2020年12月27日日曜日

「強くあれ」

1.たくみからの質問

Q.いろいろなお取り寄せグルメを頼んでいた中で、いちばんのおすすめと、今後狙っている商品を教えてください。


A.1番のおすすめは宮崎の完熟マンゴーです。

カリフォルニアからのお取り寄せになりますがゴールデンオロブロンコは年明けに買おうと思ってます。


2.「強くあれ」


2020シーズンのGMを務めました、経済学部4年の山本健太です。



今季は常にウイルスの脅威に晒され、多方面で大変な出来事の多い一年となりました。

しかしながら、このような社会情勢の中でもリーグ戦を全試合戦うことができたことを非常に嬉しく思っておりますし、安全を確保した上での開催のために尽力してくださった大会関係者の方々にはこの場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。


また、OBの方々、ご父兄の皆様も、直接試合を見ていただく機会は少なかったですが、現役部員がサッカーに熱中するための環境を整え、サポートいただき、ありがとうございました。


ア式での4年間はあっという間で、気づけばブログを書くのも最後です。


少し長くなってしまいますが、ぜひ読んでいただけると嬉しいです。


では、始めます。



「最後のブログ」



人に想いを直接伝えるのが苦手で下手な自分にとって、ブログを書く機会は非常に貴重なものであった。時間と労力を割いて書いたものは多かったし、コメントをもらうこともあったので少なからず響くものはあったのだと嬉しく感じている。


最後ということもあって何を書くか非常に迷っている。サッカーへの熱い想いを書くにはもっと適した人間がこの部活にはいるし、GMとして今季を総括するべきとも考えたが振り返るほどに後悔の念が湧き出てくるのであまり書きたくない部分もある。

後輩へのメッセージなどと言うとおこがましいが、GMという立場で、色んな目を持ちながらチームを見てきた自負はあるので、僕という人間に見えた景色や感情の変化などに言及しながら、自身のア式生活の振り返りと今後に向けた思考の整理のためにこのブログを利用することにする。

まとまったものにはならないと思うが、読んだ人に何か伝わるものがあれば嬉しいなと考えながら、本音で書き出してみる。



「苦しくて、苦しくて」



今季の感情を一言で示せと言われれば、

「苦しい」

これに尽きる。


コロナでサッカーができない時期があったが、そんなことは大した苦しさではない。

サッカーができるのに、公式戦ができるのに、自分が試合に出られるのに、

チームは勝てないし、大した活躍もできないことが何よりも苦しい。


アミノvs学習院で活躍していた自分は?

都トーナメントで帝京を倒したチームは?


これまでの自分が、そして自分たちが脆いものだと分かり、理想と現実の乖離を認識した時のの絶望感はこれまで経験したことのないものだった。


しかしながら、自分の心理状態がどうであれ、時間は止まらないし、次の試合はすぐにやってくる。


一選手であれば、自身のプレーを細かく見直して課題分析を行い、成長のために日々のトレーニングに真摯に取り組むことで大抵のことはうまくいくだろう。

でも、自分は立場があるから自分のプレーよりも大事にしないといけないこと、考えないといけないことがあって、見えないものに押し潰されそうになって本当に辛かった。


玉川に負けて、今後のチーム運営をどうするかの議論になった時は、「ああこのシーズンは1回も勝てずに終わるのかもしれない」と本気で考えたし、みんなにとても申し訳ない気持ちになった。


上智に負けて、「このチームは競技サッカーレベルに値しない」と言われた時は信じられないほどの屈辱と、どうにもできない自分に対する怒りに苛まれたし、これまたみんなにとても申し訳ない気持ちになった。



少し話は変わるけど、自分はそこまでサッカーが好きな人間ではないと思っている。

そもそも汗をかくのが嫌いだし、痛いのも嫌いな人間。観るのであればサッカーよりもテニス、それ以上にF1が好き。今年のハミルトンは圧巻だった。

それでも大学までサッカーを続けた理由は複数あったし、その一つは「サッカーが好きで全力で取り組む友達が好き」ということだった。


だからこそみんなのために自分ができることを探してきたつもりだった。

それがGMを務めることだと考えていたし、自分の存在意義はそこにあると信じていた。


でも現実は違った。


全部勝てるなんて思ってないけどあまりにも勝てない。

運営含めて何もうまくいかない。

そもそもみんなが楽しくサッカーする舞台すら整えられない。


自分の、この組織における存在価値は何だろうか?

何のために大学生になっても高校生と同じようにサッカーばかりしているのだろうか?

ビジネスマンとしての目標を達成するためには金融の勉強を1からやり直すことに時間を割いたほうがいいんじゃないか?


いろんな考えが脳裏によぎるけれど、逃げるなんて選択肢はないから自分にできることを精一杯やろうということだけ考えて12月までの日々を過ごした。


自分らしく振る舞えた場面はあったしそれがチームに対して小さくともプラスの効果を与えた場面はいくつかあったと思う。


2年前、後期の東大戦で何もできなくて0-4で負けて、自分たちの代で東大にリベンジすることを誓った。

これについては達成できたし、その瞬間は素直に嬉しかった。


それでも、昇格という目標に対しては全く届かなかった。

全くだ。


後輩からもらった色紙を読んで、活躍できなくてすみませんとか昇格した代のGMにできなくてすみませんと書いてくれた選手がいたけれど、全くそんなことはない。


「この世の不利益は全て当人の能力不足」

そう考えているし今年上手くいかなかったのは全て自分の責任だと感じている。


寧ろ後輩たちの積極的な取り組みと逞しいプレーには本当に背中を押された。

ゆうとや陸がこんなにタフで頼もしい選手になると思っていなかったし、まさかコロナ明けデブデブだった森下とサイドを組むとは思っていなかった。それくらい、驚くくらいに、みんな成長していた。


だからこのまま、今年の悔しさを忘れないことも大事だけど、誰よりもサッカーを楽しんで精一杯頑張って欲しい。



自分はもとより、感情の起伏は大きくなければ、物事への拘りもほとんどないが、この部活での日々の中では非常に多くの感情を持った。


そしてその経験から後輩たちに向けてメッセ

ージを送ることができるとしたら、


「強くあれ」


この一言に尽きる。


自分はア式のみんなが大好きだったし、日常生活も含めて本当に貴重な日々を送らせてもらったと痛感している。


でもこの組織は部活動だから、サッカーは勝つためにやってるから、

みんなと大きな喜びを共有するためには強くなくてはならない。

自分自身が、チームを勝たせられる存在でなくてはならない。

苦しい時に、みんなを鼓舞できる存在でなくてはならない。


技術、フィジカル、メンタル、全ての要素をフルに使って、チームに貢献できる存在でなくてはならない。


だって、負けるサッカーはクソほどつまらないから。



自分の未熟さを痛感する一年だった。


それでもみんなとボールを蹴るのはとても楽しかったし、喋りながらダウンするそのひと時がものすごく幸せだった。

LINEが70件来ようがどれだけ辛かろうが、みんなの顔を見てワイワイしてれば大抵のことは乗り越えられるような気がした。

この1年ストレスで禿げるなと思ってたけど引退しても髪の毛はふさふさだった。

本当に仲間に恵まれた。

心の底から、みんなには感謝している。


だからこそ後輩たちにはもっともっと強い人間になって欲しい。

大切な仲間を、いざという時に守れる人間であって欲しい。


これが僕からのメッセージです。



最後に、

繰り返しにはなりますが、この4年間には何物にも変え難い、貴重なものでした。

お世話になった先輩、同期、後輩、

離れていてもリーグ戦の結果を常に気にかけてくれていた家族、

ご支援ご声援くださったOBの方々には本当に感謝しています。

ありがとうございました。


ア式蹴球部の今後の更なる発展を祈りつつ、僕自身は「日本を代表するビジネスマン」になるために新たな環境で精進します。




3.最近の出来事

・本当に卒論がやばい

・断食するって決めたけど24時間ぴったりで断念した

・もう22歳なのに彼女いなくてネタにすらできなくなってきてる


#2 山本健太

2020年12月25日金曜日

「怪我を経て」

 1.名徳からの質問の解答

春は櫛田の汗。少し暖かく、ほんのり汗ばみたる。夏は雨の嘔吐。試合の頃はさらなり、練習もなお、暑さでピッチを転がり回りたる。秋は櫛田の汗。少し涼しく、ほんのり汗ばみたるはいとをかし。


2.「怪我を経て」


 今年度の主将を務めさせていただいた西山拓実です。


   まずは、OB・OGの皆様、保護者の方々をはじめ、現役の活動を見守ってくださった全ての方々にお礼を申し上げます。特に今年度はイレギュラーなシーズンではありましたが、皆様のご理解とご協力があったからこそ、最後までやり抜くことができました。ありがとうございました。


 正直なにを書こうかめちゃくちゃ悩んでいる。でも、こうやって何を伝えようか考えるのが、練習の締めでの円陣を思い出すようで、もう既に少し懐かしかったり。このア式でかけがえのない4年間を駆け抜けることができたことは幸せだったなとつくづく感じる。


 せっかく頂いた最後のブログという機会なので、ア式という組織の一部員として経験したこと、特に二度の怪我を通じて学んだことを、少しでも来年以降のア式に伝えられたらなと思う。


 振り返ってみると、自分の人生は人からの評価、つまり他者との比較を気にすることが多かった。中学校時代は、所属していたクラブチームで同じ学年では活躍できていたものの、上の学年の試合で何もできない自分への評価が怖くなり、衝動的に辞めた。高校でも、選手権で夏前に負けた時にOBや関係者からどう思われるかを気にして、過去の戦績を遡れるだけ遡り、同じような結果を見つけては気休めに使った。今思ってもそこに「意志」だとか「目標」だとかはなかったなと思う。


 でもそんな自分を変えたかった。変えたくてア式に入った。そして主将をやらせてもらった。「学生主体」の下、伸び伸びと自分のプレーをしてア式を勝たせられる選手になろうと。


 けれど、現実はそんなに甘くない。人はそんなに簡単には変われないし、そんな中でも時は無情にも過ぎ去っていく。




 去年の8月、膝の怪我をした。全治8ヶ月。チームのために闘えないことが悔しかったのと同時に、来たる自分たちの代で主将としてどうチームをまとめられるかに深く悩まされた。というか不安に襲われて、何度も逃げ出したくなっていた。


 そうはいってもサッカーができないなりに、チームへの貢献を考えて行動した。ア式でいる時間が楽しかったし、本気で一部昇格を達成したかった。そんな想いに沿って走り続けようとしたけど、どこか物足りないような、居心地の悪いような、そんなことを感じていた。自分が知らない自分のようで。周りからの見え方を気にするあまり、いわゆる「主将」としてあるべき姿を演じようとしていたのかもしれない。そしてその「主将」像と現実の自分との乖離に頭を悩ませ、チームメイトを率いる立場として相応しいのか考え込んだ。そんな2020年の上半期。


 今年の7月、また膝の怪我をした。当初は怪我の原因がわからず、1ヶ月間ボールを蹴れない不安の中で、プレイヤーとしての復帰を諦めたときもあった。一時はスタッフに転向しようとも本気で考えていた。今の自分がチームに与えられるものはなんだ、おれってこのチームの中で何ができる存在なんだ、と考え続けた。


 でも、そんなことを考えてるうちに光が見えた気がした。自分の長所を出し切って、できることを全力でやる。笑顔を絶やさず、チームを鼓舞し続ける。変に背伸びせず、等身大の自分を表現すれば、「自分」という存在が、チームに対して自然とプラスに作用するんじゃないか。こんなような考えに至った。実際、自分の性格(馬鹿にされるほぼ全ての言動は計算しつくされたボケなのだが)をさらけ出して、一人一人の部員とフランクにコミュニケーションを図るようになってから気持ちが楽になった。その結果、部員が考えていることに純粋に向き合うことができるようになり、みんなの目線に立ってチームを引っ張ることができるようになったように感じている。皮肉にも自分をどん底に陥れた怪我に助けられるとは。




 ここからは来年のア式に向けて。


 組織に属する上で、主将はこうある「べき」とか、4年生はこうある「べき」とか、Aの選手はこうある「べき」とか、なかなかAに上がれないとか、ピッチで自分を表現しきれないとか人からの評価みたいなものが気になることもあると思う。けど、どんな時でもまずベクトルは徹底的に自分自身に向ける。自分の強み、弱みは何か。究極を言えば、自分にしかできないことは何か。

 この一年間、4年として、主将としてみんなと話していたから分かるが、このア式の人間はそれぞれが個性的で、性格でもプレーでも人に負けない長所が必ずある。だから人からの評価や期待を気にしすぎる前に、まずは変化を恐れずに自分なりのアクションを磨くこと。自分自身というある種絶対的な評価軸で自分を見れて初めて、他者という相対的な評価軸が出てくると思っている。


 「勝利から逆算した自分なりのアクション」をとり続ける。一番シンプルな答えにたどり着いたわけだが、結局シンプルが一番大事みたいなところはある。それこそ、みんながこのシンプルなアクションを実践できたら、「学生主体」を前面に押し出した盤石な組織になるだろう。



 もちろん、それぞれの立場で苦しいとき、辛いときは間違いなくある。自分には何ができるか、どういう存在なのか、悩むこともあると思う。そういう状況で原動力になるのは、やっぱりア式への愛着と、ア式で成し遂げたいことへの執着だと思う。実際に、二度の怪我とリハビリを乗り越えるにあたって、そして主将を務めるにあたって、自分はこの二つの感情に何度も救われてきた。

 前者に関しては、修也くんや玉水さんが昔言ってたように、ア式という組織に費やした労力と時間によって決まると思う。この点で、今年はコロナ下での活動やAB分け、理念作りなど、いろいろな場面でみんなにア式について考えてもらうことが多かった。こうして全員が時間と労力を割いて、自分たちの組織について主体的に考え、意見を交換することで、ア式への愛着は高まると思う。そして、そこで芽生えた信頼や帰属意識は、間違いなく苦しいときに踏ん張る原動力になる。

 そして後者について。いつも言ってることだけど、ア式での活動を通じて自分が成し遂げたいこと、なりたい自分を明確に持ってほしい。人間はゴールがないと絶対に自分を奮い立たせられない。もちろんチームとしての目標はあるけど、それに向かっていくために、もっと小さなステップに細分化して自分に合わせたゴールを設定することが、継続的な努力を生むために必要なことだと思う。

   こうした原動力に後押しされた自分なりのアクションが掛け合わされて、チームのゴールを達成するための、一つの大きなベクトルになるんじゃないか。この一年でぼんやりとだが、わかったことだ。


 あくまでも自分の経験を踏まえて感じたことだから、これをみんなに押し付けるつもりはない。ただ、心の片隅に置いておいて、こういう考え方もあるんだなって思ってもらえればなと思う。



 あんな状態で最後の試合にマークを巻いて立てたのは奇跡だと思う。本当にア式にいるみんながいたからこそ。特に同期のみんなには、めちゃくちゃ助けられた。ありがとう。みんなの存在があったから、いつも最終的には頑張る選択肢を選べたし、チームとしてもシーズンを戦い抜くことができたと思う。そして後輩のみんな、4年生を、チームを支えてくれてありがとう。

 みんながいなければできない主将だったと思うし、でもだからこそ仲間の存在の大きさを一番に感じることができました。


 正直言って、一部昇格を成し遂げられなかった以上、今年のチームの取り組みがア式蹴球部にとってポジティブなものだったかどうかは、今現在ではわからない。それでも、今年の取り組みの一部は、確実に来年以降につながっていくと思う。そして、それが受け継がれていく中で将来のア式が昇格を達成し、より強く大きな組織になった時に、自分たちのチームの取り組みがようやく報われるんじゃないかなって、そう思っている。


 だからそのときまで、そしてそれを達成してからも、立場は変われどア式のOBとして、全力で現役の活動を見守っていきたい。


 今まで本当にお世話になりました。そしてありがとうございました。


3.最近の出来事

・何いってるかわかんないって言う感想は受け付けません。


・中村憲剛と同じ言葉使ったけど、これだけは本当に言いたい。パクってない。


・引退生活、お金なくなってギブアップ。



4.健太への質問


いろいろなお取り寄せグルメを頼んでいた中で、いちばんのおすすめと、今後狙っている商品を教えてください。


#5 西山拓実

2020年12月24日木曜日

「Lucky boy」

 


1.林からの質問の解答

アシキ生活で、1番胸熱だったこと、笑ったこと、きつかったことをサッカー以外で教えてください

→胸熱は、一個上引退した時と、自分引退した時。

笑ったことは、木田が自転車で一回転して無傷だったこととか、七條がビーフソトロガノフ全部吐いたこととか、1年の時の八田とか。

キツかったことは、いくつかした遅刻。


みょー的ベスト学年旅行は?

1月にある最後の学年旅行です。楽しみにしといてください。


2.「Lucky boy」


「お前は本当に運がいいよな。」

昨日会った高校の友達に言われた。確かに、自分はなんとなく運がいいって思ってた。だけど、ア式でのサッカー生活、運がいいとおもうことはそんなになかった。



自分は4年間を通して、多くの公式戦に出させてもらった。その全てで、絶対に勝てる試合も、絶対に負ける試合もなかった。でも、多くの試合で負けて、勝てた試合は僅かだった。決して全てを運で片付けるつもりはないけれど、運がいい、それだけでも結果は大きく変わっていたと思う。

他にも、入った直後の部活動停止、リーグ戦直前の大怪我、どれも、運がいいとはとても言えない。


そして今年。カテゴリーで練習を分けたから全員が一緒に練習できない状態に、コロナで応援ができないという追い討ち。運が悪い。


ア式が自分に教えてくれたサッカーの楽しさは、全力で取り組んだ先に生まれた感情を共有する瞬間だった。


自分が本当に弱すぎるからだけど、感情を共有したいはずの人たちがいないことが多くて、サッカーの楽しさがわからなくなっていった。


格上に勝つことができた都トーナメントとか、応援してた去年の前期リーグ、別に勝てたわけじゃない去年の後期リーグも、喜びの瞬間はそんなに多くなくて、悔しさばかりだったけど、本当に楽しかった。そんなことばりが思い出されて、引退したいとか心から思うことはなかったけど、別にいいかもなって思っちゃう時はあった。


それでも、幕張の学年ミーティングとか、全員が揃って、一人一人の話聞いたら、自分の気持ちは引き締まった。他にも、練習に対する姿勢をみたり、実際にみなくても聞いたりすることはあって、自分もダサい姿は見られたくないなって思った。そんなおかげで、いろいろと運が悪い中でも、最後までやり抜くことができた。これまでの人生、中学も、高校も、サッカーを途中でやめてしまった自分がだ。感謝しかない。


気づく。


やっぱり自分は運がいい。



部停とか、怪我とか、コロナとかあったし、試合にも全然勝てなかったけど、


ア式で、ク式、その時点で、なにを差し引いたって、運がいい。


昨日友達に言われた言葉は正しかった。



運の話をしたのにじゃんけんのことに触れないのは、じゃんけんに失礼な気がするので、最後にお礼を言いたい。


本当に数えきれないくらいのじゃんけんをしてきた。じゃんけんは実力だとか、じゃんけんは運だとか。ア式での思い出の大事な要素の一つだ。じゃんけんを考えた人、天才すぎる、ありがとう。


そして本当に最後に。

どれだけおじさんになっても、ア式の人たちとはじゃんけんをしていきたいと思ってる。だから、これから先じゃんけんしよって言った時に、嫌がる人に言いたいことがある。


「じゃんけんに敗者なんていないよ。負けた時は必ず、誰かを笑わせてるんだから。じゃんけんをやると決めた時点で、みんな笑者じゃん。」


3.最近の出来事

・サプライズは嬉しすぎる。

・森下のプレゼントはセンスで溢れてた。

・みんな活発で本当にいい代になってきた。



4.たくみへの質問

たくみの鼻水は、冬の風物詩だと話題ですが、他にたくみ的、ア式の季節の風物詩を教えてください。


#66 名徳泰地

2020年12月23日水曜日

「未来の自分に向けて」

 1.質問への回答

引退ライフいかがお過ごしですか?

→みょーや松田と一緒にもっぱら「人はなぜ泣くのか」について考えてました。(ア式とばかり過ごしています)


2.「未来の自分に向けて」


忘れないように、12/5に引退した率直な感想を。

この4年間ほんとにしんどかった。というか、自分の弱さをとことん突きつけられた4年間だった。


これまで自分は生ぬるい高校生活を送ってきた。だからこそア式は驚きの連続だった。上手く強くなるために各々が考えて行動していた先輩方の姿を見てわくわくした。そんな環境は新鮮であり、自分も強くなりたい、上手くなりたいと思うようになった。


2年の4月に怪我をして長期離脱をしていた時もその思いは変わることはなかった。怪我をしていたからこそ長く話せた先輩方もいて、小平のジムで筋トレをしながら様々なアドバイスを頂くことができた。


ようやく2月に復帰することはできてからはプレーできることがとにかく嬉しくてたまらなかった。

しかしその後引退までの大半は自分にとって弱さを感じ続けた期間だった。


・(精神的に)辛いことから逃げ出したい

・責任を持ちたくない

・苦しいところから這い上がれない


根幹にはこれらが自分の中には強くあり、それをとことん突きつけられた。特に去年の後期リーグ戦。技術面では確実に劣る自分がチームの役に立ち勝利に貢献するには、果敢にチャレンジする積極性や空元気でもチームを盛り上げる勢い、勝利への貪欲さなどが求められるはずだった。しかし結局これらを一切見せられることはなく、前期2位という勢いを完全に自分が止めてしまった。A1にはただただついていくのに精一杯で、何一つ自分の色を出せず終わったのに失望した。何より他の先輩方や同期が応援してくれる中で期待に応えられなかったことに悔しさしかなかった。

本来ならここで更に努力を重ねリーグ戦で活躍しようと考えるはずだが、自分はチームの責任を負うということに怖さを感じてしまい、リーグ戦で活躍する自信が全くといっていいほど湧かなかった。


A2で心地よくプレーできていたのも多分責任が無いからだと思う。A2ではチームの結果の責任を負う立場にはなくただただ自身が上手くなるために積極的になれると考えていた自分が、A1に上がって何もできないのは当然だった。そしてA2のぬるま湯に浸かりきってある種の満足感を覚えてしまっていた。当然のことだが、そこから高いレベルにいっても良い結果を生み出すことはできないということを痛感した。「なんとなく良い縦パスを出して、なんとなくライン上げて、なんとなくロングパスを出す」が、なんとかなるはずがない。


それでもア式に支えられて乗り越えることができた。ミロや尾高さん、中西さんはどんな時も応援し励ましてくれたのが力になった。同期をはじめ、先輩方が声をかけてくださったおかげで苦しい時間を乗り越えることができた。苦しい時でもア式の人たちがいたからこそ立ち向かえることができた。


ア式での生活はかけがえのないものだったものの、プレーヤーとしては何一つ残すことができず、自分が満足できることは何一つ成し遂げられていない。けど4年間で学んだことは数え切れない程多い。自分の人生の中であらゆる感情が動いた、最も濃い4年間だったことは間違いない。

それらが活きる時がきたらいいな。ていうか、活かそう。今後自身の弱さに直面しそうな時、強くなった自分がそれを乗り越えていい結果を手に入れられるようにこれから歩んでいこう。そしてあんなこともあったなって未来の自分が笑えたらベスト。


最後になりますが、自分に関わってくださった全ての方々本当にありがとうございました。ア式で素晴らしい時間を過ごせたのもみなさんのおかげです。本当に感謝しています。


3.最近あった出来事

引退ブログっぽくなくてごめん。

サウナと筋トレで健康生活始めました。

みんなそろそろお金返して下さい。


4.名徳への質問

アシキ生活で、1番胸熱だったこと、笑ったこと、きつかったことをサッカー以外で教えてください


みょー的ベスト学年旅行は?


#57 林遼太郎

2020年12月22日火曜日

「自分を信じる健全性」

1. えいみーへの質問

一番プレースタイルが好きなア式蹴球部の選手は誰でしたか?印象残ったプレーと併せて教えて下さい。


→うーん、ここは4年生の中から選びます。健太です。印象に残ったプレーを1つあげることはできないですが、いつも的確なパスを出して、狙ったところにボールが落ちるのを見ると、素人目にも凄いなと思います。正確で緻密な感じがして、性格が出てるなと感じます。上からごめん。



2.「自分を信じる健全性」



最後のブログだからと気負わず、4年目を経た今、心に浮かんだことを3つあげたいと思います。サラッと読んで下さい。①と②は題名と関係ありません。



①本気になって覚えたことは忘れない


当たり前のことですが、これは1年のブランクを経て、9月に部活に復帰した時に実感しました。正直、もっと色んなことを忘れていると思っていました。試合のアップで、次のメニュー何だっけ?とか、リーグ戦のメンバー表チェックってどうするんだっけ?とか、分からなくなっているんだろうなと予想していました。ドイツにいた時間は、部活のことを毎日考えてる余裕は無かったし、頭の中を占める部活の割合が少なかったから、忘れていても1人でがっかりしないようにしようといろいろ理由をつけてメンタルに保険をかけました。

でも、いざグランドに戻ってみると、1年前までやっていたことが蘇ってきて、特に考えなくても次はこのメニューだな、この時こうするんだったなって一連の流れが自然に思い出されました。あ、私忘れてない!と嬉しくなりました。

思うに1年生の頃、叱咤激励を受けながら体に染み込ませたおかげです。国が変わっても、言語が変わっても忘れられないようです。相当染み付いています。



②まだ足りない


幸いにも、私には8人の後輩マネージャーがいます。みんなと接している中で、自分は全然足りてなかったんだとハッとさせられることがたくさんありました。

大変大変と言いながらやった主務の仕事を、異例の速さで覚え、私の助けもほとんど必要なくこなしたゆいちゃんに驚き、続く碧ちゃんは早く、丁寧、正確に三拍子揃ってやっているのを見ると、私って全然できてなかったと気がつきました。大変と言いながら本当に大変だった当時の自分を恥ずかしく思いました。

あやなちゃんの学連での頑張りには毎回驚きます。こんなに頑張ることのできる人見たことないです。

何か意見を求めれば必ず鋭い指摘をくれるともみちゃんには、やばい、私そこまで考えてなかったと気付かされます。

あやちゃんの丁寧で細部まで気を配った仕事ぶりを見て、自分の適当さを何度も反省しました。

しほちゃんのセンスの塊のようなインスタの投稿はモチベーションを上げるのに最適だったし、同時に私には広報はできないって思います。

ひなちゃんの淡々と、時に思い切りよく仕事をこなすスタイルは憧れです。私も心臓強く在りたいです。

まいちゃんの初々しさに、初心を思い出し、1年生の頃の日々ワクワクしてた気持ちを取り戻すことができた感じがします。

自分の成長の多くは、後輩の取り組み見て学んだことに由来すると思います。後輩の成長に刺激を受け、自分はまだ足りないと言い聞かせ頑張ることができました。こんなに信頼のおける、個性溢れる後輩のおかげで充実したマネージャー生活でした。



③信じる健全性


このブログの題名にしたことについて書きます。


4年目に思うマネージャーが活躍するとは、自分に何を求められているのかを瞬間、瞬間分析し、相手のニーズを察知し、行動することだと思います。常に考えて、行動する、この繰り返しです。自分がチームを変えているとか、勝利に繋がったといった大きな達成感はありません。ご存知の通り、常にモチベーションを高く持ち、プレーヤーに負けじと活躍しようとするのは難しいです。

しかし、それでも意識高く在るために私が必要だと思うのは、自分の取り組みを信じる健全性です。今よりもあと少し細部に気を配って、練習の流れを読み取って、、、そういう取り組みが勝利を引き寄せ、熱量を増幅させるんだ、と自分の取り組みを肯定し、信じる健全性です。

自分の取り組みが結果として現れることのないものなら、まずは自分の取り組みを丸ごと肯定し、その先にあるであろうチームの勝利を信じて疑わないことも必要かと思います。

自分なりの活躍の仕方を見出し、それが正しいと信じてみると、精神論にはなりますが、気が楽になるし、少なからずマネージャーというものを楽しめるのではないかと思います。


ここまで読んで頂きありがとうございます。①〜③は何の関連性も無く、冒頭に述べた通り、思い浮かんだことを書きました。何かの参考になれば嬉しいです。


最後になりますが、私は留学で1年間部に穴を開けるという大変な迷惑をかけましたが、無事に同期のみんなと引退の日を迎えることができ嬉しく思います。最後までやり通すことができたのも、関わってくださった皆さんのおかげだと思っています。特に同期と後輩マネージャーには感謝の念にたえません。

本当にありがとうございました。



3.最近の出来事

•また秋田県民に戻るけど、寒さに耐えれるか不安。


•初めてバーガーキング食べました。



4.林への質問

引退ライフ、いかがお過ごしですか?


#MGR 木村映美


2020年12月21日月曜日

「1345日と感謝」

1. 質問の回答

サッカー中にしかでないと言われているあの「わっちょま」が引退してから一度だけ出たそうですね。それはいつどんな状況の時ですか?


→ランニングマシーンから転げ落ちたことです。

恥ずかしくてそれからジムには行ってません


2.「1345日と感謝」

2017年の3月31日に初めて練習に参加して、

その日に入部宣言して、その年の第一号入部者になって

2020年12月5日、ア式蹴球部を引退しました。

約3年と8か月。およそ1345日、自分は一橋大学ア式蹴球部の一員でした。


色々と内容について悩みましたが、恥ずかしくて今まで伝えられなかった感謝の念をこの場を借りて伝えさせてください。これが最後のブログです。人の心を動かすとか心に残るようなブログは端から書けないし、「読んでいる人が退屈だと感じるかな?」とかそういうことは度外視で素直に思っていることを書かせてもらいます。


先輩たちへ。

下手くそだった僕とサッカーしてくれてありがとうございます。

沢山迷惑かけてきました。練習で吐いたり、試合で吐く。対角にロングボールを蹴るしか能が無い。体力が無くてDFラインをあげられず、縦に間延びさせる。あの温厚な尾高さんからは試合中にお叱りをうける。挙げればキリがありません。それでも先輩たちは未熟で下手な自分と一緒にサッカーしてくれました。見捨てられるのではなく沢山アドバイス頂きました。感謝しかありません。

大好きな先輩達が「上手くなったね」と言ってくれるとお世辞でも本当に嬉しかった。もっと上手くなったところを見せたかったし、リーグ戦という場でその姿を見せられなかったことは僕の一生に残る悔いなのでしょう。それでもサッカーやってきて良かったって思いました。

先輩たちのお陰でア式という組織を知り、そしてア式という組織を本当に好きになれました。ありがとうございました。


後輩たちへ。

頼りがいのない先輩でしたが、一緒にサッカーしてくれてありがとう。

残された時間は長いようですごく短いです。1345日という時間はとてつもないスピードで過ぎ去っていきます。つらいこと、苦しいことがあってモチベーションが下がるときがあるかもしれません。

色んな誘惑があります。部活じゃない人が羨ましく、楽しそうに見えるときがあるかもしれません。結果が出ずに、なぜ体育会でサッカーをやっているのだろうと思う時もあるかもしれません。

それでも真剣に取り組むサッカー以上に楽しいことって、熱中できることってやっぱりないです。


本当にないです。


だからこそ諦めたことを数えるのではなく、ア式での活動を通じて得られるモノに目を向けて、一日一日を大切に過ごしてください。特にアドバイスできることもない自分が唯一伝えられることはそれだけです。もう練習後に一緒にご飯に行けなくなるのが、一緒にサッカーできなくなるのが寂しいですが、OBという立場から応援しています。

みんなの1345日が最高の1345日間となることを祈っています。


たくみ、けんた、みょう、みろ、おおた、ひでし、みや、はやし、たつ、えぐち、せやま、まつだ、えいみー、なかた、きだ、八田へ


1345日間一緒にサッカーしてくれてありがとう。

僕の活動のモチベーションは同期のみんなでした。

大好きな同期に認められたい。

一緒に試合出て、自分のプレーでみんなを支えたい、役に立ちたい。

その一心で、1345日間ア式でサッカーをやることができました。

入部当初から三年なるまでは辛いことばっかりだったけど、それでも一回も辞めたいなって思ったことはありません。みんなのお陰です。

一生の付き合いになると思っているので長々書くことはしません。

ありがとう。これからもよろしく。


見てないとは思いますが、高校の友人へ

大学でもう一度サッカーしようと思ったのは、高校三年の秋に部員としてではなく、観客として外からみんなの試合を見たからです。あの試合を見たときに感じた悔しさ、憧憬、恥ずかしさ、それらが僕という人間の根底となり、原動力でした。ありがとう。


最後に一橋大学ア式蹴球部へ

その雰囲気の良さに惹かれて入部した日から早いもので1345日間が経ちました。入部当初と比較して現在の自分は成長できたと思っています。そうであって欲しいという自分の願望かもしれませんが。

スパイクのかかとを踏むとかを辞めて、モノを大切に扱うようになったとか。

試合前に過度に緊張しなくなったとか。

人のせいにして、責任逃れしようとすることを辞めたとか。

こんな弱い人間だった自分を成長させてくれて、本当にありがとうございました。

ア式で過ごした1345日間は僕の一生の宝物です。

ア式大好き



これ照れずに直接伝えるのは無理ですね。


3.最近の出来事

城所さんの笑い声が動画に入っていましたが、国公立戦での江口へのパスは狙ってだしたものです。


佐川、豚トロ丼食いにいくぞ

先輩たちが応援来てくれて本当嬉しかったです。ありがとうございます。


両親と現役の活動を支えてくださるOB・OGの方々へ

本当にありがとうございました。


4.えいみーへの質問

一番プレースタイルが好きなア式蹴球部の選手は誰でしたか?印象残ったプレーと併せて教えて下さい。


#28 雨宮一郎

2020年12月19日土曜日

「引退ブログ」

 1.質問の回答


はっちー。俺らもう5年も一緒にいるのか。

理由は煩悩の数だけありますが、例えば、

①自分に無いものを求めるのは本能なのではないでしょうか。

②こんな美味しいキャラをもらえて幸せです。

これで勘弁してください。


2.「引退ブログ」


どこか勝手に引退というものに希望をいだきすぎていたのかもしれない。4年間やり遂げる事で強烈な達成感や満足感を味わえるものだと信じていた。そして次のステップへ進むための勇気をくれるものだと信じていた。ただそんなに甘くはないわけで。思えば引退なんてものは自分で勝手に決めた区切りに過ぎないわけで。以前より少し彩りを失った日常が続くだけだったりするもので。


分かった事がある。

人は1日では変わらないし、何か1つの出来事で世界が変わる事もない。

自分は何も変わっちゃいない。



この4年間は本当に満たされたものだった。

いい時も悪い時も全て含めて満たされたものだった。

それは沢山の種類の、方向の、色の感情を経験する事ができたから。

そしてその全ての感情が、みんなと一緒にいることで1人では到底感じる事が出来ないほど大きく、強いものになっていたから。


ふと考える。感情っていくつあるんだろうかと。きっと数え切れないほどあるんだろうな。自分の4年間はどんな感情が組み合わさってできているのだろう。


このブログは誰に向けたものでもない。

隠しておきたいほどの恥ずかしさや普段は言えないような感謝の気持ちも書いているうちに溢れてしまった。

別に誰かに届いてほしいとかそんなんじゃなくて。

なんでこんなことを書くのかって。悲しいかな、覚えとく自信がないからさ。


今目の前には筆箱がある。その中には赤のシャーペン、黒の消しゴム、オレンジと水色の蛍光ペンが入っている。4年間の全てを忘れずにとっておくのは無理だけど、せめてこの筆箱に収まるくらいの思い出は残しておこう。



赤い思い出は強烈なものだ。例えばリーグ戦のように。初めてリーグ戦に出た時の高揚感を忘れる事ができようか。試合前の緊張感を。勝った時の幸福感を。身体は疲れているのに心が満たされるあの感覚を。そして思い出すだけで鳥肌が立つ、気迫のこもった応援の声を。


話は変わらないようで変わるけど、引退試合でもし自分が少し涙を流したとしたらそれは応援のせいだ。みんなの声で色んな思いが巡ってしまった。決して泣いてはいないけど。


なるべく多くのみんなにこの舞台を味わってほしい。リーグ戦の全ての瞬間は、4年間をかけるだけの価値があるからそのためだけに頑張ってほしい。とかいいつつ自分ももっとあの場にいたかった。

自分に勇気と感動を与えてくれたこの経験に感謝をしたい。



黒は深い後悔の色だ。忘れられない試合は沢山ある。昨年の成蹊戦とか、都トーナメントとか。だけど1番心に残っているのは今年の亜細亜との試合。恥ずかしいほどに何もできなかった。自分にとってもチームにとっても大切な一戦で本当に何もできなかった。実はあの試合のビデオは未だに見る事ができていない。それくらいショックな試合だった。自分に失望した。チームのみんなに申し訳なかった。全て終わったと思ってしまった。でも今ふりかえれば分かる。ただ実力が足りなかっただけ。努力が足りなかっただけ。そしてそれを受け入れる事が出来なかっただけ。自分が最も後悔しているのは、その試合の後の振る舞いだ。残念ながら引退の日までに自分を変えて結果を残す事はできなかった。ただ、サッカーを引退しただけであって人生は続く。弱く情けない自分を受け入れる事からまた始めよう。

この事に気付けただけでも長くサッカーを続けてきた意味があるのかもしれない。

スタートラインにたたせてくれたこの経験に感謝したい。

いや、気付かせてくれた方への感謝を込めてここはありがとうございますとしておこう。



オレンジ

オレンジの感情は優しく暖かい。これまで長い間支えてくれた家族には感謝しかない。どんなに朝早くても玄関でお見送りしてくれてありがとう。いつも美味しいご飯をつくって待っていてくれてありがとう。遠くの会場まで試合を見に来てくれてありがとう。活躍している姿を見せる事が出来なくてごめん。だけど、少なくとも必死になって頑張る姿を見せる事はできたと思う。

同期のみんなもありがとう。楽しかったな。これからも楽しいだろうね。後輩のみんな、仲良くしてくれてありがとう。先輩方ありがとうございます。特にFC南武線のみなさんお世話になりました。またゆけむりで会いましょう。

当たり前すぎて気がつかないような暖かな日常に感謝したい。



水色

水色は自由な色だ。自分はア式の自由なところが好きだ。誰もが自分の意思でこの組織に所属する事を決め、自分の意思で毎日必死に活動するこの組織が好きだ。自分の意思で練習前に早く来てボールを蹴ったり、練習後に残ってウエイトをする仲間がいるこの組織が好きだ。自分はこれまで自由であるために頑張ってきたし、これからも頑張るだろう。サッカーとは自分にとって自由を表現するものだったのかもしれない。少なくとも自分が魅了されたサッカーはとても自由なものにみえた。

自分の人生に強いて一つだけルールを設けるとしたら、それは自由じゃなきゃいけないってルールだ。


最後の一文は竹原ピストルの歌の歌詞。上手く締められなかったこのブロックをまとめてくれた竹原ピストルの歌詞力に感謝したい。



最後に。

これまでサッカーを辞めると言い出そうとした事は何度もある。でもそのたびにそれを遮るようなタイミングで何かが真横を走り抜けて。それに何らかのメッセージを勝手に感じて、黙って歩き続けてきた。ただそれだけのことなんだけど、


サッカーを続けてきて本当によかった。

ア式と出会えて本当によかった。

これだけの感情と思い出と経験を持ってる俺らは多分強い。


気づいた事がある。

俺4年間で変わったな。いや。変わったね。



3.最近の出来事

•ブログの文字の色が赤だからややこしいよなとか思いつつ。


•金沢にカニを食べに行く旅でカニアレルギー発症。死ぬほど辛かった。けどめちゃうまかった。ちなみにハプナで食べた時は発症はしなかったけどめちゃうまくもなかった。


•今日も今日とて日吉で勉強。信じられる?俺まだ毎日高山と昼飯たべてるんだぜ。


4. あめちゃんへの質問


サッカー中にしかでないと言われているあの「わっちょま」が引退してから一度だけ出たそうですね。それはいつどんな状況の時ですか?


#26 松田悠太郎