い質問だな」と思い、優しい宮と過ごした懐かしい日々を思い浮かべて涙したものでした。でも、それは僕が長い月日を宮と共にした友人だから思うことです。仮に僕が宮の意中の女性であれば、つまらなく感じて宮に失望するでしょう。宮はいい加減、優しいだけの男はやめなければならないと思います。そうでなければ、永久に雨に煮え湯を飲まされることになると思います。この点を改善し、宮が雨と対等に話せる日が来ることを心からお祈りしています。

 

2.「全部欲しい」

一橋大学ア式蹴球部4年の中田裕之です。このブログでは4年間を振り返ってみたときに自分が感じたこと、それをもとに後輩に伝えたいこと、そして自分のこれからについてお話したいと思います。

 

 ア式蹴球部で過ごした4年間は、辛く、楽しく、切ない、それでいて恵まれた日々だったと痛感しています。

 

 つらかったのは、初めの2年間。初めの2年間の辛さは、僕が抱える理想と現実の乖離によるものでした。小中高といわゆる強豪チームに在籍した僕は、正直、一橋で試合に出られないなんてことはないと思っていました。しかし、実際には正樹さんや城所さんといった優秀な選手が多くいて、公式戦に出ることはおろか、A2に昇格することさえできませんでした。つまらないプライドばかり抱えて、自分の能力を過剰評価し、B2でちやほやされる立場に甘んじていた自分が結局のところ悪かったのですが、今思い返してもあの2年はつらいものでした。

 

 楽しかったのは4年間、ア式で過ごした全ての日々です。初めの2年、辛いことばかりであったかのように上述しましたが、試行錯誤しつつ自主トレに励み、自分の身体能力が明らかに向上していることを感じた毎日は充実したものでした。サッカー面以外でも、同期をはじめとして、生意気で自信過剰な僕を優しく見守ってくれる仲間に囲まれて過ごした日々は、今思い返してもかけがえのない愛しい日々です。たくみが自転車でこけるのを見て爆笑したり、そんな何気ない瞬間も失ってみて初めてとてつもなく価値あるものだったのだとしみじみ感じています。

 

切なかったのは最後の一年です。新型コロナウイルスの影響でサッカーができないどころか、大学で同期に合うことも叶わず、リーグ開催時には引退まで3か月。どうしようもないことだとは理解していましたが、全てを捧げてきた大学サッカーを、最後こんなみじめな形で終えることになるとは思ってもみませんでした。最後の練習が日野で終わったとき、この4年間、必死でサッカーに打ち込んできた自分たちの代が、時間の観点からもリーグ戦績の観点からもこれほど不満足な形でサッカー人生を終えることが、惨めで不憫でなりませんでした。

 

 恵まれていたのは4年間、ア式で過ごした全ての日々です。上述した内容とやや重複しますが、仲間にも環境にも本当に恵まれていたと思います。他の大学を見ていても、これほどまでにやる気のある仲間がいて、互いに人格をリスペクトできる仲間がいて、一緒に過ごしていて心地よい仲間がいて、活動を支えてくれるOBやマネージャーのいるチームはないと思います。

 

 以上を総合すると、ア式での4年間は最高に楽しく恵まれたものだった、感じます。辛さは成長のためには不可欠だったと思うし、切なさは恵まれていたからこそ、そこを離れるのが惜しくて感じたものだったはずです。

 

 だから、これからのア式蹴球部を担う部員には全て出し尽くしてほしいと思います。これが、僕が後輩の皆に伝えたいことです。僕が「恵まれていた」と感じた大前提として、自分ができることはやり切ったから、ということがあります。僕個人の観点では、サッカー・サッカー外に分けると、前者の面では最高の成功体験をしたと思います。包み隠さず言うと、自分はア式史上最も、下から上に上り詰めることに成功した人間だと自負しています。ア式を去る多くの人はサッカー外で「ア式で最高の仲間を得た」と言って去ります。しかし、多くの人はサッカー面で「最高のサッカー人生だった」という実感をもって引退することはできないのでは、と考えています。当然、僕は最高の仲間も手に入れたと確信しています。

 

 ア式蹴球部で得られるはずのものを全て得て、充実感と共に引退するためにも、仲間を大切にしつつ何もかもすべてをサッカーに捧げてください。食事も、睡眠も、入浴も、日ごろの歩行も、何から何までサッカーの上達のために使えるはずです。

 

 そして、皆さんとしてはどうでもいいことかもしれませんが僕のこれからについて。結論としてはもう1年、プレーヤーとしてア式蹴球部に残留したいと思います。上述した内容と矛盾しているのは明らかだと思います。まるで自分のサッカー人生に一点の悔いなし、と感じているかの如く書いたのでそれも当然だと思います。でも、僕はサッカー人生に後悔はありませんが、ア式人生には大いなる後悔が残っています。それはア式蹴球部を1部に復帰させられなかったことです。だから、残ってもう1年挑戦したいと考えています。ア式にはたくさんの愛をもらったので、この一点、どうしても諦めることができません。

 

 とんでもないわがままを言っていると思います。しかし、僕は何もかも全部欲しいと思っています。ア式を1部に昇格させたいし、外資コンサルで高給取りになりたいし、幹部自衛官として国防も担いたい。たった1度の人生だから、一切妥協したくないと考えています。

 

 後輩には特に迷惑をかけることになると思います。同期にも心配をかけることになると思います。しかし、やるからには今まで以上に本気でサッカーに打ち込んで、来年の秋には同期の皆と小平人工芝グラウンドで1部復帰を喜び合えるように、誠心誠意ア式に尽くしたいと思います。

 

 だから、あと1年だけ皆さんに応援していただけると幸いです。

 

3.最近の出来事

・移住先、小平にすべきか国立にすべきかで迷っています。

・追いコン、どんなモチベで行けば。

 

4.江口への質問

・飲み会での例の発言後、あやなちゃんには謝りましたか?


#7 中田裕之

2020年12月10日木曜日

「人の中で生きる言葉」

1.太田からの質問への回答

ライバル雨宮の最近の活躍に刺激を受け一肌脱ぐ決断をしたそうですが、今後の戦略を教えてください。

→あめの事はライバルではなく仲間だと思っていますが、「人は失敗からこそ学ぶ」という

言葉を胸に行動したいと思っています。


2.「人の中で生きる言葉」


ア式の人の沢山の言葉は自分の中で生きている。

最後のブログを書くにあたってア式で過ごした時間を思い返していたら、そんな風に思った。


圭吾さんとか健也さんとか自分が1年生だった時の4年生のブログで自分に刺さった言葉は、3年も前の文章だけど今も心に残っている。


最近の事で言うと、幕張でミーティングをした時の木田の心の中、八田がグリッドの誰よりも声を出してパス練習を引っ張っていたこと、最後の試合で失点の後に松田が声をかけてくれたこと、最後の練習で城所さんがア式の人との関係性について話していたこと、大げさではなく忘れる事はないんじゃないかなと思う。


去年の冬の東京都トーナメントで、怪我から復帰して初めてベンチに入れた時、応援に来てくれていたちょもさんが試合の前に「やったな!」と声をかけてくれた。もしかしたら、それがア式にいた中で一番嬉しい言葉だったかもしれない。ちょもさんも去年怪我をしていて、長い間一緒にリハビリをしたり練習を見学したりしていた。辛い時期を一緒に過ごした人にそう言ってもらえることが嬉しかった。他の人からしたら小さな出来事に見えるかもしれないし言った本人も覚えてないかもしれないけど、自分にとっては、とてもとても嬉しかった。


そうやって貰った沢山の言葉はこれからも自分の中に残り続けて、自分の大切な部分を形成する一つの要素になっていくのだと思う。自分はもう誰に何を言ったか覚えていないけれど、もしも誰かの心に自分の言葉が留まってくれていたら、そしてそれが良い影響を与えることができていたら、たまらなく嬉しい。


コロナで活動ができない間、自分はメンタル班として同期にインタビューを行なって色んな話を聞くことができた。その中で多くの人から「成長」という言葉が出てきたのが印象に残っている。自分は4年間を通してどのくらい成長できたのだろうか。引退したばかりでまだ色々な事が綺麗にまとまっている訳ではないから実感するのはもう少し先になるかもしれない。けれど、自分の弱い部分を認められるようになった、自然と人に感謝と尊敬の念を持って接することができるようになった、失敗からこそ学ぶと思えるようになった、そんな小さなことが積み重なって、少しずつ成長できたのかなとも思う。



最後に、これからもア式でサッカーを続けていく人たちへ

(特にBでサッカーをしていた期間が長かった人たちへ)


個人的な意見ですが、何か目標を達成してから自分にとっての本番が始まる、とは思わない方がいいんじゃないかなと思います。

特にBでサッカーをしている人に向けて言えば、Aに上がってから、ベンチに入れるようになってから、レギュラーになってから自分にとっての本番が始まる、もっと言えば自分の本当の人生が始まる、とはあまり思わない方がいいのではないかっていう事です。目標を目指している途中の期間もとても大切で、できるだけ楽しんで活動に取り組んだ方がいいのではないかっていう事です。


もちろん強い気持ちで上を目指すのは必要な事です。結果にこだわる事を否定しているのでは決してありません。Aで活躍している人がいる中で、Bで練習をしなければいけない事はとてつもなく悔しいし、時には辛いかもしれません。でも、腐らずになるべく楽しんでやってほしいっていう事です。


自分は大学2年の終わりから3年の夏頃まで怪我でサッカーをすることができませんでした。自分がサッカーをできていない事、またそのような状況で同期が試合で活躍している事が悔しくて、正直その時期は胸の真ん中にイライラが渦巻いて仕方がなかったです。でも今考えると少しもったいなかったと感じます。自分にできる事をもっと楽しみながら頑張れていれば、より良い時間を過ごすことができたのではないかと思います。


何かを目指している間も、あなたにとってかけがえのない人生の大切な時間です。

だからどうか、辛いこともあるかもしれないけど、できる限りその間も楽しんでほしいです。できるだけでもいいから、楽しんでほしいです。


応援しています。今までありがとうございました。


 

3.最近の出来事

じんご飲み、福岡旅行、麻雀を覚えてやるのが楽しみ


4.中田への質問

引退後に中田がどのような食生活を送っているかが気になっているので教えてほしいです。

#6 宮林佑汰

2020年12月9日水曜日

「当たり前のこと」

  1.ヒデからの質問への回答

今まででのア式生活で一番アツかった瞬間を教えてください。

→やっぱり最後にみんなで歌った栄光の架橋です。



2.「当たり前のこと」

 引退する少し前になんでア式に入ったんだろうって考えたことがある。多分当時は、「どうせやるなら真剣にやりたいから」みたいなことを言っていたんだけど、今考えるとただサッカーをやめる勇気がなかっただけなんじゃないかと思う。これまでの人生でずっと続けてきたサッカーを辞めることで、自分の中の大切な何かを失ってしまうのではないかという漠然とした不安から、ア式でサッカーを続けることを選んだのではないか。


 では自分がサッカーに真剣に取り組む中で、大切だったことはなんなのか。それは大事な試合に勝利した高揚感でも達成感でもなく、日々の取り組みだったのではないかと思う。1日1日の練習に対して、考え、真剣に取り組み、それをチームメイトと共有する。出来なかったことができるようになれば嬉しいし、しょうもないミスを繰り返せば悔しい。これらのことは普段は当たり前すぎて特に意識しないけど、引退が近くなり、更には引退して改めて振り返ってみると、その1日1日が楽しかったんだなと感じる。


 Mr.childrenの「少年」という曲には「「幸せ」はいつだって 抱きしめたとたんにピントがぼやけてしまうから」という歌詞がある。部活に毎日来て、練習してということは自分たちにとっては身近にありすぎて、ピントがぼやけてしまっていることなのかもしれないけど、真剣に取り組めるものがあって、それを全力でぶつけられる場があって、喜びも悔しさも分かち合える仲間がいるということは紛れもなく幸せなことだ。


 人生においてこんなにも1つのことに真剣に取り組むことができる時間はそんなに長くはないだろう。だからこそ、後輩のみんなには残された1日1日を大切にしながら過ごしてほしい。リーグ戦での勝利・昇格を目指してやるのは勿論だが、それと同時に、普段は意識しない身近にある幸せを意識し、噛み締めながら毎日を過ごしてほしいと思う。


3.最近の出来事

通算得点がたくみと林より1点少ない、ただそれ  だけで2人にバルバッコア奢ることになりました。

この部活はおかしいです。


4.みやへの質問

ライバル雨宮の最近の活躍に刺激を受け一肌脱ぐ決断をしたそうですが、今後の戦略を教えてください。


#4 太田悠斗

2020年12月8日火曜日

「ライバル」

 1.健太からの質問

約1ヶ月前に雨宮くんに吉報があったようですが、その要因の分析をお願いします。


彼の多重人格性がプラスに働いたようです。

ここまで毎回のデート毎にドラマが生まれているので次回以降にも引き続き期待しましょう。


2.「ライバル」


日々の取り組みの中で色々な妥協してしまいたくなる瞬間があると思う。

気が遠くなりそうなタバタのマンクラの時、200×8で息ができず足が動かなくなって来た時、大事な試合でミスをしてしまった時、

失敗が許されないパス回しでミスを連発した時、

ジムにどうしても行きたくない時。


そういう妥協してしまいそうな時に、自分で自分をコントロールできる事が理想だ。自分の確固たる目標とあるべき姿を持ち、常に自信と勇気をもって取り組むことで怠惰や困難を乗り越えられるだろう。


でも、どんな時でも完全に自分をコントロールして追い込み続けることは本当に難しい。


自分も GKが1人の状況を経験して身をもって体感した。外的要因や環境など変えられないもののせいにしたら駄目だと思っていても、どこか集中力が抜けてしまっている感覚が抜けなかった。ポジション争いの緊張感がなく、比較対象は過去の自分だけという状況で、正直自分で自分をコントロールできていない時もあった。


そんな自分だけでは諦めて妥協してしまいそうな時、仲間の存在は本当に重要だ。自分では締めきれないネジを締めてくれる。特に同じポジションであるライバルの存在は、思っている以上に自分を奮い立たさせてくれる。


バタケといぶきが入部してくれたおかげでそれを心から実感した。特にバタケの存在は本当に大きかった。苦しい時や不甲斐ないプレーをした時や手を抜きたくなる時に、あいつならもっと頑張ってるはずだと真っ先に姿が思い浮かんだ。情けない自分を奮い立たせてくれるだけでなく、常にやらないといけないと思わせてくれる存在で、良きライバルだったと思う。(少なくとも一方的に俺はそう思っていた。)


これは相手を認めリスペクトしながらも、意識しあい互いが上手くなるために本気で取り組んだからこそ得られた関係性だと思う。相手がめちゃくちゃいいプレーをしたら心から嬉しいし、自分も負けるかと頑張れる。そして何よりおかげで毎日の練習を楽しみながら取り組むことができた。今となってはこれこそがいわゆる「良い結果は良い関係性から」を体現していたのではないかと思う。


自分にとってのバタケように、みんなには苦しい時や辛い時に思い浮かべると自分を奮い立たせられる存在はいるだろうか?ポジションに関わらず、こいつがピッチで出来ないなら仕方ないと本気で思える仲間はいるだろうか?


いるのならばそいつをリスペクトして見習いながらも、負けないようにがむしゃらに出来る限りのことをやってほしい。いないのならばそうした存在に自分がなってほしい。そして自分の熱量をどんどん伝染させていってほしい。


そうやって高め合いながらがむしゃらに日々の練習に取り組める関係性の数が多ければ多いほどチームは強くなっていくはずだ。ア式はそれがもっともっと出来る組織だと思う。



P.S  GKへ


ばたけ

まじで感謝してます。今までありがとう。

苦しい我慢の時やけど、出来る事から着実にな。

絶対リーグ戦に戻ってこいよ。あと股割り。


いぶき

超絶成長中でめちゃ上手くなって嬉しい。自信持ってくれ。練習はできてきてるから試合で使えるように意識してみて。俊敏性と筋肉をこの冬バタケに鍛えてもらってくれ。あとちゃんと練習のビデオ見なさい。客観的な視点も大事だよ。


あまね

着実にこの数ヶ月で上手くなってるけど、気を抜かずに基礎からじっくり取り組んでいこう。反応はあるし基礎さえ詰めればどんどん上手くなるはず。中距離キックは4人の中で1番うまいから自信持って。2人の練習になるけど、その質はあまねに懸かってると思うから頑張れ。


3.最近の出来事

・いぶきが泣いてくれた事が引退日のハイライト

・カップラーメンってこんなまずかったっけ?


4.太田への質問

今まででのア式生活で一番アツかった瞬間を教えてください。


#1 中野英司

2020年12月2日水曜日

#MGR 清水真衣

 この度ア式のマネージャーになりました、商学部1年の清水真衣です。出身高校は兵庫県の白陵高校です。

私は中高の六年間放送部に所属しており、ばりばりの文化部だったので大学では新しいこと、特に体育会系に入りたいと思っていました。ですが新型コロナの影響で新歓のイベントがなくなり、どこに所属するか決められないまま9月まで過ごしていました。そんな中で同じ1年のプレイヤーの人達がクラスにいて、何にも入っていなかった私に声をかけてくれ、ア式を知るきっかけになりました。見学をしている中でプレイヤーの方たちのお互いに信頼しあっている雰囲気や、マネージャーの先輩方の選手を支える姿勢にひかれ、入部を決めました。まだまだ入部したてで、わからないことやできないことだらけですが、自分なりに精一杯マネージャーのお仕事頑張って行けたらいいなと思っています。

2020年11月24日火曜日

# 赤松歩人

 仙台二高出身、社会学部1年の赤松歩人です。入部した経緯と今後の抱負を書かせていただきました。拙い文章ですが読んでいただけると幸いです。


僕は小2頃から地元のスクールに通いはじめてサッカーを始めました。その頃は練習というよりは友達との遊びの延長という感覚でサッカーをしていました。その後小5あたりからベガルタ仙台のスクールにも通うようになり、そこで基礎的な技術を教わり徐々に本気でサッカーに取り組むようになりました。中学に入学し当然のようにサッカー部に入りましたが、進学した中学は部活ではなくサークルという制度をとっていて、週に3,4日しか練習できず、公式戦はほとんど初戦敗退でした。学校での活動以外にも個人での自主練にかなり力を入れて他校の選手に追い付こうとしましたが、思うように結果が出せず中総体は地区予選初戦敗退で引退しました。中学の経験でサッカーに対しモチベーションが上がらず、また中3の夏に駅伝に参加していたこともあり、高校では陸上部に入部しました。仲間に恵まれ、練習にも熱心に取り組んである程度納得のいく形で引退まで活動することができ、高校で陸上を始めた選択は間違っていなかったと思います。ただ、あれだけ好きだったはずのサッカーを中途半端なままやめてしまったという感覚はずっと残っていました。


その後1年の浪人を経て一橋に合格し、所属団体を考えたとき真っ先に候補に上がったのがア式蹴球部でした。入部希望者のLINEグループにも春先の段階で入れてもらい気持ちとしては入部したかったのですが、これだけブランクが大きくて入部してやっていけるのか不安でずっと保留にしていました。散々悩みましたがやはりもう一度真剣にサッカーをしたいと思い、他の1年から1か月ほど遅れたタイミングではありましたが、入部を決めました。今は感覚が全く戻らず、自分の能力不足で周囲に迷惑をかけてばかりなので少しでも早くチームに貢献できるよう頑張りたいと思います。


2020年11月17日火曜日

#STF 近岡頌

 自己紹介ブログ

こんにちは、1年スタッフの近岡頌です。

麻布高校出身で、商学部に通っています。偉大な先輩方のお陰で、ぶっ飛んでいる話やキャラを期待されることが多々ありますがお許しください。


自己紹介ということなので僕のサッカー遍歴、入部理由を書いていきたいと思います。


僕は幼稚園に通っている時ドイツに住んでいて、サッカーを始めました。ドイツワールドカップが開催され、住んでいた街の近くに日本代表が来ていたこともあり、サッカーにハマっていきました。そんなこともありドイツ代表やバイエルンミュンヘンといったチームは今でも応援してます。日本に戻ってもサッカーを続け、中高6年間は学校の部活動に入ってました。ポジションはボランチやインテリオールをやっていて、好きな選手はバラック、シュヴァインシュタイガー、ラームなどなどでした。今はキミッヒが1番のお気に入りです。ポリバレントで、すごくクレバー。身体は大きくないけど、ピッチでの存在感はずば抜けていて、キャプテンシーもある。すっごく魅力的な選手だとおもいます。


少し話が逸れてしまったのですが、ここからはなぜスタッフとして入部したのかという話に移りたいと思います。高3の半ばから腰痛がひどく、かなりストレスを抱えながらプレーを続けるという感じでした。受験も終わり、サッカーを再開していたのですが痛みはなかなか引かず、色々と検査をしてみましたが改善の目処はたちませんでした。そんなこともあり大学ではサッカーを続ける予定はありませんでした。


しかしア式のHPやSNSをチェックし、そして新歓活動に参加しているとプレイヤー以外の選択肢があることを知り、次第に惹かれていくようになりました。プレーという形でチームに貢献することはできませんが、サッカーに真摯に取り組む、上級者の方々や同期と活動するということはすごく魅力的で、入部することにしました。部活動に初めて参加した日から上級生の皆さんは優しくしてくださり、凄くありがたかったです。最近ではBチームの練習メニューの作成やTMの時はミーティングなど様々な仕事を任せていただき、また入ったばかりの僕の意見にも耳を傾けていただき、ありがたいなと思うと同時に責任感を感じながら取り組んでいます。


まだまだわからないことだらけですが、選手そしてチームの成長のために一生懸命頑張りますのでよろしくお願いします!


2020年11月10日火曜日

#75 杉田周

 県立千葉高校出身、商学部の杉田 周です。「周」と書いて「あまね」と読みます。GKです。


 自分は幼稚園の頃にサッカーを始め、高3の8月までそれなりにサッカーに時間を割く生活をしていました。指導者に恵まれて楽しく続けることができたと思います。

 とはいえ、特別優秀な大会成績を残しているわけでも強豪チームに居たわけでもなかったので、一橋合格後はかなり迷いました。ア式で通用するのか、サークルで楽しく続けてもいいのでは、勉強がないがしろになるのではないか、など。どこでサッカーを続けるかでこんなに迷ったのは初めてでした。

 それでもア式への入部を決めた最大の理由は、本気でサッカーに取り組めるのはこれが最後のチャンスだと思ったからです。受験期と自粛期間中あわせて丸1年サッカーから離れている間、サッカー自体へのモチベーションに加えて緊張感のある公式戦をもっと経験したいという思いも強まっていました。ただそれは社会人になってからではなかなか得られないものなので、やっぱり最後のチャンスを逃したくないと思いました。さらにそのチャンスには、戸田さんからの指導や雰囲気の良い公式戦を経験できる可能性があり、最終的にはもう入るしかないという気持ちになっていました。

 

 活動に参加して1ヵ月以上が経ちチーム内競争の激しさを実感していますが、その中に埋もれないようにこれからも頑張っていきたいです。

2020年11月9日月曜日

#74 小松怜平

 「自己紹介」

初めまして.北海道札幌南高校出身,社会学部の小松怜平です.

 

サッカーを始めたのは幼稚園のころで,きっかけはよく覚えていません.当時は千葉に住んでおり,小学校に上がると同時に地元のクラブチームに入りました.小2で札幌に戻ってからもクラブチームでサッカーを続けましたが,強豪チームだったこともありほとんど試合に出場できず,ユースチームにも残れませんでした.そこでセレクションを受け,中学では他のチームに入団しました.が,ふたを開けてみればある意味で恐怖政治じみた指導のもと,負ければすぐ罰走,備品失くすと坊主,スマホ所持禁止...などなど所謂スポ根的な一昔前のチームという感じでした.正直なところサッカーが苦痛でしかなく,3年時には主将を務めましたが,リーグ発足以来初の降格という不名誉な結果を残してしまいました.そんなわけで諦めきれず高校でも部活に入って続けたところ,一転して楽しさを感じながら取り組むことができ,最後の大会も完全燃焼といった形で終えられました.

 

大学に入ってからは,サッカーを続ける気はありましたがサークルか部活かで迷う日々が続いていました.一橋を志望し始めてからア式のTwitterをフォローするなど,ずっと興味はありましたが,コロナで練習の体験などができず入部を決めかねていました.しかし,たまたま同じクラスになった相原や福永と一緒に遊びでサッカーをしたり,二人から情報を得たりするなかで,また本気でサッカーがしたいという気持ちが芽生えました.それに加え,オンライン授業ということで自堕落な生活を送っていた春夏学期を振り返ったところ,このままなにもせずに4年間終わってしまうのではないかと不安になり,一所懸命に打ち込めるものが自分には必要だと強く感じました.ちょうどそのタイミングで活動再開となったため入部を決めました.

 

入部してからおよそ一か月半,レベルの高さやサッカーに対する熱量など圧倒されることが多いですが,はやくチームの力になれるよう食らいついていきたいと思います.

2020年11月4日水曜日

#73 北河耕太

 自己紹介(北河)


初めまして、ア式蹴球部一年の北河耕太です。今回が初めてのブログということで、まずは自己紹介をさせていただきます。


僕は父の転勤によりオーストラリアで生まれました。2歳の時に日本に戻り、それから東京都大田区で実家暮らしをしています。中高は神奈川県の浅野中学、高等学校です。そして、一橋大学に入学しました。


次に僕のサッカー歴について書きたいと思います。僕は日本に帰った2歳からサッカーを始めました。理由は、両親が球技をやらせたいと思ったらしく、地元の小さいサッカースクールに入れられました。小学校では地元のクラブチームに入りました。僕はこの時から背が大きいという理由からディフェンスをやっていたのですが、小4か小5の時にたいしてうまくもないのにAチームに入りました。しかし僕のチームは大田区一位でチームメイトにはその後マリノス、ベルディ、フロンターレのユースになった子もいるような勝ちにこだわるチームで、まだ仲良しこよしのサッカーをしていたかった僕にはコーチからの怒鳴り声が苦痛でした。そのため小6の時に中学受験を言い訳に逃げるようにしてチームを離脱して、受験後少し参加した程度です。


中学校に入学した僕はサッカー部に入りました。なぜなら両親が部活に入らなければ許さない考えで、あとは小学校の時にサッカーをやっていた流れで何となく入った感じです。浅野はチームとしては神奈川の中で強くはないのですが、個人としてうまい人は結構いました。顧問はかなり実力を持った方で、なぜ浅野サッカー部で顧問をしているの?と思うほどです。顧問のコネで毎年4人は横浜市トレセンに参加していましたし、そこから県トレセンに行く人もいました。そして、この浅野サッカー部に入った僕はまたしても全くうまくないのにAチームに入り、さらには部長も任されました。このときも中学入学時170cmという身長があったからですかね?しかし、Aチームの試合に出てもヘディングはすべてかぶり、(浅野はポゼッションサッカーをしていたのですが)ましてやビルドアップのことなどは知りもせず失点に直結するようなロストをして毎日怒られていました。部活が本当に嫌で、特に中三の時に高二の先輩にとても厳しい人がいて毎日罵声を浴び、毎日が地獄でした。僕はそこで初めてサッカーがうまくなるにはどうしたらいいのかを考えるようになりました。ヘディングも背がでかいから強いわけではないことに気が付き自主練を重ね、かぶることはなくなり競り勝てるようになりました。ビルドアップに関しても今なお練習中ではありますが以前に比べてだいぶ自信をもってプレーできるようになりました。そして高三7月の引退までサッカーをしていました。


そして大学に入学して、ア式蹴球部に入部しました。入部理由は、高校部活を経験してサークルでは物足りないだろうなと思ったからです。またこれだけ長く続けてきたサッカーをやめたくないと思い、国立大学に入ったら絶対に入ると決めていました。いざ入ってみると、小中高と同じで高いレベルの中でサッカーをさせてもらっていると思います。


このように僕のサッカー歴を書いてみて気づいたことがあります。それは周りにうまい人たちがいる中でサッカーをさせてもらっていることです。まだまだ実力不足な僕は、また小中高と同じように大学でもよく怒られるかもしれません。そうなったとしても高いレベルの中に何とか食らいついて小学校の時のように逃げるのではなく、中高の時のようにサッカーについて考えて自分自身の成長につなげてチームに貢献していきたいです。長くなりましたがこれからのア式蹴球部での4年間、よろしくお願いします。


2020年11月2日月曜日

#72 善養寺峻史

 

ア式1年法学部の善養寺峻史です。拙い文章ですが最後まで読んでいただけたら幸いです。



僕は小学校3年生の時に地元のサッカークラブに入り、サッカーを始めました。この頃はがむしゃらにボールを追いかけていたのを覚えています。中学ではクラブチームに入り、遠征では日本各地を回りました。クラブチームでレベルが高かったため、この頃はサッカーを一番楽しめていた時期だったと思います。

高校でもサッカー部に入りましたが、クラブチーム出身者が少なく中学までのスタイルとのギャップに悩みつつも、3年間奮闘しました。そして今年浪人を経て、ア式に入部しました。サッカーをするなら本気で出来る環境が良いと思っていたので、ア式に入部することに迷いはありませんでした。しかし、思った以上にハイレベルで付いていくので精一杯の毎日です。これからは徐々にア式に慣れて行き、ゆくゆくはリーグ戦に出場出来るようにしたいと思います。

2020年10月30日金曜日

#71 六角勇人

 みなさん、おはようございますこんにちはこんばんは、都立三鷹中等学校から来た1年の六角勇人です。法学部です。ポジションは元々はCMFですが、最近はCBにも興味が湧いてきました。


サッカーは小4から始め、小中高とそのままサッカーだけしてきました。小中では1日2時間で技術的な練習が多かったので毎日楽しかったです。高校に入ると、個人的に嫌いな走りなどのフィジカル的なメニューが増え、いわば「部活は嫌いでサッカーは好き」という状況が生まれました。そのまま高校の3年間は全然大した活躍も出来ず、あっという間に引退を迎えました。選手権予選の直前に怪我をし、完治していなかった上、浪人していたこともあり一時期はア式への入部に躊躇いを感じていましたが、大学の4年間が本気でサッカーを出来るラストチャンスだと思い入部を決めました。部の目標達成に貢献出来るよう頑張っていきます。

これからよろしくお願いします。

2020年10月29日木曜日

#70 野口泰斗

 一年プレイヤー、商学部、小石川中等教育学校出身の野口泰斗です。父に連れられて幼稚園の頃にサッカーを始め、小学生の時はクラブで、中学、高校の時は部活でサッカーをしていました。小学校の頃はボールを蹴るのは好きだけど練習に行くのは嫌いでした。しかし中高時代の部活は、気の合う仲間に囲まれてとても楽しいサッカーができたと思います。そこでサッカーが本当に好きになりました。


僕は高校3年の4月に肉離れを起こして部活を引退し、不完全燃焼となってしまったため、一橋に合格してア式蹴球部に入ろうと思いました。その後なんとか合格し、ア式蹴球部に入ったものの、中高時代のゆるゆるな練習に比べたオンオフの厳しさに驚きました。今の段階では、試合に出れるようになるにはまだまだ学ぶことが多いですが、一つ一つ乗り越えていこうと思います。自分のレベルを高めながら、仲間達とこれから充実した日々を送っていくことが楽しみです。

2020年10月28日水曜日

#69 大石光誠

 はじめまして、経済学部1年の大石光誠です。出身高校は東京都市大学付属高等学校です。高校の知名度がなさすぎるといういじりをされますが、知名度と男子校であること以外は完璧な高校なので、ぜひ一度文化祭など行ってみてください。

サッカーは小学生の時に始めました。そこから中高と続け、高3の春で引退しました。高校では足の速さと運動量で活躍していましたが、受験中はストレスで食べる量が増え、運動も一切しなかったため、足が遅くて体力のないデブへと成り下がってしまいました。

ア式に入った理由といたしましては、単純にサッカーが好きで、他にやりたいこともなかったからです。また、ア式の学年分け隔てなく仲のいい雰囲気に魅了されたことも理由の一つです。

練習に参加する前は、一橋のサッカー部ということで、勉強しかできないガリ勉の集まりなのかなぁと思っていましたが、いざ練習が始まると、周りのレベルが想像の数倍高くてびっくりしました。みんなのように真の文武両道を実現している人たちと共にサッカーをすることで、自分も心身共にステップアップできるのではないかと考えています。早く身体を元のスマートボディに戻し、サイドハーフというポジションに慣れて、ア式の勝利に貢献できるように精進いたします。

2020年10月26日月曜日

#67 清水一貴

 こんにちは。商学部一年、愛知県立刈谷高校出身の清水一貴(しみずひとき)です。初見で一貴を「ひとき」とよんでくれる人がいないので平仮名でも書いておきました。


今回は1回目のブログということで、自己紹介がてら僕がサッカーと出会ってからア式に入るまでの話をしようと思います。僕は幼稚園の頃にサッカーを始め、当時は純粋にボールを追いかけていました。小学校4年生の時に地元?のクラブチームに所属したことをきっかけに本格的にサッカーと向き合うことになりました。当時のチームは小学生にしては勝負にこだわるチームだったので、チーム内でのスタメン争いも激しく、サッカーをすることに精神的な疲れを感じ、中学高校の時も試合に出られない時の悔しさや、怪我をした時のもどかしさからサッカーが嫌になる時もありました。小学生の頃からの疲れが蓄積した結果、大学ではサッカーから離れようと考えていましたが、いざサッカーをやめるとなると、何かを犠牲にして本気でボールを蹴ることが恋しくなり、なんだかんだサッカーが好きだったんだなと、そこで初めて気づきました。結局大学生でもサッカーを続けることにし、やるなら本気でやりたいという理由からア式に入ることに決めたという感じです。


堅い文章でしたが、以上で清水一貴の1回目のブログを終わります。

2020年10月22日木曜日

#63 米凜太朗

 


こんにちは。商学部1年の米凜太朗です。


自分は、父親に勧められて小学1年生の時にサッカーを始めました。

いつの間にかサッカーにのめり込んでいて、中学と高校でも迷わずサッカーを続けました。

中学では良い指導者に恵まれて、個人的に成長できたと思います。

高校では、ア式と同じように、学生主体の部活動で楽しくサッカーできました。


大学では、サッカーを続けようとは思っていたのですが、入学当初は部活かサークルで迷っていました。

結局、戸田さんの指導を受けれることや、同じ高校から2人サッカー部に入ることなどが入部の決め手となりました。

サッカーは自分の人生の中で最も熱中したものですし、辛い時や苦しい時もある分、楽しさや嬉しさが大きいと思ってます。

真剣にサッカーができる環境に感謝しながら、一生懸命頑張っていきたいです。

2020年10月20日火曜日

#62 相原昌典

 


経済学部1年、SMFの相原昌典です。神奈川県川崎市の武蔵新城という小さな都市生まれで中学・高校は麻布学園に通っていました。サッカーに出会ったのは幼稚園の頃で、川崎フロンターレの試合を見に行ったことがきっかけとなりサッカーを好きになりました。小学生のチームは、パスが禁止かつフォーメーションがないという独特なチームで、試合には全然勝てませんでしたが、ドリブルの技術は磨くことが出来たと思います。小学生の時はCBをやっていましたが、中学・高校ではFWをやっていました。正直なところ、一橋大学に入学した当初は、アシキに入るか悩んでおり、サークルで良いかなとも考えていました。というのも、典型的な大学生のように、ひたすら遊んだり、飲んだりする学生生活に対する憧れがあり、部活に4年間を捧げるという覚悟が出来なかったからです。しかし、高校最後の大会に怪我をしながら出場し、全力を出しきれずチームの勝利に貢献出来なかった悔しさや、レベルの高い環境の中で自分はどこまで通用するのか挑戦してみたい気持ちが最終的に強くなり、最後の最後まで悩んだ末にアシキに入部することに決めました。実際に練習してみると、まだまだ技術・フィジカルの両側面において能力が十分ではないと言うことを実感しており、スタメンへの道のりはとても長いと感じています。ですが、アシキに入部することに決めたからには、悔いを残さぬためにも最後まで諦めずに頑張り続けなければならないと思うので努力を怠らずにこれから頑張っていきます。応援よろしくお願いします!

2020年10月16日金曜日

#61 木下涼太

 こんにちは。東京学芸大学附属高校出身、一橋大学経済学部一年の木下涼太です。


ブログを通して自己紹介をするということなのでこの場を借りて自分がア式の一員になるまでの道のりを書きたいと思います。少し長くなりましたが、最後まで読んでいただければ嬉しいです。


自分がサッカーを始めたのは小学2年生のときです。当時野球人気がまだあり、地上波で中継されていた頃だったので巨人の内海と阪神の能見の投げ合いをテレビにかじりついて見ていました。地元の友達とよく野球をしていたこともあり、サッカーをするか野球をするかとても迷いましたがサッカーを選びました。


小学校の頃のチームメートはみんな上手な一方、自分は身体も小さく圧倒的に下手だったので試合に絡むことはほとんどありませんでした。しかし当時の自分はプライドが1ミリもなく、試合に出れなくても悔しいと思ったことがなかったので小学校卒業するまで辞めずに済みました。今ではその頃の自分に大感謝です。


中学生になり、ほかに何もやりたいことがなかったのでサッカー部に入部しました。同期は9人しかおらず、小学校の時に比べレベルも下がったので試合に絡めるようになりました。柔道着で練習に参加するやつがいたのと他人のスパイクをアルコールで浸すやつがいたことくらいしか記憶に残っておらず、とくにたいした成績も収めず引退しました。


高校入学時も、他のスポーツもやってみようか考えていたはずなのですが気付いたらサッカー部に入っていました。入部して3ヶ月たったくらいの時の紅白戦でボランチなのに守備をサボったことを顧問にブチギレられた次の日から徐々にチャンスをもらえるようになり、その年の秋くらいからはスタメンで試合に出れるようになりました。試合に出続けることができたおかげでサッカーを好きになり大学でも真面目にサッカーをしたいと考えるようになりました。これが一橋大学を志望した理由の一つでもあります。


運良くくじ引きで小学校受験を勝ち抜いた自分はエスカレーターの如く高校まで登り詰めたためあまり勉強らしい勉強をしたことがありませんでした。そのため一橋を目指せるほどの頭がなかったのですがそんな状態でも勉強そっちのけで選手権予選までサッカーを続けました(同期の大半はインターハイ予選で引退しました)。結局秋から一橋でサッカーをしたい一心で勉強を始めることになりましたが、気合と根性で受験を乗り越え、晴れてア式の一員になることができました。


慣れない早起きや荷物持ちなどしんどいことはありますが、サッカーを真剣にやると決めた以上、4年間頑張りたいと思います。よろしくお願いします。


2020年10月14日水曜日

#58 小林尚史

 #58 小林尚史



こんにちは。1年経済学部の小林尚史です。


軽く自己紹介をしたいと思います。小学校、中学校はクラブチームでサッカーをしてました。高校は都立国分寺高校のサッカー部に入りサッカーしてました。自分は小学校の頃から出会いに恵まれてて素晴らしいコーチ、先生方、仲間とサッカーしてきたと思います。


そんな中で、何故サッカー部に入部した理由は単純にサッカーが好きだからだと思います。試合で点を取ったり、試合に勝ったりした時の高揚感をもう一度味わいたいという気持ちがありました。


これから、チームに貢献できるように頑張りたいと思います。

2020年10月13日火曜日

#54 駒形拓海

 #54 駒形拓海


こんにちは、法学部1年の駒形です。ポジションはボランチです。ア式に入部したのは、サッカーを長い間やっていたので大学でも続けたいと思ってからです。また2020年から戸田和幸さんがチームに加わったので、海外サッカーや代表戦で活躍し、解説者としても活躍しいる戸田さんの指導を受けられることも入部した理由の1つです。ボール奪取と運動量を武器にチームの勝利に少しでも貢献できるようにしたいです。よろしくお願いします。

2020年10月12日月曜日

#53 木村航大

 #53 木村航大


暁星高校出身、法学部一年、木村航大です。今回は、自己紹介がてら入部理由や意気込みを書きたいと思います。

僕はこれまでサッカーを中心に生活してきました。幼稚園の時に地元のチームでサッカーを始めてから、小学校でもサッカーをやり、サッカーをやりたいと思って中学受験をして、中高時代もサッカー部中心の生活を送りました。中学時代は、走るだけの合宿に行ったり、試合開始時間に起床して怖い監督に電話越しに怒鳴られたりしました。高校時代も、学校に泊ってきつい合宿をしたり、ミニゲーム中、もっと怖い監督の呼び出しを無視し続け、面と向かって怒鳴られたりしました。そうした中でも、中学の時はベンチでしたが、高校になると次第にスタメンで出れるようになるなど、多くの経験がありました。こうした生活はサッカーが好きでやってきたわけですが、その一方で、高校サッカー引退後は、自分の見てる世界はもしかしたら狭すぎるのではないかと感じたりして、大学では何か全く別のことをするべきではなかろうかと思ったりもしました。しかし、高校サッカーを引退し、サッカーから離れると、本気のサッカーの試合を再びやりたいと思うようになりました。また、これまでの経験で、サッカー中心の生活でも、工夫次第で他のいろんなことができると感じたので、大学生活のなかで他の様々な経験をしつつも、ア式の活動に全力で取り組むことで有意義な4年間にできると思いました。そのため、ア式を中心に大学生活を過ごそうと決めました。

部活が始まって1ヶ月ちょっとですが、高校時代と練習や戦い方の異なるサッカーをすることは新鮮です。また、居心地良いです。サッカー部という環境自体に慣れてるからだと思いますが、こういう場所は大学生活を送る上でも重要だとみています。

これからよろしくお願いします。

2020年10月7日水曜日

#45 渡邉直樹

 #45 渡邉直樹


経済学部1年、暁星高校出身の渡邉直樹です。僕は大学生になったらサッカーを辞めて他に何かをしようと思っていましたが、ア式蹴球部に入りました。今回はその決断に至るまでの経緯について書いていきたいと思います。

僕は幼稚園の頃にサッカーを始め、中学受験で暁星に入りました。サッカー部の活動は月曜休みの週6日で、平日は朝練と放課後に練習があり、週末には試合があるという感じでした。朝5時に起きて練習をして、授業を受けて、また練習して、夜7時前に帰ってきて、勉強をして寝る。こんな生活を6年間送ってきました。そのため、高310月に引退してサッカーはもう充分やったから他の事をやろうと思いました。

そんな思いが変わったのには2つの理由があります。1つ目はサッカー以外に何をすればいいか分からなかったという事です。幼稚園からずっとサッカーをしてきたため、何をすればいいのか分かりませんでした。2つ目の理由がア式蹴球部に入ろうと思った1番の理由です。それはもう一度サッカーを本気でしたいという事です。引退してサッカーのない生活を半年程度して、サッカーをまた真剣にやりたいと思いました。決して楽ではない4年間になるのは分かっていましたが、それでもやりたいという気持ちがありました。そんな思いがあったため、ア式蹴球部を選びました。

4年間精一杯頑張りたいと思います。よろしくお願いします

2020年10月6日火曜日

#43 向井友紀

 #43 向井友紀




法学部1年の向井友紀です。静岡から来ました。自分の今までのサッカー人生やア式での意気込みなどを述べていこうと思います。

小学校では6年間地域の少年団に所属していました。入団後最初の試合でキーパーをやり、試合中走らなくて良いこと、キックが飛べば褒められることに多大なる魅力を見出し、そのままキーパーになりました。そしていつの間にかトレセンまで行ってました。対戦相手からは「あのチームのキーパーえぐくね」と囁かれていました。ところが高学年のある時突然キーパーはボールが全然来ない退屈なポジションであることに気付き(キーパーの方すみません)、キーパーをやめました。そこからはずっとボランチ、トップ下です。

中学では足もと系のクラブチームに入りました。もちろん練習は毎回フリードリブルから始まり、試合の合間の時間もフリードリブルでした。なんなら試合中もフリードリブルでした。そういうチームでした。走りなどはきつかったですが、今思えばとても楽しかったし良い経験でした。

高校は部活です。本業は勉強に置きながら部活も真面目に頑張るというチームでした。とてもいい仲間たちで毎回本当にサッカーを楽しみながら部活ができました。練習後にはほぼ毎回自分たちでミニゲームを開催し、何時間も熱中していました。あまりにも熱中するあまり、チームの練習の質をミニゲームの質が超え、チームの練習が疎かになるという事態が発生してしまい、最終的に先生の逆鱗に触れてしまいました。とにかく高校では自分のサッカーを磨きながら、色々な有益なことも経験出来たと思います。

総括すると、自分の今までのサッカー人生は素晴らしい指導者、仲間に恵まれていました。どのチームでも自分のサッカーをさせてもらえ、本当に幸せ者だったと思います。


大学でア式を選んだ理由は、中途半端にサッカーをやっても後悔すると思ったからです。ア式の活動を知ったのは合格発表を得た後でした。自分が入った大学に、プロを目指すわけではない中でも真剣にサッカーに取り組んでいる組織があることを知ってとても嬉しく感じました。

ア式では、まず組織について理解した上で自分なりの貢献の仕方を考えていきたいと思います。また、プレーの面では、自分は今まで何も考えずにサッカーをやってきたので、しっかり頭を使ってプレーすることから始めたいと思います。サッカーを楽しみながらも自己満に陥らず、チームの為にプレーすることを目指していきたいです。

2020年10月5日月曜日

#33 工藤稜也

 #33 工藤稜也



こんにちは、1年、プレイヤー、経済学部、東京都城北高校出身の工藤稜也です。

僕は、兄がサッカーをやっていた影響で幼稚園の頃にサッカーを始め、小学校では地元のチームで、中学校からは部活でサッカーを続けてきました。高校でも、それまでサッカーをやっていたので部活に入部しましたが、受験勉強と部活との両立が難しくなり、高校2年生のときに部活を辞めてしまいました。しかしこの時から、高校で完全燃焼できなかった分、大学に合格したら、また思いっきりサッカーをしようと思っていました。


もう一度サッカーを楽しみたいという気持ちをバネに、無事かねてから第1志望校に設定していた一橋に合格することができ、一番サッカーに打ち込むことができるア式に入部することに決めました。今は、日々練習をしていく中で改めてサッカーの楽しさを感じることができています。今後は先輩方やチームメイトからたくさんのことを吸収して、技術を高めていきたいです。

2020年10月2日金曜日

#STF 長島直紀

 #STF 長島直紀



 はじめまして!兵庫県立長田高校出身、1年スタッフの長島直紀です。入部してからもう半年が経ちますが、初回ということで自己紹介と意気込みを書いていこうと思います。


 僕は一橋大学ア式蹴球部にスタッフとして入部しました。僕が行っている仕事としては、主にBチームのマネジメント、トレーニングメニュー作成、コーチングなど。Aチームでも戸田さんのアシスタントとして練習に参加しています。日々、戸田さんや他のスタッフと頻繁にコミュニケーションを交わしながら、サッカー、そして組織をどうすれば強くできるかについて向き合い、学びを深めています。


 僕は幼稚園でサッカーを始め、高校までは選手としてプレーをしていましたが、高3の時に怪我をしてしまい、選手としてプレーをするには手術が必要な状態となり、今はプレーヤーを引退しています。僕はプロになりたかったし、サッカー選手として成功を掴みたかった。しかし叶わなかった。今でも悔しいです。


 選手を引退して、僕のサッカー人生は終わった、はずでした。一橋大学ア式蹴球部が僕を迎え入れてくれたおかげで、僕はもう一度サッカーへの情熱を燃やすことができています。やっぱサッカーがないと自分の人生ではないな、とア式が気づかせてくれました。だからこそ、戸田さんをはじめ、スタッフの先輩である見城さん、プレイヤー、マネージャーの皆さんには本当に感謝していますし、自分ができる最高の貢献をしたいと思っています。


 まだプレーヤーとしての感覚が残っていて、「サッカーがしたい」ともどかしく思う時もありますが、スタッフとしてチームを見つめ、組織が強くなっていく過程に貢献できれば、その先にはボールを蹴っているだけでは得られない何かがある気がしています。


 僕にとってこの挑戦は、サッカー人生の「リスタート」。


 プレーできない分、1人の人間として大きくなることを使命に、新しい挑戦を楽しんでいく。選手に負けないくらい熱く、誰よりもサッカーを楽しんでいきたいと思いますので、これからどうぞよろしくお願いします!

2020年10月1日木曜日

#19 鈴木元貴

 #19 鈴木元貴



はじめまして。都立国分寺高校出身、商学部の鈴木元貴です。ブログを書くのは初めてということで、拙い文章になると思いますが、自己紹介もかねて自分のサッカー人生について手短に話していこうと思います。




僕は、兄が地元のサッカーチームに入るということで、自分も小学生の時、そこに半ば強制的に入れられました。当時、メジャーという野球アニメにハマっていたので本当は野球がしたかったのですが。しかし、意外にやってみるとサッカーも楽しいことに気づきました。毎週の試合が楽しみだったのを覚えています。同じ調子で、中学ではクラブチームに入りました。しかし、中学ではコーチがとても怖く試合中は怒られないように必死で、試合を楽しいと感じたことはあまりありませんでした。走りの時にオスグッドを言い訳にしてさぼったり、今はFWをやっていますが、当時はSB,SHをやっていたので、とにかくベンチと逆のサイドに行きたいと思ったりしたのを覚えています。




それでも高校ではサッカー部に所属しました。なぜなら部活はクラブチームと違い、楽だろうと考えていたからです。実際、そんなことはなく、練習はハードで1年の時は部活をやめたいとも思いました。1年の合宿の時は体に鞭打って虐待かと思うぐらいとにかく走ったのを覚えています。しかし、仲間たちとサッカーをするのはとても楽しく、非常に充実した時間でした。選手権はあっさり負けてしまいましたが、リーグ戦ではT2の昇格争いをするほど好成績でしたので、自分のサッカー人生をなかなかいい感じで終われそうだなと思っていました。なので、大学ではサッカーをやるつもりはなく、ボルダリングに興味があったので大学ではボルダリング部に入ろうと思っていました。しかし、一橋にはボルダリング部はなく、しかもコロナの影響で新歓がなくなり新しいことに挑戦する機を逸してしまいました。そして、同じ高校出身の尚史がア式に入るということで、流れで自分もア式に入り、今に至ります。流れで入ってしまいましたが、入ったからには全力でサッカーに取り組み、チームに貢献していきたいです。

2020年9月30日水曜日

#15 福永遼介

#15 福永遼介



商学部一年の福永遼介です。神奈川県立多摩高校出身で、ポジションはサイドハーフをやっています。


自己紹介ということで、自分のサッカー遍歴について話したいと思います。小学生の頃は小学校のチームでセンターバックをやっていました。中学生の頃からは地元のクラブチームに所属し、サイドバックやボランチをやるようになりました。高校生になると一応部活の仮入部を経験しましたが、入学当時はそこまでサッカーのモチベーションが高くなく、高1の頃から大学受験を意識していたのもあって、週6以上で活動するサッカー部には所属しないことにしました。そこでワンダーフォーゲル部に入部したのですが、その部活の先輩に地元のクラブチームに誘われたので、サッカーを続けることにしました。ちなみに、ポジションはサイドハーフをやりました。


こうして中高では学校の部活というのは経験しなかったので、大学では部活でサッカーをしてみたいと思い、一橋大学のア式蹴球部に入りました。ア式の皆は想像以上に上手く自分の弱さを痛感する毎日ですが、高校のクラブでは人数が少なかったためレギュラー争いを経験できなかった分、日々登り詰めてやろうと闘志を燃やせていることに充実感を感じています。

2020年9月22日火曜日

「にっき」

 1.質問の回答


最近キュンとしたことはなんですか?


友達に見せられた「恋のゴールドメダル」の2人のいちゃいちゃが可愛すぎてキュンキュンしました。今1話から見てます。かわいいのでおすすめです。



2.「にっき」


ブログに書くようなことがないので自分の自粛生活を晒していこうと思います。他の人と比べてほんとに中身がないのでさらっと見なかったことにしていただきたいです。


コロナウイルスが広まって、部活もバイトもなく、ただただ家にいる生活は割と苦ではなかったです。最初はアマプラで映画でも観ようかなっておもってたんですけど、絶対一本見終わる前に飽きちゃって長時間画面の前にいるのが苦手だと発覚したので、アマプラは役に立ってくれませんでした。唯一観たのはおっさんずラブの2個目のやつです。千葉雄大が本当に可愛くて最高でした。泣きました。


映画で時間が潰せないと分かったので、ベースを買いました。ずっと憧れてたんですけどお金も時間もないしいいかなって今まで手を出さなかったのですが、他大のバンサーの友達が高校のメンツでバンド組もうとか言い出して、じゃあベース買おっかなって買いました。暇だしお金使うこともないしいいやって衝動買いって怖いですよね。結構練習しました。指千切れるかと思いました。でも最近は触ってません。わんちゃん飽きてこのまま放置かもしれません。


自粛期間前半はダラダラしてたのでかなり太りました。なのでダイエットしようと思って筋トレを始めました。父がだいぶ前に買って放置されていたヨガマットを勝手に部屋に持ち込んで毎日筋トレしてました。すごく楽しかったです。死ぬほどきついし汗めっちゃかくんですけど、それが気持ちいいというか楽しいというか。日々物足りなくなってめっちゃキツそうなの探したりとかしてました。たぶん家にいすぎて頭がおかしくなったんだと思います。今思えば気持ち悪いですね。3キロ太った分3キロ痩せました。万年妊婦みたいなお腹がペタンコになりました。人生でこんなに平たいお腹を見るのは初めてです。ちなみに筋トレ1ヶ月くらいサボってるので妊婦に戻りました。ヨガマットはただのマットです。


6月中旬、ついにディズニーが7月から再開するというニュースが入りました。この上ないくらい感激しました。毎日ホームページに張り付いて(誇張表現)いつ開くのかと楽しみにしていました。ところが年間パスポートは使えないという問題が、、。年パス勢としてはかなり残念ですが、それでも入園できるならいい、と友人とディズニーチケット戦争に参加しました。まずアクセスすることができません。何度Altキーと左右キーとクリックを駆使して予約ページを行き来したかわかりません。スマホとパソコン2台使って、もうディズニーに拒否られているんじゃないかと病みながら、徹夜してチケットをとりに行きました。結果なんですけど、私は1枚も取れませんでした笑笑たぶんディズニーに嫌われてますね。めげないですけど。一生片思いしておきます。ただ友人が謎に無双してチケットとってくれたので精神は保てました。久しぶりのディズニーは信じられないくらい楽しいし、人少なすぎて快適でした。全アトラクション制覇余裕です。ちなみに絶起系でビッグサンダーマウンテンが1番感染防止にうるさいです。マスク絶対外さないで、大声上げないで、ってめっちゃ言われます。他のアトラクションはなんも言われないんですけどあそこに何があるんですかね。


ただの日記を世にさらさしてるの死ぬほど恥ずかしいんですけど、私の日常にみんなみたいにすごいこと書けるようなことないのがいけないのでしょうがないです。ちなみに私は大学行けないのはそんなに辛くないです。おうち大好きな引きこもり気質が役に立ちました。

また感染が拡大しててどうなるか先が見えませんが、コロナの後遺症がヤバそうなので絶対かかりたくないなって最近めちゃめちゃ思うのでまた引きこもりたいです。


3.最近のできごと

・日々何も考えてないからこういうときに困るんだなって実感したので本でも読みたい

・ちゃんみなの新曲がさいこうにエモい

・ばさきの社員のセクハラトークいつ訴えようかな


#MGR 佐々木智珠