2020年11月24日火曜日

# 赤松歩人

 仙台二高出身、社会学部1年の赤松歩人です。入部した経緯と今後の抱負を書かせていただきました。拙い文章ですが読んでいただけると幸いです。


僕は小2頃から地元のスクールに通いはじめてサッカーを始めました。その頃は練習というよりは友達との遊びの延長という感覚でサッカーをしていました。その後小5あたりからベガルタ仙台のスクールにも通うようになり、そこで基礎的な技術を教わり徐々に本気でサッカーに取り組むようになりました。中学に入学し当然のようにサッカー部に入りましたが、進学した中学は部活ではなくサークルという制度をとっていて、週に3,4日しか練習できず、公式戦はほとんど初戦敗退でした。学校での活動以外にも個人での自主練にかなり力を入れて他校の選手に追い付こうとしましたが、思うように結果が出せず中総体は地区予選初戦敗退で引退しました。中学の経験でサッカーに対しモチベーションが上がらず、また中3の夏に駅伝に参加していたこともあり、高校では陸上部に入部しました。仲間に恵まれ、練習にも熱心に取り組んである程度納得のいく形で引退まで活動することができ、高校で陸上を始めた選択は間違っていなかったと思います。ただ、あれだけ好きだったはずのサッカーを中途半端なままやめてしまったという感覚はずっと残っていました。


その後1年の浪人を経て一橋に合格し、所属団体を考えたとき真っ先に候補に上がったのがア式蹴球部でした。入部希望者のLINEグループにも春先の段階で入れてもらい気持ちとしては入部したかったのですが、これだけブランクが大きくて入部してやっていけるのか不安でずっと保留にしていました。散々悩みましたがやはりもう一度真剣にサッカーをしたいと思い、他の1年から1か月ほど遅れたタイミングではありましたが、入部を決めました。今は感覚が全く戻らず、自分の能力不足で周囲に迷惑をかけてばかりなので少しでも早くチームに貢献できるよう頑張りたいと思います。


2020年11月17日火曜日

#STF 近岡頌

 自己紹介ブログ

こんにちは、1年スタッフの近岡頌です。

麻布高校出身で、商学部に通っています。偉大な先輩方のお陰で、ぶっ飛んでいる話やキャラを期待されることが多々ありますがお許しください。


自己紹介ということなので僕のサッカー遍歴、入部理由を書いていきたいと思います。


僕は幼稚園に通っている時ドイツに住んでいて、サッカーを始めました。ドイツワールドカップが開催され、住んでいた街の近くに日本代表が来ていたこともあり、サッカーにハマっていきました。そんなこともありドイツ代表やバイエルンミュンヘンといったチームは今でも応援してます。日本に戻ってもサッカーを続け、中高6年間は学校の部活動に入ってました。ポジションはボランチやインテリオールをやっていて、好きな選手はバラック、シュヴァインシュタイガー、ラームなどなどでした。今はキミッヒが1番のお気に入りです。ポリバレントで、すごくクレバー。身体は大きくないけど、ピッチでの存在感はずば抜けていて、キャプテンシーもある。すっごく魅力的な選手だとおもいます。


少し話が逸れてしまったのですが、ここからはなぜスタッフとして入部したのかという話に移りたいと思います。高3の半ばから腰痛がひどく、かなりストレスを抱えながらプレーを続けるという感じでした。受験も終わり、サッカーを再開していたのですが痛みはなかなか引かず、色々と検査をしてみましたが改善の目処はたちませんでした。そんなこともあり大学ではサッカーを続ける予定はありませんでした。


しかしア式のHPやSNSをチェックし、そして新歓活動に参加しているとプレイヤー以外の選択肢があることを知り、次第に惹かれていくようになりました。プレーという形でチームに貢献することはできませんが、サッカーに真摯に取り組む、上級者の方々や同期と活動するということはすごく魅力的で、入部することにしました。部活動に初めて参加した日から上級生の皆さんは優しくしてくださり、凄くありがたかったです。最近ではBチームの練習メニューの作成やTMの時はミーティングなど様々な仕事を任せていただき、また入ったばかりの僕の意見にも耳を傾けていただき、ありがたいなと思うと同時に責任感を感じながら取り組んでいます。


まだまだわからないことだらけですが、選手そしてチームの成長のために一生懸命頑張りますのでよろしくお願いします!


2020年11月10日火曜日

#75 杉田周

 県立千葉高校出身、商学部の杉田 周です。「周」と書いて「あまね」と読みます。GKです。


 自分は幼稚園の頃にサッカーを始め、高3の8月までそれなりにサッカーに時間を割く生活をしていました。指導者に恵まれて楽しく続けることができたと思います。

 とはいえ、特別優秀な大会成績を残しているわけでも強豪チームに居たわけでもなかったので、一橋合格後はかなり迷いました。ア式で通用するのか、サークルで楽しく続けてもいいのでは、勉強がないがしろになるのではないか、など。どこでサッカーを続けるかでこんなに迷ったのは初めてでした。

 それでもア式への入部を決めた最大の理由は、本気でサッカーに取り組めるのはこれが最後のチャンスだと思ったからです。受験期と自粛期間中あわせて丸1年サッカーから離れている間、サッカー自体へのモチベーションに加えて緊張感のある公式戦をもっと経験したいという思いも強まっていました。ただそれは社会人になってからではなかなか得られないものなので、やっぱり最後のチャンスを逃したくないと思いました。さらにそのチャンスには、戸田さんからの指導や雰囲気の良い公式戦を経験できる可能性があり、最終的にはもう入るしかないという気持ちになっていました。

 

 活動に参加して1ヵ月以上が経ちチーム内競争の激しさを実感していますが、その中に埋もれないようにこれからも頑張っていきたいです。

2020年11月9日月曜日

#74 小松怜平

 「自己紹介」

初めまして.北海道札幌南高校出身,社会学部の小松怜平です.

 

サッカーを始めたのは幼稚園のころで,きっかけはよく覚えていません.当時は千葉に住んでおり,小学校に上がると同時に地元のクラブチームに入りました.小2で札幌に戻ってからもクラブチームでサッカーを続けましたが,強豪チームだったこともありほとんど試合に出場できず,ユースチームにも残れませんでした.そこでセレクションを受け,中学では他のチームに入団しました.が,ふたを開けてみればある意味で恐怖政治じみた指導のもと,負ければすぐ罰走,備品失くすと坊主,スマホ所持禁止...などなど所謂スポ根的な一昔前のチームという感じでした.正直なところサッカーが苦痛でしかなく,3年時には主将を務めましたが,リーグ発足以来初の降格という不名誉な結果を残してしまいました.そんなわけで諦めきれず高校でも部活に入って続けたところ,一転して楽しさを感じながら取り組むことができ,最後の大会も完全燃焼といった形で終えられました.

 

大学に入ってからは,サッカーを続ける気はありましたがサークルか部活かで迷う日々が続いていました.一橋を志望し始めてからア式のTwitterをフォローするなど,ずっと興味はありましたが,コロナで練習の体験などができず入部を決めかねていました.しかし,たまたま同じクラスになった相原や福永と一緒に遊びでサッカーをしたり,二人から情報を得たりするなかで,また本気でサッカーがしたいという気持ちが芽生えました.それに加え,オンライン授業ということで自堕落な生活を送っていた春夏学期を振り返ったところ,このままなにもせずに4年間終わってしまうのではないかと不安になり,一所懸命に打ち込めるものが自分には必要だと強く感じました.ちょうどそのタイミングで活動再開となったため入部を決めました.

 

入部してからおよそ一か月半,レベルの高さやサッカーに対する熱量など圧倒されることが多いですが,はやくチームの力になれるよう食らいついていきたいと思います.

2020年11月4日水曜日

#73 北河耕太

 自己紹介(北河)


初めまして、ア式蹴球部一年の北河耕太です。今回が初めてのブログということで、まずは自己紹介をさせていただきます。


僕は父の転勤によりオーストラリアで生まれました。2歳の時に日本に戻り、それから東京都大田区で実家暮らしをしています。中高は神奈川県の浅野中学、高等学校です。そして、一橋大学に入学しました。


次に僕のサッカー歴について書きたいと思います。僕は日本に帰った2歳からサッカーを始めました。理由は、両親が球技をやらせたいと思ったらしく、地元の小さいサッカースクールに入れられました。小学校では地元のクラブチームに入りました。僕はこの時から背が大きいという理由からディフェンスをやっていたのですが、小4か小5の時にたいしてうまくもないのにAチームに入りました。しかし僕のチームは大田区一位でチームメイトにはその後マリノス、ベルディ、フロンターレのユースになった子もいるような勝ちにこだわるチームで、まだ仲良しこよしのサッカーをしていたかった僕にはコーチからの怒鳴り声が苦痛でした。そのため小6の時に中学受験を言い訳に逃げるようにしてチームを離脱して、受験後少し参加した程度です。


中学校に入学した僕はサッカー部に入りました。なぜなら両親が部活に入らなければ許さない考えで、あとは小学校の時にサッカーをやっていた流れで何となく入った感じです。浅野はチームとしては神奈川の中で強くはないのですが、個人としてうまい人は結構いました。顧問はかなり実力を持った方で、なぜ浅野サッカー部で顧問をしているの?と思うほどです。顧問のコネで毎年4人は横浜市トレセンに参加していましたし、そこから県トレセンに行く人もいました。そして、この浅野サッカー部に入った僕はまたしても全くうまくないのにAチームに入り、さらには部長も任されました。このときも中学入学時170cmという身長があったからですかね?しかし、Aチームの試合に出てもヘディングはすべてかぶり、(浅野はポゼッションサッカーをしていたのですが)ましてやビルドアップのことなどは知りもせず失点に直結するようなロストをして毎日怒られていました。部活が本当に嫌で、特に中三の時に高二の先輩にとても厳しい人がいて毎日罵声を浴び、毎日が地獄でした。僕はそこで初めてサッカーがうまくなるにはどうしたらいいのかを考えるようになりました。ヘディングも背がでかいから強いわけではないことに気が付き自主練を重ね、かぶることはなくなり競り勝てるようになりました。ビルドアップに関しても今なお練習中ではありますが以前に比べてだいぶ自信をもってプレーできるようになりました。そして高三7月の引退までサッカーをしていました。


そして大学に入学して、ア式蹴球部に入部しました。入部理由は、高校部活を経験してサークルでは物足りないだろうなと思ったからです。またこれだけ長く続けてきたサッカーをやめたくないと思い、国立大学に入ったら絶対に入ると決めていました。いざ入ってみると、小中高と同じで高いレベルの中でサッカーをさせてもらっていると思います。


このように僕のサッカー歴を書いてみて気づいたことがあります。それは周りにうまい人たちがいる中でサッカーをさせてもらっていることです。まだまだ実力不足な僕は、また小中高と同じように大学でもよく怒られるかもしれません。そうなったとしても高いレベルの中に何とか食らいついて小学校の時のように逃げるのではなく、中高の時のようにサッカーについて考えて自分自身の成長につなげてチームに貢献していきたいです。長くなりましたがこれからのア式蹴球部での4年間、よろしくお願いします。


2020年11月2日月曜日

#72 善養寺峻史

 

ア式1年法学部の善養寺峻史です。拙い文章ですが最後まで読んでいただけたら幸いです。



僕は小学校3年生の時に地元のサッカークラブに入り、サッカーを始めました。この頃はがむしゃらにボールを追いかけていたのを覚えています。中学ではクラブチームに入り、遠征では日本各地を回りました。クラブチームでレベルが高かったため、この頃はサッカーを一番楽しめていた時期だったと思います。

高校でもサッカー部に入りましたが、クラブチーム出身者が少なく中学までのスタイルとのギャップに悩みつつも、3年間奮闘しました。そして今年浪人を経て、ア式に入部しました。サッカーをするなら本気で出来る環境が良いと思っていたので、ア式に入部することに迷いはありませんでした。しかし、思った以上にハイレベルで付いていくので精一杯の毎日です。これからは徐々にア式に慣れて行き、ゆくゆくはリーグ戦に出場出来るようにしたいと思います。