2017年6月28日水曜日

試合観戦

618日の日曜日、みんなが創価大学で喜び合っているなか、僕は明治学院と成蹊の試合へスカウティングに行っていました。結果は8-0で明治学院の勝利。その試合を観た僕は結構衝撃を受けました。なぜなら、頭一つ抜けて去年の都2部リーグを優勝した成蹊を、明治学院がほぼ終始圧倒し続けたからです。そんな圧倒的な強さを見せたこの試合の明治学院のクオリティは関東のレベルを感じさせるものでした。僕はこの試合を観て、自分が持つプレーの質の基準と関東レベルの基準との差が明確に把握できた気がしました。
このように自分よりもレベルの高い試合を生で観戦することは、同じポジションの選手のプレーを参考にできたり、客観的に自分との差を把握できたりと様々なメリットがあると思います。特に、Jリーグなどではなく大学サッカーなどの自分たちに近い年齢の選手が出ている試合からは、より大きな刺激を受けることができます。実際に、Iリーグの審判をしてみて刺激を受けたり、自分の中での基準が上がったということをブログで書いてくれた人もこれまでに何人かいました。毎週末の自分たちのリーグ戦応援でもレベルの高い試合を見ることはできますが、どうしても応援している限り一橋に肩入れして試合を観てしまうので、冷静な目で試合を観ることは中々難しいです。第三者の立場から試合を観た方が客観的に差を実感できるのでいいと思います。
7/9にアミノバイタル関東トーナメントの決勝を全員で観戦しに行くようなので、それを機に一人一人良い刺激を受けて中断期間レベルアップできれば良いと思います。

最近の出来事
小見さんに倣って加賀は謹慎です。


#21 松本絃輝

2017年6月24日土曜日

環境

自分への戒めも込めて書きました。

僕たちが一部にいることは当たり前のことではない。去年一部昇格できたのは、去年一年だけの取り組みの成果が出たわけではなく、それまで積み重ねてきたものが去年たまたま結実したっていうことはよく言われるけど、本当にその通りだと思う。僕たちの環境は、一面においては自分たちで掴んだものではあるけど、それだけではなく、むしろ僕たちの先輩が作り上げた土台があったからこそ存在しているのだと思う。

最近、圭吾やけんやが当たり前のことを注意する機会が多いように感じる。無断で練習抜けないようにとか、食事の時間しっかり守りましょうとか。個人的には、プロテイン持ってきてない上級生がちらほらいたのは結構ショックだった。(飲む理由わかんないひとは説明するのでどんどん聞いてください。

何が言いたいかというと、そういうやれば出来る当たり前のことを突き詰めてきたから、ここまで来れた、ということをみんなもう一回考え直してほしいということで、今まで積み重ねてきたはずの部分でできてないこと多くないですか

こういう意識の部分は、個人のなかでかなり差があると思うし、本当に高い意識もって出来ているひともたくさんいるし、もちろん人間だからたまにミスしたりすることはあると思うから一概には言いたくないけど、もっと上手くなるために何かできることないかって泥臭くてもストイックに探し続けるのがこの部活のいいところで強みだと思っているから、そういう探究心みたいなものを持って行動してほしい。

一部にいい意味でも悪い意味でも慣れてきたこの時期に(一年生は一部しか知らないからなかなか難しい面もあると思うけど)、もう一回、なんでこの環境があるのか、そこにふさわしい行動は何なのか、自分にもっと出来ることはないのか、ということを考えてほしいです。


思ったこと
6人は多すぎ


#20 佐々木錬

2017年6月23日金曜日

想いを乗せる

唐突ですが、私はア式の応援が好きです。チーム応援歌、個人応援歌をみんなで歌うのが楽しくて好きというのもありますが、マネージャーで、どうあっても試合に出ることのない私がその試合に何かを届けられる一番の方法ではないかと思っているからです。試合に勝ちたい、でも自分はピッチで点をとったり相手のゴールを防いだりすることはできない、でも勝ちたい、みたいなもどかしい気持ちを全部応援の歌に乗せて吐き出してる感じに近いかもしれません。そしてその勝ちたい気持ちは、普段一緒に練習する中で、暑くても頑張るプレーヤーやマネージャーを見ていて、その人達が報われてほしいというか、その人達と一緒に喜びたいって思う気持ちから生まれているように思います。
プレーヤーと話をしていると、自分が出てない試合を素直に応援できない時がある、みたいな話を聞くことがあります。それは当たり前に思うことでしょうし、そう思うこと自体が悪いことだとは全く思いません。むしろそれだけ悔しいって思うくらいに努力してるってことだからその悔しさとかもどかしさの想いを全部応援の歌に乗せて吐き出しちゃってほしいなと思います。乱暴な言い方をすると、「この自分をさしおいて試合に出てるんだから勝ってくれよ!」くらいな感じで。笑 その本気な想いは絶対ピッチに届くし、ピッチの11人は絶対それに応えてくれると思います。


なんかごちゃごちゃして何を言いたいのかわかりにくくなってしまいましたが、要は今週末の試合、きっとみんなそれぞれ色々思うところもあると思いますが、そんな想いを全部ひっくるめてみんなで全力で応援して、今季一熱い試合にしたいということです。


・来週の沖縄旅行すごいすごい楽しみ
・合宿費ってこんな高かったっけ……

MGR 南 里紗子

2017年6月22日木曜日

ブログ

  ブログを書くのは大変です。大変さは人それぞれかもしれませんが、ぼくは大変です。それは普段考える量が足りないからかもしれません。ただ、ブログを書く時間というのは僕にとって非常に重要な時間です。

  僕はブログに何を書くか考えるときまず自分の現状について考えます。自分の今の調子。自分が今どのチームにいてどのくらいの立ち位置なのか、過去の自分と今の自分を比べてみてどう変わっているのか、もしくは変わっていないのか。今自分が抱えている課題は何なのか。自分の強さ、弱さは何なのか。次にチームの現状について考えます。トップチームの調子、雰囲気。自分のカテゴリのチームの調子、雰囲気。練習の雰囲気。調子がいい人、悪い人の様子。過去と比べてチームがどう変わったのか、もしくは変わってないのか。今のチームの強みは何なのか。チームの課題は何なのか。チームのいろんな要素に目を向けてみて自分が普段感じていることを思い出します。こうして自分の現状とチームの現状との共通点だったり相違点を考えたり、または自分、もしくはチームの現状に満足いかない点について深く考えてみたりして、ブログに書くことを決めていきます。たぶん普段あまり考えてないからかもしれませんが、ブログを書くにあたって、自分やチームのことについて深く考える時間は僕にとってとても重要なもので、これまでの取り組みだったり考え方について考え直し、これからの取り組みをどう変えて行くべきなのか、明確な指針を作る非常に良い機会です。 
  こうして書いたブログは偉そうなことを言っていたり、身の丈に合わないことを言っているように思えてしまうこともあります。または、自分の現状について考えているうちに自分の主体性のなさだったり、チームへの貢献度の低さだったり、自分自身の現状に焦りを感じることもあります。ただ、普段あまり目を向けない、あまり深く考えたくないことについて真剣に向き合うこと自体が大切で僕は普段あまりそういうことができないので自分としてはブログの内容よりもそこまでの過程を重要視したいと思います。そしてブログを書いた後はその内容と矛盾しない行動を心がけていきたいです。
  これから一年生もブログを書いていくと思いますが部員の多くが読んでいますし、それ以外にもOBの方々、保護者の方々など意外と多くの人が楽しみにしているという認識で書いてもらえればなと思います。

最近の出来事
森山かわいそう
高校の同期許せない
でも心からおめでとう


#19 小野間顕

2017年6月21日水曜日

視点


一年生の時、自分のブログが自分の意識についてであったりプレーの話ばかりな一方で、上級生のブログは常にチームについて書いてるな、なんて考えてました。


当然の事ながら、この部で活動している以上常に自分のことを考えて修正していく必要があるし、前者を否定するつもりは全くないのですが、チーム視点を持てているかということはこのチームを強くする個人であるために重要なことだと思いますし、チーム視点で考えられている人の数だけチームを良くすることができると考えています。


情けないことに僕自身は上級生になってやっとチームを変えなきゃいけない立場にいる、なんて考えて少しはチーム視点で考える機会を持つようになったのかな、なんて思うのであんまり下級生に偉そうに言える立場ではないのですが、もし自分にそう言った視点が足りてないかもしれないなんて感じた人は、このブログを意識するきっかけにしてみてください。


本当にチームのことを考えて行動できている同期を見て、僕自身足りてないと感じることがありますし、もう一度考えてみようと思います。


最近の出来事
・字数の少なさは多くのボツ案を出したことで言い訳したい。
・ついにハゲキャラ認定受けました、悲しい


#18 本間恒輝


2017年6月20日火曜日

ア式に入って


一橋ア式蹴球部に入部して早くも2ヶ月がたった。大学生になって、東京に住むようになって2ヶ月がたった。全てが新しい環境に身を置くようになって、やっと慣れて落ち着いてきた気がする。今回は率直に感じていることを書こうと思う。
  
大学に入ってからサッカーはやると決めていた。でもサークルでもいいと思っていたし、正直フィールドプレーヤーにも憧れていた。いろんな新歓も行ったし、いろんな選択肢もあって、他の競技もやってみようかなとも思った。ただ、1つ決めていたことは、大学で何かしら打ち込めることをやり、4年後後悔しないようにするということだった。
そんな中で僕はア式の練習に参加したが、僕の高校が弱小だったこともあり、いろいろ少しビビってしまった。國學院久我山と練習するのか、、、と。でも、それよりも高いレベルに混じれることのワクワク感が大きかったし何より部内の雰囲気がどこよりもよかった気がしたのでア式に入部することを決めた。ポジションは、最後まで迷ったが、自分に自信を持てるGKに決めた。

5月、練習が本格的に始まった。体力も落ちていたのもあるが、割とついていくので精一杯だったし、やればやるほど自分の下手くそさが露呈していく。今でこそ少し慣れて余裕もほんの少し出てきたが、やっぱり納得できることがない。苦しいさが続いている様な感覚。でも不思議なことに、毎日がくそほど楽しい。部活に行きたさしかない。なんでなんかはわからないけど、1つは1年生の仲間に恵まれたこともあるはずだと思う。アホの八田とか個性あるやつが多いし、だんだん仲良くなってきた。大学にきて見に染みて思うのはヨッ友のような人間関係の薄さであるが、ア式の仲間のように仲良くなれる奴らができてよかったし大切にしたいと思う。
この前ふなっしーさんが、四年間かけて自分を成長させる といったようなことをおっしゃっていた。確かにそうだと思った。四年後満足して終われているのだろうか。四年後自分は一体どれほど成長しているのか。考えるだけでめっちゃ楽しみだ。でも、あえて僕は目の前のことにずっと目を向けていたい。やれることをがむしゃらにやりつづけたい。今のように余裕がなくても。そうすれば、いつか納得できるプレーができているはず。自分には伸びしろしかないと言い聞かせて、頑張りたいと思う。

最近の出来事
食事LINE頑張りたい
FCピンク新歓された 迷い中


#17 中野英司

2017年6月19日月曜日

コアサポの気持ち

多分多くの人が知ってると思うけど、自分はJリーグで応援してるチームがあります。なんで応援してるかわかんないけど、物心ついたときからずっとスタジアムに通い続けて、大した優勝経験があるわけでもなく、すごい魅力的なサッカーを毎年してるわけでもないけど、何でか離れられず、ずっと応援しています。今もホームゲームは時間さえあれば、毎回ゴール裏に行くし、どんだけお金なくても、時間があれば行きます。明日も試合後多分観に行きます。興味がない人とか、よく知らない人から見れば、多分理解できないだろうし、もしかしたら引かれてしまうかもしれないけど、それくらい熱狂的なサポーターです。
そのため、自分は週末の試合結果によって自分の1週間の気持ちは結構左右されます。勝てば、その週は機嫌がいいし、早く次の節が来ないかななんてすごく楽しみになるし、逆に負けてしまえば、1週間モヤモヤやイライラしたような気持ちを抱えることになり、早く勝ち試合を見て、良い気分をしたいと次の試合が見たくなります。どっちにしても週末が待ち遠しくなるのは変わらないですが。
これはチームを応援してるサポーターなら、程度に差はあれど、恐らくみんな抱くような感覚で、プロのサッカー選手は何万人ものファン達のそういった気分を変えてしまうだけの力があり、また応援してる人達を嫌な気分にさせないための責任があります。こういった何万人もの人たちに対する責任や覚悟を背負って戦えるプロの選手たちは本当にかっこいいと思うし、すごく憧れます。実際に試合を観に行ったら、そういう気持ちが見えずに負けて、選手たちにブーイングしたくなるような試合も最近は結構あったけど。
4月以来、ルヴァンを除いたらホームで勝利がないため(自分が生で観た試合なら3月以来)、自分は早くホームで勝ってほしいなぁとずっと思いながら試合を観に行ってます。

このチームも規模は違うけれど、似たようなことが言えると思います。一橋ア式蹴球部はプロのチームではありません。世界中にファンがいるわけでも、試合に数万人のサポーターが来て応援してくれるわけでもありません。それでも少なからず、応援してくれる人たちがいて、自分達の週末の結果を気にしてくれてる方々がいます。SNSで結果を見る人もいれば、実際に足を運んで試合を観てくださる方もいて、その方法は様々ですが、応援してくれてる方々がいるはずです。その人達がこのチームの結果にどれほど気持ちが左右されるかは人によって異なるとは思いますが、勝てば嬉しいことは間違いないはずです。そして、そんな思いを少しでも味わってもらうために、勝つ責任が自分達にはあります。
そして、何より自分達の勝利を1番願っている自分たち自身のためにも勝つことへの責任があると思います。よく「その週の取り組みが週末の結果を左右する」という言葉を聞きますが、それと同時に週末の結果が次の週の雰囲気とかを作ることもあると思います。もちろん、結果に一喜一憂せずに、どんな時でも厳しさとか雰囲気の良さを自分達で作りながら、練習をしていかなければいけないですが、事実として、勝っているときはいい雰囲気がチームに流れるし、負けが続いてる時は、何となく元気がなくなってしまうのは、よくあることだと思います。

先週の大東戦、土壇場で同点に追いついて、連敗を2で止めて、勝ち点をもぎ取ったからか、今週は何となく雰囲気が良かったように個人的には思います。残り少ないこのチームでの時間を少しでもいい雰囲気で過ごしていくためにも、1つでも多くの勝利が欲しいです。それだけのパワーが勝つということにはあると思います。

このチームは、リーグ戦では第3節以来勝利がないです。最後に勝ったのはもうずっと前のことのように思えますが、少しでも多く勝って、あの何とも言えない格別な瞬間、気持ちを多く味わいたいし、多くの人に味わってもらいたいです。そうやって少しでも多くいい雰囲気でこのチームでの活動を過ごしたいです。

前期リーグも終盤になってきて、順位、勝ち点計算、累積、上位との差、下位との差、失った勝ち点など色んな要素が頭につきまとってくると思います。勿論全部を不要なものとして切り捨ててはいけないし、勝敗だけに一喜一憂することが必ずしも正しいとは限らないけど、シンプルに1試合の勝敗への気持ち、執着を表しながら、1試合ずつ戦っていけたらいいかなと思います。

最近の出来事
学年旅行@沖縄、金なさすぎて行けないのほんとつらすぎる
そのことで、めちゃめちゃ叩かれるのもほんとつらすぎる
IL久々に点とって、両拳握りしめて、声あげながら喜んでるのに、スカしてるって言われるのほんとつらすぎる


#16 戸井純平

2017年6月17日土曜日

基準



最近、僕の中で基準が低くなっているような気がしている。
一番下のカテゴリーにいることも理由の一つなのかもしれないけれど、試合や練習でトラップ一つうまくいった、パスが通ったということで満足している自分がいた。
ひとつひとつの細かいプレーにこだわることはとても重要なことだし、トラップやパス1つを大切にしなければいけないのだが、1生の時には、今よりは当たり前にしていたことのように感じた。
ぼっしーさんがよく円陣の時に、基準を上げていこうっておっしゃっています。最近自分の中でこのことを忘れていたのではないかと思う。今のままの基準では現状維持しかできないと思うし、基準をひとつ上に設定すればその分自分もひとつ上にレベルアップできると思う。
いま基準となっていることを当たり前にする。そのためには、普段の取り組みでのひとつひとつにこだわることだと思う。大局的にはひとつ上の基準、局所的にはこだわりを持つ。
自分の中では、2年生のこの夏が勝負の時期なのではないかなと思う。ひとつ上の基準を持って、この夏に飛躍してみせます。

最近の出来事
俺のセンス、変なのかな
オシャレになりたい

#15  深井雄太

2017年6月16日金曜日

チーム

カテゴリーというものがある以上、リーグ戦の結果がその週のチームの結果で、スタメンが11人である以上、カテゴリー別で考えるのはしょうがないです。サッカーという競技は勝ち負けを決めるスポーツだし、チームの中ではスタメンを目指すし、自分が上のカテゴリーで出ることが重要だと思います。
でも、カテゴリーという枠を超えてチームとして勝つということを全員が意識できている時、チームの一体感がある時、ひとつのチームとしてリーグ戦で勝つことができるということをわたしはこれまでの2年間で体感してきました。
チームとしての一体感は何かをしたから生まれるわけでもなく、この日に生まれたというものではないです。だからこそ毎日の意識や気持ち次第だと思います。周囲の仲間に興味を持って知ろうとできるか、隣の人を信頼出来るか、人の努力に目を向けることが出来るか、同じ目標を同じ熱量で同じ想いで共有できるかなんじゃないでしょうか。他のカテゴリーの試合結果を気にすること、カテゴリーにとらわれずお互いに意見する、土曜の試合の結果がリーグ戦に影響すると考えること、など小さな意識をみんながもっていけたらいい方向に向かうんじゃないかなって思います。
いつだってチームのためだけを思っていなきゃいけないわけじゃないし、スタメンで出れない悔しさを忘れろっていっているわけでもありません。私自身日々の気持ちにムラがあることを自覚しているし、いつもチームのために動けているかと言われたら自信が無い時もあります。それでも、そうあろうとすることに意味があると思います。自分自身が上手くなることはもちろんですが、ひとりひとり自分が置かれている立場でチームのためにできることを考えられるチームでありたいです。試合中の90分は全員が全力でその一試合の勝利を目指していたいです。

そして、夏の中断期間を技術に関することだけでなくチームとして後期戦うために全員で駆け抜けたいです。

最近のできごと
・また海外逃亡してきます。
・立て替えているお金、そろそろ返して欲しい。


#MGR 鹿嶋茜

2017年6月15日木曜日

思考のその先へ


以前大儀見さんにdipcaを見ていただいた時、「練習で手を抜いてるでしょ。20%ぐらいしか力出してないんじゃない?」と、言われてしまった。正直、まあ確かにそうだなと思ったし、見破られたなと思った。

ア式での取り組みにおいて自分を客観的に見ることは避けられない宿命だ。(と、思ってる。)自分はどんなプレーが出来るのか。足が速いのか、体が強いのか、足元があるのか。一週間の取り組みはどうで、完成度と結果はどうか。相手と自分の違いはどこにあるのか。そういった自問や他者との交わりを重ね、プレーヤーとしての自分や人間としての自分が明確なものになっていく。いわゆる人間的成長に通ずる所はこういう所にある。

そういった自己分析をし、自らの理想像と比較する。そして、知識を増やしながら、自分の程度と伸びしろを知っていく。環境で染み付いたものや生まれ持ったものの違いがあることを発見する。そして、それらを身に付けようと努力する。

しかし、その努力が間違った方向に進んでしまうことは度々ある。なぜならそれはあくまで理論であって、自分に適した道筋という訳ではないから。それくらい多種多様な情報が今の時代溢れてる。葛藤を重ね、もがき、後退しながらも、答えや仮説を見つけ出す。そして、また前進を試みる。そういうサイクルを毎日毎日繰り返していく。時には、自分の手に入らないものをチームメイトに見つけ、劣等感を感じることもある。失敗の原因をそこに帰着させ、溜め息を吐き、妥協を許してしまうこともある。手術や生まれ変わりとかでしか越えられない壁に、もどかしさを感じ、苛つくこともある。

こんな風にサッカーをしていると、何か違うなと感じる時が来る。それが溜まった時、サッカーを楽しもうと、無垢な気持ちを取り戻す。だけど結局はそうはなれない。また何か考えながらサッカーをする。そして、一ヶ月に一回くらいの割合で再び同じことを思う。これらの苦悩こそが、遊びでサッカーをする人達との違いであり、本気でサッカーをする自分達にだけ課せられた宿命なのだろう。自分の可能性と向き合うことは、思いの外苦しいことだ。しかもそれは、理想が高く、自分を知れば知るほど大きくなる。


けいごが伸びる選手はどんな選手か書いてたけど自分はこう思う。
前向きに、無心で、喜んでサッカーやってる奴が一番伸びる。そしてこういう選手には、その同じ土俵に上がらない限り、絶対に勝てない。自己満足でも、頭がすっからかんでも、後ろめたいことがいくつあっても関係ない。究極、どんな飯を食おうが、どんなスクワットをしようが、どんな時間に寝ようが、ごちゃごちゃ考えるよりも、快を得られるかということ。楽しめるかどうかということが一番大事だと思う。

結局はメンタルなんだと思う。結局、今を最高に楽しんでて、今を全力で取り組める奴が一番強い。(メンタル班からの言葉になるけど、こういう選手を目標にしています。)だから、先のことを考えてしまうことは時に障壁となる。今に対して、未来を投影し、今に集中出来なくなるからだ。

こうなるために必要なことは何だろうか。巷では、「生きるか死ぬか命懸けのシチュエーション」こそが、一番最高のパフォーマンスを発揮出来る環境であると言われてる。桜井章一は、寝もせず食べもせず極限の状態で試合を迎え、日本刀とかで脅されながら牌を打ち、20年間無敗の雀鬼になったらしい。だけどそんなことも、そんなチュエーションも現実不可能だ泣。今に集中できる要素は一人一人にとって違うのだろう。よりレベルが高い場所でプレーすることに楽しさを見出す人もいれば、自分が伸び伸びプレーすることに楽しさを見出す人もいると思う。一人一人の性格や目標によって千差万別であることは間違いない。(メンタル班的にはみんなにとって不変のものもあるのだろうと思っています。)思考を重ね、この答えを見つけ出した時、間違いなく一歩先の境地があると自分は信じている。

サッカーは技術やフィジカルの他、性格、気分、コンディションなどなど、様々なものが混ざり合って結果に表れる。それら11人分が融合し、一つになって戦うものだ。これらの俯瞰的なメンタル、それを見つけ出せればきっと最高のパフォーマンス、チームが出来上がると信じてる。(もう持っている人もいると思う。)これは、普段の姿勢とかとまた別で、かつ基本的な問題。人によって、難しかったり簡単だったりする問題だ。けれど、少なくとも、練習中考えてしまうことが多い自分のような人には共感できる問題だと思う。真に一人一人がサッカーを楽しめるようになれれば、もっとサッカーを上手くなれるはずだし、このチームももっと強くなれるはずだと信じてる。

まとまらなくてすみません。読みにくい駄文、失礼しました。


最近の出来事
・就職出来ても出来なくても人生大して変わらないby齋藤飛鳥
・乃木坂最高
・無内定飲みの無内定ぶり
・ソーセージ15個頼んだのは俺じゃないはず

#14 仁賀雅之

2017年6月14日水曜日

失敗は成功のもと

大学生活で初めてケガをした。
約3年ぶりにケガをしてサッカー出来ない時間を味わってストレスはたまるけど、ケガをすることはすべてがマイナスなことではない。プレーしているときよりも客観的に他の人のプレーを見ることが出来る。上手い人のプレー見て、この場合はこういうプレーすればいいんだな、このタイミングでプレスすればいいんだなとか、いいイメージをインプットすることが出来るし、普段あまり一緒に練習する機会のない人のプレーを見て、面白いプレーするな、この人伸びたなっていう新しい発見もあった。他人のプレーを観察することは復帰したときに自分の成長にもイメージの共有にも繋がる。だから、外からしっかり練習を見ることは自分にとってプラスになるはず。ケガ人がリハビリやるのもいいことだけど、練習見ることも同じくらい大切ではないだろうか。日曜のリーグ戦前の練習もケガ人は義務ではないけど、暇なら来てもいいんじゃないかな、得られるものはあるんじゃないのかなって思う。


実際に練習見ていて感じたことがある。主にBチームについてである。Bでも上手い人多いし、頑張ってる人がいる。ただ、なんとなくプレーしている人が多いとも思う。なんとなくプレスしたり、なんとなくそのポジションにいたり、なんとなく与えられた練習メニューをやっている。この場合のなんとなくはやる気やモチベーションによるものについてではない。
なんとなくやってしまう原因の1つはどうすればいいか分からないからだと思う。自分もそういう時期があったからこの気持ちは理解できる。自分が1年の頃はレベルが高い相手に対してどうやって守備したらいいか分からなくて、それでいて失敗を怖れていたから、同じような失点の仕方をして、ボロ負けすることが多かった。
なんとなくやってしまったら、正解を得ることも失敗することも出来なくて、また同じミスを繰り返して、結局進歩しない。1つの解決策としては失敗すること。別にはじめから正解のプレーする必要なんてない。失敗してもチャレンジしてみることで、得られるものはあるし、次に同じ状況になったときに改善のしようがある。失敗を怖れず、積極的にチャレンジしていってほしい。


3年生になって、大学生活の半分が終わった。時間が経つのが早い。1年生や2年生も時間はあるようでないから、常に試合を想定して練習して、意図を持ってやっていってほしい。
いい意味で期待を裏切ってくれる人が増えてきてくれると嬉しい。

最近の出来事
・FC餃子新入部員募集中です。
・入部希望者は純平まで。


#13 加賀平朗

2017年6月13日火曜日

課題設定


最近の練習はみんな気持ちが入ってて、一年生も段々大学のサッカーにも慣れ始めて、球際とかチームメイトや相手に対して絶対に負けないという気持ちの面で強度を高く保てているように感じる。それはすごくいいことだし、大事なことだと思うが、練習の中で勝負にこだわり過ぎて、見失っていることもあるように感じた。



どういうことかというと、練習のメニューの最中や、終わった後、自分なりの課題を意識することが、勝負にこだわるあまり忘れられてしまっているんじゃないかということだ。どんな練習メニューでも、大方勝ち負けは存在していて、誰しもその勝負には負けたくない。負けてもいいなんて気持ちで挑んでるやつはいないと思う。その気持ちは絶対に無くてはならないし、一つの試合だけをみれば、その勝ち負けが得点や失点、そして結果につながって行く。ただ、練習においてはその勝ち負けだけが全てではない。簡単にいってしまえば、練習メニューの後、勝ったから嬉しいとか、負けたから悔しいとか、それだけになっていないか、ということだ。



練習前に自分なりの課題、それに対する出来ることを考えてくることは、メンタル班がリラクゼーションの中でやってくれたりとか、練習前の集合でそういう意識付けがあるおかげで、大体の人が出来てるんじゃないかと思う。ただ、それに対して練習の中でもそれを覚えていて意識出来てる人は何人いるのかなと思った。練習の最中、あるいは終わった後、勝ったとか負けたとか、そういうのも高いメンタリティを保つために必要だが、練習の中で課題を意識して、改善していくことも大事だと思う。勝ち負けを意識するだけの練習だと、なかなか自分の苦手な部分とか、伸ばしたいところが伸びないと思う。



例えば、最近毎練習やる3-1とか4-2などのポゼッションでも鬼になりたくないという一心でプレーするのではなく、積極的に間を狙うとか、いつもより懐深いところでボールを触ろうとか、少し課題を意識するだけで伸び方は変わってくると思う。課題を設定すれば自ずと反省もできる。このサイクルを繰り返していければ、いい選手になれると思う。この意識最近忘れてたなって人はもう一度思い出すようにしましょう。



最近の出来ごと

ブログの締め方って難しい

就活怖い


#12 重宗大貴

2017年6月12日月曜日

落ち込んでいるとき・次の日

就活苦戦中です。まだ望みはあるけど。


まとまらないので、軽い気持ちで読んでください。
就活を進める中で、結果が出ていないことの伝え方にとても苦労している。

「自分は試合には出ていないのですが~」
「イヤーブックという広報紙を作る担当をしていて~」
など。

少し船越と話がかぶってしまう気がするけど、これがとても苦しい。
明確な結果が出ていることであれば、結果から逆説的に説明もできるけど、結果が出ていないことの説明は結構難しい。
過程を評価してくれる人はいるけれど、それは僕と価値観の近い人間だったりしている。

皆がブログによく書くことではあるし、改めて言う必要はないと思うけど、このチームにはそれぞれの居場所がある。
よく冗談で「香苗ちゃんを新歓したことが唯一の役目」とか「イヤーブックの人」とか言われるけど、ピッチで明確な結果を残していない以上それは間違いではない。


「与えられた環境で一人ひとりができることを全力で」やることがチームの総力を高める…というように綺麗にまとめてしまえば簡単だけど、それって本当に意味があるの?とか。外側から見た認識と自分達の価値観は異なることがある。僕は本当にこの価値観を信じているし、信じたい。ただ自分がどのように貢献できているのか、不安でしょうがない。


例えばイヤーブックの話。自分は多少デザインを整え、皆の頑張りで広告費が増えたことで満足していた。もちろん努力はしたし、胸を張って良いものが作れたと言える。ただ全く関係のない人があの冊子を見たときに、どの部分に価値を感じられるか。当然全く関係ない人向けには作っていないけど、ところどころあるミスに気が付いて欠陥品だと思うかもしれない。イヤーブックは点数などの指標で評価されるものではなく、作成によって明確な結果は出ない。少しでもOBの方々に現役の姿を伝えられるように…とか新入生が僕らのことを知れるように…など、少しでも部活に貢献できたら、という願望を込めて作成されるのである。これもイヤーブックの持つ価値を僕が妄信しているだけで、実際の価値は誰にもわからない。


こういうことを考えると、やっぱり不安。
なんらかの価値を妄信するということは、本当に怖い。映画でも小説でも、妄信する人ってだいたいヤバいじゃないですか。

ただ、僕らはリーグ戦を戦っているのであり、1週間毎に嫌でも試合がやってくる。こういう状況で、自分達の価値観を信じる以上に有効な手はないとも思う。
去年はこれで成果を出せたけど、今年は?とか、考えていたらきりがないし、一つ一つの練習に100%で取り組むことが最善であることは確か。
それで結果が出るならなお良し。



↑6月8日までの下書き













↓6月9日
他人に評価されることが日常になっていたので、どこかおかしくなっていて、
謎の不安とか妄信とか価値観とか書いて綺麗な文章にしようとしていたけど、そういうの向いていないの思い出しました。

僕らの価値観は正しいし、誇りを持てる。
怪我も治ってきたしとにかくサッカーが楽しい。
残り時間少ないけど、後悔のないように明るく全力で頑張りたいと思います。





最近の出来事
落ち込んでいる状態で文章書くと気持ち悪いものができることがわかった。直そうと思ったけど敢えてこのままで。
働きたい。
油断していた先々週の自分を殴りたい。


#11 田中才揮

2017年6月10日土曜日

続き

円陣で常に話す機会をもらっているので特に書くこともないのですが、それではまずいので昨日の練習後の円陣の話に続けるような形で書きます。
どんなサッカー選手が伸びると皆は思いますか?
16年間ほどサッカーをやってきて、僕は2つの大切な要素があると考えています。
それは「周囲からの期待」と「根拠のない自信」です。
伸びる選手は、「周囲からの期待」を得られる人間です。
謙虚で素直な人間性と、その人一倍の努力から周りに応援したいと思わせるような力を持っています。また、その期待に応えようとより多くの努力を積み重ねるという良い循環に入っているように思います。
伸びる選手は、「根拠のない自信」を持っています。
自らの現状に自信の拠り所を求めても、上を見据えて努力する人間には、自分に足りないものばかりが目につくはずです。それでも、「自分ならば必ず実現できる」という強いメンタリティを持つ人間は、良いイメージを持ち続け、積極的にチャレンジを繰り返すことができます。その分、多くの失敗を経験することで成長速度も速くなっているように思います。
他にも成長するためには多くの大切な要素があると思いますが、僕はこの2つが特に大切だと思っています。このブログを参考に皆が自身の取り組みや考え方について見直す機会にしてくれれば嬉しいです。

最近の出来事
栗木さん曰く、「ブスになったのはかなえちゃんだけ」だそうです。
こうに新歓pvの圭吾さんブスすぎって言われました。
ブス飯開きましょう。


#10 吉田圭吾

2017年6月9日金曜日

頑張りたいもの

最近四年生が続々と就活を終えていて、自分も将来のことを考えないといけない時期がきたことを感じます。高校の友達からも、就活に備えてTOEICの勉強をしているとか、インターンに行っているという話をよく聞きます。そういう話を聞くと私も何かやらなきゃなとか、みんなちゃんと考えていて偉いなと思います。
中高同じ部活で一緒にオーケストラをやっていた友達で、中1から始めて大学でもサークルに入ってずっと続けていた楽器を、長期のインターンに行くために辞めた子がいました。辞めるという話を聞いた時私は、なんだか寂しいなと感じました。せっかく続けていたのにもったいないというのもそうですが、中高6年間私も一緒に頑張ってきた部活やサークルでその楽器を通して得たものとかサークルを最後まで続けた場合に得られるものとインターンを比べて、インターンの方が価値があるのだろうかと思ってしまったからです
 他にもこういう類の話を聞く度に自分に当てはめて考えて、自分が今やっている部活は本当に続ける意味があるものなのか?と疑問に思ってしまいます。去年一年生が、「大学生活で他にやりたいことがある」といって辞めていってしまった時もそうでした。ア式と、ア式以外のことを比べて後者を選択する人があんなにたくさんいたことがショックで、ア式が好きで続けていた自分に自信が持てなくなりました。
周りの人の話を聞いて、もっと学生らしいことや将来のことを考えるべきなんじゃないかと最近までいろいろ考えていたのですが、でもやっぱり私は大学生の間は今しかできない部活に全力を注ぎたいと思いました。大学に入ってから2.5年間、ア式以外に大したことはしてこなかったけれど、ア式で経験したことはきっと他の活動を通して得られるものよりも価値があるはずだと思ったし、同期が試合で活躍しているところとか、一部の舞台で戦うプレーヤーとか、他のマネージャーが試行錯誤している姿とかを見たら、大学生活の最後まで時間をかけて頑張りたいのはア式での活動だと思いました。だから、残り1年半でもっと積極的に部活に関わって4年間ア式に捧げることの意味を自分で自信を持って言えるようになりたいと考えました。こんなことが言えるのは、私に小さい頃からの将来の夢とか他にやりたいと強く思えるものがないからかもしれないけれど、周りの人がどうとかじゃなくて、1年生の時に悩みに悩んで決めたマネージャーという選択肢に恥じない自分でありたいです。そのためにも周りの意見をよく聞いたりして、何がプレーヤーにとって一番良いのか、部を良くするために必要なことはなにか妥協せずに考え、マネージャーとしてもっと成長していきたいです。


2. 最近の出来事
・「あんなこと書いてたけどかなえさんはかわいいっすよ」とみんなに言われてかなえさんは嬉しそうでした
・首の黒さと眉毛の黒さをなんとかしたい


MGR 平野優

2017年6月8日木曜日

ハードワークのその先

立教戦。
チームとしても、個人としても、これといった見せ場なく負けた。
逆に、大きく崩されたシーンもなかったけど、ただただ負けた。
正直、試合を終えてみて、チームとしてポテンシャルを発揮できなかった、実力を出し切れなかった、という気持ちはなかった。
チームとしてブレずに一体感を持って、最後まで粘り強く、泥臭く闘えていたと思う。
それだけに、次どうすればいいのかあんまりイメージが湧かなかった。

今、特にトップチームは新しい壁にぶつかっていると思う。
自分が入部したときから、チームは確実に進化していると思うし、中でプレーしていて本当にそう感じる。
一橋大学ア式蹴球部というチームとしての、球際、切り替え、運動量へのこだわりや追求心は年々磨かれ、今やそれがこのチームのアイデンティティみたいな側面まである。中でもトップチームに関わる人は、それをチームで最も体現する者として、情熱とプライドを持って取り組めていると思う。
そして昨年に関して言えば、それが一部昇格という形で結実した。

ただ、僕個人が一部リーグを闘っていて、ある種の限界を感じたのは事実だ。
単純に、身体張ります、走ります、頑張ります、闘います、だけじゃどうにもならない差が、一部という舞台にはある。
もっとサッカーというものを深く知らなければいけない。
もっと頭を使って、90分間闘わなければならない。
奪った後、もっとボールを大事にしなければない。

本当に今、壁にぶつかっている。
今まで誰も経験したことのない壁に。
36年ぶりに新しいステージに立った僕らにしか体感することのできない、とてつもなく大きな壁。

今ここに、進化の源泉がある。
そう思っている。
これまでの取り組みを否定するつもりは全くない。
チームとして一体となって闘う上で、ベースとなる大切な姿勢、メンタリティはこれまでの徹底した積み上げによって実現したものだ。これをブラすわけにはいかない。
当たり前だが、現状に満足せずもっともっとこだわっていく。
ただ、それだけでは変われるのかと考えたとき、疑問が残る。
もうこのチームは、そういった、これまでとは次元が一つ上の壁にぶちあたっていて、そこを越えていかなければいけない。

このタイミングで、このチームでプレーできる僕は、本当に幸運だ
未知なる壁にチャレンジできる環境にいる。
そのことを噛み締めながら、これからもチームで壁に挑んでいきたい。



最近の出来事
就活はまじメンタル。



#8 宗嵩久

当たり前

今シーズンのリーグ戦に途中出場することが多くなって、改めて気づいたことだが、一部の相手は技術よりも寄せの早さやプレスの厳しさそして、プレースピード(判断の早さ)のレベルが明確に高いと感じました。
ここで、元陸上選手の為末大さんの言葉を引用します。「天才をのぞき、普通の人がトップレベルに行くにはトップレベルにたくさん触れる事で、そこで常識とされる事に自分が染まってしまうのが一番早いと思う。人はすごい事をやって引き上げられるというより、こんなの普通でしょと思うレベルの底上げによって引き上げられると思う。」
この言葉からわかることは、全ては自分のやる気次第だと思うが、環境に恵まれるということも大切だということです。
しかし、この言葉で感じたのは、練習するグラウンドが悪いといった、現状嘆いても仕方ないことに目を向けて欲しいわけではなく、去年までの取り組みによって勝ち得た一部リーグという強敵と戦える環境に、そして、各カテゴリーで戦う自分たちよりも高いレベルに目を向けるということです。
「相手に合わせるな」という言葉は自分たちよりも格下相手に使う言葉ですが、実力的に自分たちを上回る相手ばかりの場合、この「相手に合わせる」ことは自分の成長を促してくれることにつながると思います。
僕もこれを意識して、より高いレベルでプレーできるようになりたいです。

最近の出来事
イヤホンを爺さんのリュックに持ってかれた
Iリーグの主審やった時、フェアプレー精神の大切さが身にしみた


#55 中村 祐樹

2017年6月7日水曜日

井の中の蛙、大海を知る

ねっとりとした汗が流れる。
エアリズムがぺったりと張り付いた背中は不快なこと極まりない。
手帳を開き、次の面接の場所を確認するとYahoo乗り換えでルートを探索する。
丸の内のオフィス街をスパイクではなく真っ黒な革靴で駆ける。
頭の中は志望動機、学生時代頑張ったこと、自分の強み、諸々。
吐きそうな緊張感で時折しゃがみこむ。

駅のホームで内定もらったと騒ぐ学生が一人。二人。
うるせえ。
黙れ。
内定よこせ。

サッカーしてる時とは違う緊張感。
サッカーしてる時にかく汗とはまったく違う。
ビデオミーティングで面接のこれが悪いとかあれが悪いとか、振り返ることもできない。
ご縁があるか、ないか。それだけ。



面接では体育会ア式蹴球部で活動してきたことをメインで話した。
広報活動で自分が携わった様々なことを情熱を持って言葉にした。
告知、ホームページ、集中応援日、メルマガ。

ただ、社会人の反応は予想以上に薄かった。
『へぇ。だから?』
『選手としては?』
『応援でチーム強くなるの?』
どうも腑に落ちていない面接官の顔を見るたびに自分の部活で行ってきたことや、自分が部活動に対して持ち続けてきた想いに対して自信が持てなくなる。
僕が口下手なだけかもしれない。
僕が緊張しすぎていただけかもしれない。
隣のオタクくさいやつにも、向こうのチャラついてるやつにも、負けていないはずだ。
大学で捧げてきたことの質や量は間違いなく上だという自負があった。

ただ、それはア式という狭いコミュニティの中だけで得た評価を自分なりに良い方に解釈していただけなのかもしれない。自分が情熱を捧げたと言っても、客観的にみたら大したことはないのかもしれない。
応援を増やしたい。OBのコミットメントを強化したい。広報ユニットというフィールドを通じてチームを強くしたい。
この想いも、つまるところ選手として活躍できなかった心の拠り所であったのかもしれない。もし、チームを強くしたいという想いがそれほどのものであったなら、尋常でない努力をしただろう。広報の話をうんたらするより、選手としての活躍をもっと話せていただろう。もしかしたら、選手としても広報としてももっともっと色々出来たんじゃないか。
というか、広報としてももっと革新的な変化を生み出したり、応援の動員数に直接結びつく企画を打ち出せたんじゃないだろうか。

結果が全ての世界で、結果が出せない人間の言い訳だったのか。
妥協点を自分の最高値に据え置いて、満足していただけか。
自宅で面接の通過連絡を震えながら待つたびに自問を繰り返す。
広報でチームを強くしたかった。広報でより多くのOBや保護者を取り込んで魅力溢れるチーム作りの一環になりたかった。
それまで自分の中で軸としていたものが信じられなくなった。
足元から崩れ落ちていくような、頭から溶け出すような。

焦燥感にも似た想い。

内定をもらった企業達が自分を評価した言葉は一貫していた。
『君が海外生活で得た経験』
『語学力』
『君という人柄』
『君の我が社への想い』
倩々。

広報のこと、評価してもらったわけじゃないんだ。
中心選手じゃなくちゃダメなん?
プロ選手欲しいわけじゃないでしょ?
それとも、僕の部活への想いが弱いだけなのかもしれないけど。

これだけやってきた。
こんだけ変えた。
こんだけ影響を与えた。
でも、自分の尺度でしかみれていなかった。
広報として、もっともっとできたことがあっただろう。
選手として、もっともっと成長できていただろう。

気づきの多い就職活動だった。


最近の出来事
・梶さんのオワハラ半端ない。
・就活中、仁賀は毎晩のように同期にLINEして就活サポーターズになってたらしい。


#9 船越弘晃