2018年12月28日金曜日

「ここから、ここから」


1. いつきの質問への回答

帰省中の楽しみを教えてください。
同級生と青春18切符で色々な所周りながら鈍行で帰省するのでそれ自体が楽しみです。
帰省中は何と言っても雪遊びです。

 2.ここから、ここから


いよいよ来年最高学年となる僕らの代のブログ更新が始まりました。

僕の前までの同期が、より良い理想の組織作りだったりチームの伝統だったり、チーム視点的なテーマで良いブログを書いてたのに感化されて僕も頑張って同様のテーマで書こうとしたものの、自分が書いているものが陳腐なものにしか思えなくなったので途中やめてしまいました。


結局、自分が最近考えてることの再確認、整理という個人視点のブログになってしまいました。


まだ完全に考えがまとまってない分、伝わりにくい部分もあると思いますが許してください。


「もっと自分のことだけ考えてみたらいいんじゃない?」


ある先輩から練習の時言われた一言です。


小学生の時、何となく楽しそうだしやりたいなーって思ってサッカーを始めました。

中学に上がる時には、それなりに高いレベルでプレーしたいって思って当時地元でそれなりに強かったクラブチームに入りました。(一応今じゃJのジュニアユースです、地味にトップチーム応援してます。)  毎日当たり前のように親に車で結構遠い練習場に送り迎えしてもらって、3年間不自由なく楽しくサッカーさせてもらいました。

そして高校に入学してサッカーをやめました。高校に落ちてちょっとグレぎみになって謎のプライドを持った自分は、他の進学先の選択肢がある中で部活を出来ない高校に進むことを決めました。それまで6年間自分にサッカーを不自由なくさせてくれた親が何度も考え直すよう言ってくれたのも無視して、自分勝手の選択をしました。(その節は本当に申し訳ありませんでした。あと1年自分のワガママを許してください。)


小、中、高の自分を振り返った時、基本的に自分がしたいと思った事ばっかりしてきたし、最初は正直この言葉の意味が分かりませんでした。


僕は壁にぶつかった時、弱い自分、逃げ出したくなる自分から目を背けてきました。いつも周りに適当な言い訳を探して、そんな弱い自分を正当化してきました。


「自分のことだけを考える」とは、そんな弱い自分からも逃げず向き合うことだと思いました。

自分のプレーが上手くいかない時、周りの環境のせいにしたくなります。「小平だから」とか「グリッド全体の雰囲気が悪いから」とか。

しかし、その環境を変えられるのは結局自分だけです。また、その環境に対して自分を変えることも出来ます。

自分が成長するために、常に自分に矢印を向けることを決めました。


もう一つが自分のことしか考えられない程にサッカーに熱中して、本気で上手くなるために貪欲になることです。

城所とか右田はグリッド練の時、常に皆勤賞を狙おうとします。(自分の代わりに同じ連チャン数の人を生贄にする必殺技、僕も身につけたいです。)

それだけ「自分が一番上手くなってやる」って本気で思って練習に取り組んでいる。バチバチでやってる。一緒に練習する中でその圧倒的な違いを感じました。

この2つが僕が「自分のことだけ考える」に見出した意味です。


本当にア式での時間はあっという間で、いよいよ来年にはラストシーズンが始まります。4月には入部した時あんなに遠い背中に感じた4年生になります、正直信じられません。

そんな僕には1つの目標があります。


'' 出来るだけ多くのリーグ戦に勝って、最高の笑顔でみんなで笑い合う。そして自分は14番のユニフォームに袖を通してそのピッチに立つ。''


自分達の代で掴む勝利は、きっと今まで手にしてきたものより、遥かに嬉しいし特別な気持ちになるのだと思います。そして、それに対して自分は直接的にプレーで貢献したい。


厳しい道のりになる事は、間違いありません。


絶対に自分は何度も壁にぶち当たると思います。

ただその時、自分のことだけ考えます。自分から逃げずに向き合い続けます。





3.最近あったこと
21年間生きてきて初めて生魚のお寿司を食べれました。生牡蠣だけは一生食べません。
・追いコン最高でした。堀本さん、純平さん本当にありがとうございました。
・厨に感謝。


4.深井への質問
就活でコイツには負けたくないなって思う同期は誰ですか?


#14  石田洸

2018年12月26日水曜日

「ラストシーズン」

1.恭平の質問への回答
齋藤くんに関する情報は学連のことについて把握していればほぼ完璧なので、聞きたいことがありません。どんな質問をされたかったですか?
学連で得たものはなんですか?何人かの友達と就活でのエピソードです。


2.ラストシーズン



時が経つのは本当に早いもので、気づけばもう最上級生になってしまいました。大好きだった四年生が引退し、悲しみに暮れていたリーグ戦最終節からはもう二か月が経ちました。二か月後は関西遠征で、もう二か月後にはリーグ戦が開幕します。リーグ戦期間中は息つく暇もなく、開幕後半年で引退です。



今回ブログを書くにあったって、今までの三年間を振り返ってみました。


「一年からレギュラーで出る」と意気込んで入部した一年目、待っていたのは大学サッカーの厚い壁でした。なかなか上のカテゴリーで使ってもらえず、Bチームでプレーする毎日。なんで使われなかったかといえば単純に下手だったからなのですが、その当時の自分は「おかしいだろ」と別のもののせいにして現実から目を背けていました。一年の時のことで一番覚えているのは、一つ上のカテゴリーのセンバが怪我をして、順当にいけば僕が一個上がれるはずだったのに、サイバの大澤がセンバまわって、僕が上がれなかったことです。小さいことだしたぶん大澤でさえ覚えていないと思うけど、悔しいというかもはやショックで鮮明に覚えています。


二年になって、第三節の國學院戦で初めてベンチに入れてもらうことができました。ただ、その後もA2の試合に出させてもらうことは多かったけど、ベンチ入りはその一回きりでした。二年の時のことで一番覚えているのは、新人戦でほとんど試合に出られなかったことです。最初チャンスを与えてもらっていましたが、それをふいにしてしまい、最終的にはセンバ四番手。情けない気持ちでいっぱいでした。


三年になった今年も到底満足のいくシーズンではありませんでした。Bチームでプレーすることが多く、チャンスをもらっても怪我で無駄にしてしまう。18試合一度もベンチ入りすることなくリーグ戦は終わり、東京都トーナメントも出場はありませんでした。卒業してこのシーズンを振り返ったとき、同じセンバの岡谷さんに一度もメンバーに選んでもらえなかったことが一番の記憶として残るでしょう。


こうして三年間を振り返ってみると、どのシーズンも「悔しいシーズン」でした。チームとしては一部昇格も経験したし、一部の強豪相手に対等な戦いをしたけど、個人としては正直何も成し遂げられていません。せいぜい応援で声出したぐらい。思い出すのは悔しい思い出ばかりで成功体験ではありません。


最初に書いたけど、あと四か月でリーグ戦が開幕し、その後半年で僕のサッカー人生のラストシーズンが終わってしまいます。おそらく想像している何倍も早く月日は過ぎ、あっという間に引退です。


なんだか引退直前のブログみたいになってしまいましたが、幸いなことに僕にはまだ十ヶ月あります。この十ヶ月を生かすも殺すもとにかく自分次第です。十ヶ月後、後悔ばかりを並べたブログを書くか、達成感に満ちたブログを書くかもとにかく自分次第です。


この十ヶ月、上手くなるためにとにかく毎練習に全力でぶつかります。十ヶ月あれば400時間全体練習の時間があり、練習の前後合わせて1時間自主練すればもう200時間練習できます。その一分一秒をこだわること、それが確実に成長につながり、リーグ戦での活躍につながります。一二年の時からその一分一秒をこだわればよかった、毎練習自主練すればよかった、と振り返れば思うところはたくさんありますが、過ぎてしまったことは仕方ありません。前を向きたいと思います。


色んな人が言っていることですが、ブログに書くのは簡単です。それを実行に移すことはとても難しいと思います。ただ、現状を考えると無駄にしていい日はありません。毎練習全力で。やるしかありません。



中高の友達に会うと、よくこんな会話をします。

「大学でサッカーやってるんだっけ?どうよ?」
「いやー、実は試合出てないんだよね。大学サッカー厳しくてさ(笑)・・・」

今まで何十回とこの返しをしてきました。こんな会話もううんざりです。来年胸を張って「出れてる、当たり前よ」と言えるよう、頑張ります。



最後に、来年の目標はもちろん一部昇格です。今年チームとしても個人としても悔しいシーズンだったからというのもありますが、最高な同期が四年の代で大きなことを成し遂げたいという気持ちがとても強いです。城所もブログに書いていましたが、語り継がれるような代になりたいです。



二年前の一部昇格の時は、僕は何も出来ませんでした。来年の1013日の最終節、チームみんなが涙と笑顔で顔をぐちゃぐちゃにして喜び合う、その中心に自分がいられるよう、長いようで短いサッカー人生ラストシーズンを全力で楽しんでいきましょう!



3.最近の出来事
・じゃんけんに負けてグラウンドで泣き崩れたあの日から二年、ついに僕の学連生活が終わろうとしています。修也お疲れ飯企画ありがとう。
・ドスにはまっています。
・冬オフ下地は何回でしょう。誰か彼を止めてください。


4.石田こうへの質問
帰省中の楽しみを教えてください。


#11 斎藤五樹

2018年12月24日月曜日

「考える、議論する、擦り合わせる」

1.下地の質問への回答
クリスマスイブの予定を教えてください
日本にいません。

2.考える、議論する、擦り合わせる
ブログを書くのはあと3回らしい。あと3回と聞くと、書きたいことが多くて3回じゃ足りないなと感じる。入部したての頃や2年生の時毎回ブログの順番が来るたびに書くことが思いつかず悩んできた自分がこんな風に感じるのは、3年生になったこと、今学年でたくさん議論をする中で色んな事を考えるようになったからだと思う。

個人的に今年の1年はサッカー面、サッカー外の面で今までで1番成長できたと思っている。理由は色々あるけど、「考える」量が増えた事が1番大きい。
「チームをどうしたい?」
「どうやってア式を広めたい?」
「その中で自分は?」
もうそろそろ自分たちの代が最高学年になることや、ユニットにおいて自分で考えて始める仕事が増えてきたことで、色々なことを考えられるようになった。

練習後の円陣で右田とか高山、練習に来てくださる4年生が話をしてくれる。どういうスタンスでその話を聞いてますか?ただただ純粋に「確かにその通りだな」と思って思考を止めていませんか?確かに円陣で聞く話を真摯に受け止める姿勢は大事だと思う。けど、納得して「考える」のをやめてしまったら、その話の価値は下がってしまう。
「自分はどうすべきか?」
「それを他の人が同様に行動するには何が必要?」
とか。「その話本当に正しいのか?」でもいいと思う。話を聞きながら、今自分にできていることやできないことを整理して、今後どうすべきかを自分なりに考える事が1番大事になる。円陣での話だけでなく、色んな場面(例えばニュースを見て、その裏側には何があるんだろうとか)で常に考える事ができればもっと成長できる。

常に考えて自分なりの意見を持つ、これができたらその意見を議論する必要がある。自分の意見が100%正しいと思ってしまうものだから、他人と議論し、擦り合わせていく。自分の意見を補強したり、一から修正したり。サッカーがチームスポーツである以上、たくさんの意見があり、擦り合わせは簡単じゃないけど、一つの方向性に向けられれば、意見がバラバラなチームより強い。

考えて、議論して、擦り合わせる。サッカーでも、ユニットの仕事でも、それ以外でもこれを意識して、最後の一年必ず成長する。


3.最近の出来事
・ルーカス・トレイラ、凄いです。
4-2で勝った方のノースロンドンダービーまだ観てない方、是非見てください。最高です。
・来年の追いコンがもう怖い

4.齋藤くんへの質問
齋藤くんに関する情報は学連のことについて把握していればほぼ完璧なので、聞きたいことがありません。どんな質問をされたかったですか?


#9 杉山恭平

2018年12月14日金曜日

「夜爪を切ると本当に親の死に目に会えないのか」

1.あおいちゃんの質問への回答
完全にバカにされているだけだと思います。ゆいちゃんの下地化、期待しています。

2.夜爪を切ると本当に親の死に目に会えないのか

日本にはこんな言い伝えがあります。
「夜爪を切ると親の死に目に会えない」
聞いたことのある人がほとんどだと思います。夜に爪を切ることと親の死に目に会えないことは全く関係がないし、多分夜爪を切ったって親の死に目に会えるし、なんでこんなものが言い伝えとして残っているのでしょうか。少し気になって調べてみたのですが、一説によると、昔爪切りも電気もなかった時代には夜暗い中で刃物を取り扱うことには危険が伴ったため、その危険をうまく伝える方法として当時の人が残したものなのだそうです。つまりこの言い伝えは「親の死に目に会いたくば夜爪を切るな」という呪術的なメッセージではなく、「暗いところで刃物を使うのは危ないからやめとけよ」という先人たちの優しいメッセージなのです。

最高学年になりました。毎日のようにミーティングをしてチームのことや部則、ミッションのことについて話し合っています。何かを決定したり、去年と変えたりするとき、僕はいつも、同期とチームを作っていくことの嬉しさと同時に一つの大きな不安を感じます。

「自分たちが変えたことは良くも悪くも後世に残っていく」
これは自惚れではなく、事実だと思っています。制度や部則そのものが残らなかったとしても、少なからず影響を与えてしまうと思うのです。まず一つとして、明らかにおかしな決断を下してしまうことの怖さがあります。極端な話、僕たちが今季のリーグ戦の不参加を決めたら、例え来年の代が新たに参加したとしてもここまでの積み上げむなしくア式は下のリーグからのスタートになってしまうだろうと思います。でも僕が言いたいのはそうじゃなく、考えに考え抜いて良かれと思って定めた制度や、作った慣習が、いつの日にか陳腐化してしまうのではないか、僕たちの真意が伝わらなくなってしまうのではないかということです。

もし僕たちが選手の自律を願って遅刻等への罰金をなくしたとします。数年後、その願いは叶い、ア式は自律した個人による完璧な組織になるかもしれません。でももしかしたら、罰金制度がないことにあぐらをかき、練習時間になっても全員が揃わないダメなチームになってしまうかもしれません。「遅刻者に罰金を課さなくていい」この文言や慣習だけが残り、その裏に隠された僕たちの想いや真意は伝わらないかもしれないのです。2年後、3年後、そのもっと後の未来の後輩のことを僕たちは知ることができないし、その逆もまた然りです。僕たちが直接伝えていくのは難しいだろうし、真意を汲み取ってうまく運用してしてくれることを願うしかないと思うのです。

ふと現在に目を落とすと、そんな願いの集まりが今のア式を作り、願いの全ては今の僕たちに託されていると思うのです。ア式を作り上げてきた僕たちの先輩方は未来の後輩に、つまり今の僕たちに同じような願いを抱きながら卒業していったのだろうと思うのです。

学生主体、ユニット制、GM制度、ご飯LINE、一年集合…。先輩たちが残してくれた偉大な制度や慣習は挙げればキリがありません。遅刻しないこと、練習の前日に飲酒しないこと。明文化されていないこうした当たり前のことも含めて、どれを取ってもこれがア式の伝統だと言えるものばかりです。必ずしも完璧なものばかりではないかもしれませんが、それでも、その当時の先輩方がチームを想い、後輩を想って残してくれた伝統であることは確かです。

こうした制度や慣習をただ盲目的に受け継ぐのでは、本当の意味で伝統を受け継いだことにはならないと思います。その裏に隠された真意を、それらが必要な理由を、僕たち自身が考えて、理解して、行動してこそ、ア式の伝統を受け継いだことになるのだと思います。決して「親の死に目に会えない」から夜爪を切ってはいけないのでなく、「暗くて危ないから」なのです。

ア式にある伝統や慣習に対して、なぜ必要なのか?という問いを持つことを忘れてはいけないと思います。批判的になって食ってかかれと言っているわけではありません。それらの本質を見つける必要があるのです。なぜ?がわかれば規則がなくても行動は律されるのだと思います。

遅刻や用具忘れ、ユニットの仕事ひとつひとつへの手抜きなどが最近増えているように思います。ピッチ内でのパフォーマンスはもちろんのこと、こうしたピッチ外の行動においても、数々の先輩方が願った姿を体現できるチームになれたら嬉しいです。ここからの一年、先輩方のためにもまだ見ぬ後輩のためにも、みんなで良い伝統を引き継ぎ、また、良い伝統を残していきましょう。


3.最近のできごと
・LINEグループ「ポケモンGO」できました。
・書いてて思い出したけど、塩さんはこの言い伝え信じてるらしいです。つまり「親の死に目に会えないから」爪切る側の人です。
・青島ゼミ、8番の呪いがさっそく発動しました。
・遂にインターンの申し込み始めちゃいました、、、

4.恭平への質問
クリスマスイブの予定を教えてください。ちなみに僕は何もないです。何もなければ遊びましょう。


#8 下地政太

2018年12月12日水曜日

「悪者になること」

1.#7城所からの質問への回答
将来結婚するならドスと、俺どっちが良いですか?必ずどちらかを選び、理由も教えてください。
(2人ともいびきがうるさくて快眠を妨げられそうなので選びたくないのが本音ですが)あえて選ぶなら、3年目にしてドスのThank youが鼻につき始めたので、城所で。


2.「悪者になること」
新人戦期が始まった初回の練習のとき、二年生のキャプテン・GMの二人が円陣で話しているのを見て、「ついにこっち側になったのか」としみじみ感じました。気が付いたらあと1年弱しかア式生活は残っていなくて、最高学年になっていて。早くも、少し寂しい気持ちになりました。

今は学年ミーティングもあって、最高学年として残りの期間をどう過ごすのか、マネージャーとしての最後の1年をどう過ごすのか、考えさせられます。練習を効率よく回すためにグリッドの配置を考えたり、スクイズを置く場所を考えたりすることは全く変わらないし、ユニットの仕事も何も変わらないと思います。ただ考えていて一番難しいなと思うのは、人との関わり方です。後輩にしろ同期にしろ、マネージャーにしろプレーヤーにしろ。学年ミーティングでも時間を割いて話し合いました。そのなかで、賛否両論あるとは思いますが、私が意識している・していこうと考えていることが二つあります。

一つは、たまには悪者になることです。マネージャーの立場はすごく難しいと思います。例えば、今では稀になりましたがオフがあるし、食事制限はないし、怪我や食事のことを専門に学んでいるわけではない。そんななかでも、食事を指摘したり荷物に関して口うるさく注意したりしないといけなくて、特に入部したての1年生にとっては、嫌だと思われても仕方ないと思います。マネージャーの立場としてだけではなくて、マネージャー内・ユニット内で後輩を育てる・後輩に引き継ぐときも同じで、時には厳しく、何度も繰り返し言って、お節介をかける必要があるはずです。そういうときに、嫌な奴になる、と言うと語弊があるかもしれませんが、多少「うるさいな」と思われることは必要だと思います。特に最高学年は、そういう、受け取る側から見たときの「悪者」役を引き受けなければいけません。例えばユニットの仕事をちゃんとしない人や食事のなっていない人を、それは個人の意識の問題だ、と言って最低限の仕事だけ任せるとか、食事ラインで注意するのを辞めてしまうのではなく、ちゃんと意識を持たせるまで引っ張ってあげようとすることが、先頭に立つ者としての責任でもあると思います(もちろん個人の意識も大切だと思います)。私たちは残り1年弱だけど、後輩はあと23年とあるわけなので、これからのア式のためにも、たまには「うるさいな」と思われながらも、厳しくある、もっと高いレベルを要求することを心がけたいです。それはきっと「良い関係性」にも関わってくると思います。長くなりましたが、私の言う「悪者」の意味が少しでも伝わっていれば嬉しいです。
二つ目はおまけというか、私の個人的な課題ですが、もっとみんなのいいところを褒めていきたいです。アメリカにインターンに行ったときに思ったのですが、仕事のできる人は、部下や同僚のことをちゃんと見ています。ミスをしたら厳しく指摘するのはもちろんですが、それ以上に良かったところを褒めるのがすごく上手です。私の性格の問題もあると思いますが、何かあったときに、その人の悪い部分に目が行きがちで、よかったところを忘れてしまいます。でも、人は自分が頑張ったところを見てほしいものだと思います。褒められたら嬉しいしやる気が起こる人も多いはずです。私は褒めることが苦手で下手なので、少しずつ頑張っていこうと思います。一つ目と真逆のようにも思えますが、両方が揃うことで、よりよい関係を築いていけると信じています。
とても主観的なことを長々と書いてしまいましたが、読んでくださってありがとうございました。


3.最近の出来事
・誰かが言ってた、森下をオシャレにする会、開催してほしい、楽しそう
・「最近の出来事」にこれ書こう!って思ったことはあっても、いざ書くときに何書こうとしたんやっけ?ってなる


4.#8下地への質問

Q.最近、後輩崇拝者を獲得したようですが、布教成功の秘訣は何だったと考えますか?


# MGR 下川葵


2018年12月11日火曜日

「ピッチに立つということ」

1.質問への回答
金曜の面接はどうでしたか?
就活の話をすると右田に怒られるのでここでは控えさせていただきます。

2.ピッチに立つということ

思い返せば、今シーズンは随分情けない結果に終わってしまったと思う。アミノ欠場、リーグ戦の不完全燃焼、東京都トーナメントでは4部相手に敗退。

自分たちの力ってこんなもんなのかって悔しいほど痛感させられた。

去年のリーグ戦で、あれだけやれた自信のある自分にとってこの結果は正直受けいれがたいものだった。

周りがどう思っているのかはわからないが、自分は、誰がダメで、誰かのせいだったというわけではなく、一部で戦えていた時よりもチームとして年々弱くなってきている。これが正直な感想である。

あの時を知るメンバーはもうほとんどいない。
来たる新シーズンは、挑戦者としてのメンタリティーを強く持つ必要があるんじゃないのかなって強く思う。


点を決める、勝利を告げる最後の笛が鳴り響く、試合に勝つ、仲間と勝利の喜びを分かち合う。

これは今シーズンでの自分が最も激熱な試合に選ぶ帝京戦での激熱な瞬間である。

こんな瞬間があるからこそサッカーはやめられない。

もちろんそこには、苦しい時期での勝利であったり、帝京相手に競り勝ったことなどが様々な要因があるが、リーグ戦には多かれ少なかれ熱い瞬間が存在する。


帝京戦最後にゴールを決めたのが自分じゃなくても間違いなく激熱だったって言える自信がある。

一年にたった18試合しかないリーグ戦のために、一年のほとんどを部活に捧げているのである。当然といえば当然だか、リーグ戦には他にはない心動かす何かがあるのである。

試合で何もできなければチームが勝っても、嬉しい反面悔しいし、何か記録に残ることをしてなくても、チームの勝利に貢献できればうれしいのである。
こんな感情はピッチに立たないと味わえない。ピッチに立たなきゃわかんないことも沢山ある。

このピッチに立つことを誰にも譲るつもりはないけれども、このピッチに立ちたいという思いをみんなにもより強く持ってもらいたい。

みんなは、試合に出て、チームの勝利に貢献することを渇望できていますか?

今の立場を必死で覆そうとしていますか?

今試合に出てる人はより上を目指していますか?

この部で成し遂げたいことはなんですか?

サッカー部の部員である以上、試合に出て、チームに貢献したいと思うことは普通のことであるし、みんな口をそろえて言っていると思う。

それにどれだけ本気になれていますか?

自分がそれを口に出すことに酔いしれてはいませんか?

みんなならもっとできる、もっとやらないといけない、まだまだ足りない。

自分を含め三年生にもいえる、まだ一年残っている、まだ追求できる。

(まだ同期でスタメンを組むことをあきらめたくはないので、同期にはこれからも厳しく接していくのでよろしく。)

数多くいる部員の中からたった11人の椅子を取り合わないといけないのだから、試合に出るっていうのはそんなに簡単なことではない。

それに対して死力を尽くすからこそ、チームは強くなるし、心動かす瞬間を多く作り出せそれを共有できる、自分はそう思う。

先日の東経戦の後、試合に出ることが叶わず、試合終了後涙を流している選手がいた。

自分にはこの気持ちが理解できる。

一年の頃ベンチをあたためる時間の方が長く、あれほど悔しい思いをした事はなかった。

涙を流した彼が、その新人戦に向けてどれほど努力して来たかは俺にはわからない。

自分にどこが甘い部分があったのかもしれないし、やれるだけやったけどダメだったのかもしれない。

彼がこれから先努力をし続けても試合に出れる保証はどこにもない。

ただその悔しさが彼自身を変えるきっかけになるのは間違いない。

ベンチをあたためる続け、勝敗に携わることができない悔しさを再び味わうのを嫌い、試合に出ることに、より一層こだわることになるのではないだろうか。

このような思いが、チームの原動力となり、いわゆるボトムアップっていうやつに繋がるんだと思う。

一言付け加えると、熱い思いを胸に秘めた彼がよりうまくなり同じピッチに立てる日が来る事を願うばかりである。

ここまで書いて来たことを、まとめると「ピッチに立つ事にこだわろう」って事。チームのためって気持ちも、もちろん大事ではある、だけどまずは自分。自分を高め続けられないやつにチームを語る資格はない。自分を高めることは、そのままチームのためになるのだから。

最後に(同期に向けて)
ここまで一緒にやってきて残すところ後一年、大学サッカー楽しかっただけで終わりたくない。何かでかいことを成し遂げよう。後輩たちに語り継がれる代になろう。
ラストシーズンみんなと多くの感情を共にしたい。そして最後には笑って終わりたい。
そのためにはまだまだ足りないことだらけ、今まで以上に必死に頑張ろう。
俺らなら絶対にやれる。


3.最近の出来事
・ブログ書く準備期間長いと逆に迷走する
(ブログいつまで経っても提出しなかったやつ、そろそろ波の頂点から落ちておとなしくなってほしい)

・これ以上はキャパオーバー(^o^)

・尾高は金欠でもなんでもなかった、彼の聖夜に期待します。



4.下川あおいへの質問
将来結婚するならドスと、俺どっちが良いですか?必ずどちらかを選び、理由も教えてください。

#7 城所知希