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2019年10月3日木曜日

「バトンパス」

「バトンパス」

「チャンスの神様はどんどんハゲていく」とか、「信頼と信用」とか、またブログで御託を並べようと考えていましたが、尾高にチクリと刺されてしまったのでやめておきます笑

自分の気持ちと、みんなに向けたメッセージを書くので最後まで読んでくれたら嬉しいです。

もうあと2週間もなくア式での生活が終わります。

僕にとって、この4年間はあまりにも「短かった」というのが今の率直な感想です。

もちろん、ア式での経験を通して成長した点は沢山あります。

ミーティングや部員との会話で表明するのとはまた違った、自分だけの裏目標みたいなものが達成できたこと

責任を取るということがわかってきたこと

サッカーの面でもたくさんあります。ピッチ内でもピッチ外でも、探せば良い変化は沢山見つかります。

でもそれと同じように、いや、それよりももっと、ずっと多く、達成できなかったことや悔いの残ることが思いついてしまいます。

身体のケア、プレーのこと、戦術のこと、あの時こうしとけば良かったとか、あの人と話しておけば良かった、とか。

自分の甘さとか、嫌いな部分は正直直しきれないまま終わりを迎えてしまいそうです。

悔しいですが、これは事実。ア式にいなければ気づかなかったようなことです。さらに先の人生への宿題としたいと思います。


そんな自分とは裏腹に、歴代の先輩にも同期にも偉大な人は確かにいます。ア式での生活に悔いなく、4年間で成長を遂げきれた人はいると思います。

でも僕みたいな人にとって、4年間という期間はあまりにも短かった。そしてそれは、今後引退していく部員の多くが感じる感情だろうと思います。
例えみんながどれだけ頑張ったとしても、です。

部活動という性質上、部員は絶えず入れ替わります。個々人に4年間分以上の成長がなければ、ア式をもっと良い組織に変えることはできないでしょう。

だからこそ、みんなにはたった4年間分の成長で終わってほしくない。

僕らの経験を踏み台に、もっともっと濃いア式生活を送ってほしいです。ア式をさらに良くして、さらに好きになって、さらに強くなっていって欲しいです。

時代の変化を感じます。組織が個人の上に立つ時代は終わったのかもしれません。それでも、「ア式」という組織にいることの価値は揺らがないと思います。(曖昧な物言いですが、1つの主張です。)


今年の1年間は、自分が大切だと思うことを、自分のキャラクターで伝えてきたと思っています。

何か事が起こった時に真面目な話を小声でしたりした人、覚えていてくれたら何よりです。


僕たち4年生の想いと、僕らが影響を受けたさらに上の先輩の想いを、綺麗にバトンパスできるように。残りの2週間も精一杯声を張り上げたいと思います。





最近の出来事
・話がまとまらずすいません。
・森下に「バカか、お前」って言われたのは許してません。笑


#8 下地政太

2018年12月14日金曜日

「夜爪を切ると本当に親の死に目に会えないのか」

1.あおいちゃんの質問への回答
完全にバカにされているだけだと思います。ゆいちゃんの下地化、期待しています。

2.夜爪を切ると本当に親の死に目に会えないのか

日本にはこんな言い伝えがあります。
「夜爪を切ると親の死に目に会えない」
聞いたことのある人がほとんどだと思います。夜に爪を切ることと親の死に目に会えないことは全く関係がないし、多分夜爪を切ったって親の死に目に会えるし、なんでこんなものが言い伝えとして残っているのでしょうか。少し気になって調べてみたのですが、一説によると、昔爪切りも電気もなかった時代には夜暗い中で刃物を取り扱うことには危険が伴ったため、その危険をうまく伝える方法として当時の人が残したものなのだそうです。つまりこの言い伝えは「親の死に目に会いたくば夜爪を切るな」という呪術的なメッセージではなく、「暗いところで刃物を使うのは危ないからやめとけよ」という先人たちの優しいメッセージなのです。

最高学年になりました。毎日のようにミーティングをしてチームのことや部則、ミッションのことについて話し合っています。何かを決定したり、去年と変えたりするとき、僕はいつも、同期とチームを作っていくことの嬉しさと同時に一つの大きな不安を感じます。

「自分たちが変えたことは良くも悪くも後世に残っていく」
これは自惚れではなく、事実だと思っています。制度や部則そのものが残らなかったとしても、少なからず影響を与えてしまうと思うのです。まず一つとして、明らかにおかしな決断を下してしまうことの怖さがあります。極端な話、僕たちが今季のリーグ戦の不参加を決めたら、例え来年の代が新たに参加したとしてもここまでの積み上げむなしくア式は下のリーグからのスタートになってしまうだろうと思います。でも僕が言いたいのはそうじゃなく、考えに考え抜いて良かれと思って定めた制度や、作った慣習が、いつの日にか陳腐化してしまうのではないか、僕たちの真意が伝わらなくなってしまうのではないかということです。

もし僕たちが選手の自律を願って遅刻等への罰金をなくしたとします。数年後、その願いは叶い、ア式は自律した個人による完璧な組織になるかもしれません。でももしかしたら、罰金制度がないことにあぐらをかき、練習時間になっても全員が揃わないダメなチームになってしまうかもしれません。「遅刻者に罰金を課さなくていい」この文言や慣習だけが残り、その裏に隠された僕たちの想いや真意は伝わらないかもしれないのです。2年後、3年後、そのもっと後の未来の後輩のことを僕たちは知ることができないし、その逆もまた然りです。僕たちが直接伝えていくのは難しいだろうし、真意を汲み取ってうまく運用してしてくれることを願うしかないと思うのです。

ふと現在に目を落とすと、そんな願いの集まりが今のア式を作り、願いの全ては今の僕たちに託されていると思うのです。ア式を作り上げてきた僕たちの先輩方は未来の後輩に、つまり今の僕たちに同じような願いを抱きながら卒業していったのだろうと思うのです。

学生主体、ユニット制、GM制度、ご飯LINE、一年集合…。先輩たちが残してくれた偉大な制度や慣習は挙げればキリがありません。遅刻しないこと、練習の前日に飲酒しないこと。明文化されていないこうした当たり前のことも含めて、どれを取ってもこれがア式の伝統だと言えるものばかりです。必ずしも完璧なものばかりではないかもしれませんが、それでも、その当時の先輩方がチームを想い、後輩を想って残してくれた伝統であることは確かです。

こうした制度や慣習をただ盲目的に受け継ぐのでは、本当の意味で伝統を受け継いだことにはならないと思います。その裏に隠された真意を、それらが必要な理由を、僕たち自身が考えて、理解して、行動してこそ、ア式の伝統を受け継いだことになるのだと思います。決して「親の死に目に会えない」から夜爪を切ってはいけないのでなく、「暗くて危ないから」なのです。

ア式にある伝統や慣習に対して、なぜ必要なのか?という問いを持つことを忘れてはいけないと思います。批判的になって食ってかかれと言っているわけではありません。それらの本質を見つける必要があるのです。なぜ?がわかれば規則がなくても行動は律されるのだと思います。

遅刻や用具忘れ、ユニットの仕事ひとつひとつへの手抜きなどが最近増えているように思います。ピッチ内でのパフォーマンスはもちろんのこと、こうしたピッチ外の行動においても、数々の先輩方が願った姿を体現できるチームになれたら嬉しいです。ここからの一年、先輩方のためにもまだ見ぬ後輩のためにも、みんなで良い伝統を引き継ぎ、また、良い伝統を残していきましょう。


3.最近のできごと
・LINEグループ「ポケモンGO」できました。
・書いてて思い出したけど、塩さんはこの言い伝え信じてるらしいです。つまり「親の死に目に会えないから」爪切る側の人です。
・青島ゼミ、8番の呪いがさっそく発動しました。
・遂にインターンの申し込み始めちゃいました、、、

4.恭平への質問
クリスマスイブの予定を教えてください。ちなみに僕は何もないです。何もなければ遊びましょう。


#8 下地政太

2018年7月4日水曜日

一チームであるということ

1.ドスの質問への回答
一番共に過ごしている期間が長い身として、渡邉友彬のこれだけはいいところという点、もしあれば教えてください。
→もしあれば、ということなのでお答えします。付き合いは9年目になりますが、特にないです。

2.一チームであるということ

ブログとして書くべき内容ではないかもしれないですが、なるべく失礼のないように書きたいと思います。ご容赦ください。
先日、ア式OBの方の告別式に参加させていただきました。その方が生前、ア式に対して深い愛情を注がれていたことは事前に聞いていましたが、告別式の会場に着いて、言葉を選ばずに表現するなれば、僕は大きな衝撃を受けました。告別式の会場にはア式時代の写真、ユニフォーム、タオルマフラー、そして東大戦の日の全体応援のパンフレットまでもがお供えされていました。サッカー一色、ア式一色と言っても過言ではない告別式でした。僕らは中学や高校と同じ「部活」という組織でサッカーを続けていますが、大学での「部活」は、それらとは一線を画すものなのだろうと感じました。
大学の一部活である日大アメフト部の危険タックル問題に関して、連日テレビで大々的に報道されています。日本大学という大きな大学の組織体制についてなど、背景には様々な問題があるのかもしれませんが、やはり大学のスポーツチームが、ただの学生の部活というものを超越していることは否めません。
これまで、ア式にスポンサーがつく、OBの方がいつも応援してくださっている、ア式が人々を熱狂させる、どこか頭で理解していても肌感覚ではリアルに感じられていない部分がありました。しかし今回こうした出来事を経て、ア式の影響力は例えそれが一部の人たちに対してであっても、一つのサッカーチームともうほとんど変わらないものなんだと強く実感しました。
正直なところ自分が何を伝えたいのかはっきりと言葉にはできませんが、ア式というチームが皆んなの想像よりも遥かに大きいものであるということを感じてくれたら幸いです。

3.最近の出来事
・沖縄最高でした
・飛行機飛ばなかったのでさっそくゼミの欠席上限に近づいてしまいました

4.尾高への質問
彼女への沖縄土産は結局何を買いましたか?

#28 下地政太

2018年3月21日水曜日

貧困バイトのすすめ

1. #27 雨宮からの質問
彼女ってどうしたら作れるのか詳しくおしえてください
→雨宮はまず声を大きくするところから頑張ってください。あと、小声でボッピーの悪口を言ったりしないようにしてください。

2.貧困バイトのすすめ

今まで自分の番が回ってくると、ブログを書くことにかこつけてあーでもないこーでもないと、頭の隅っこから無理に難しいことを引っ張ってきてはこねくり回していたような気がします。そこで今回は、自分が最近密かに楽しんでいることについて書きたいと思います。

貧困バイト。人聞きの悪い名前ですが要するに自分が最近よく行く、派遣登録での日雇いバイトのことです。余りにも金回りの悪い僕をからかって、この名前がつけられました。

日雇いというとどうしても、土木作業や交通整理のようないわゆる「ブルーカラー」を想像しがちですが、飲食系や事務、サービス業など就業先は多岐に渡ります。

最初は単純に、オフの日に柔軟に働けてお金を稼げることが魅力でした。しかし色々な職種を経験するなかで、次第と貧困バイトを社会経験として楽しむようになっていきました。

飲食店のバイトで皿洗いをすれば、想像以上に熱い食洗機や立ちっぱなしで数時間仕事をすることに驚かされ、

倉庫では輸入品の流通経路を学んだり、ガテン系のお兄さんの危ない経験談を聞いたり、ユニクロの商品を配送したり、、日本代表戦の会場案内をした時なんて、試合を丸々一試合生で見ながらお金を貰うという美味しい経験もしました。

そんななかでも一番新鮮な経験だったのはパーティ会場での日雇いバイトでした。
結婚式の二次会を手伝い、新郎新婦が会場に入場する姿を間近に見ることができました。

新郎新婦の入場前の緊張した表情を目の前で見ることなんて、ブライダル業界に就職しない限りはできない経験だと思います。やっぱり男は最後の最後で弱いのか、どのカップルを見ても緊張する夫に妻がにこやかに話しかける、そんな構図でした。

色々と経験できる貧困バイトにももちろんハズレはあって、正直言ってつまらない職場や、ただ辛いだけの職場もあります。でも毎回変わる職場と新しい経験は僕にとって常に新鮮であり続け、基本的にいつもワクワクしながら働いています。
退屈せずに、お金も稼げる。こんなにも最高なバイトが世の中にあるでしょうか。

色々な仕事を経験して、大変さを理解するとなんだか色々な人や物にリスペクトが生まれたりもします。
ただお金を稼ぐだけじゃない、そんな価値が貧困バイトには隠されている気がしてなりません。
職場が変わるせいで友達ができないのは玉に瑕ですが、まあ八方美人の自分にとってはそのくらいがちょうど良かったりもするのかなって気もします。

サッカーになんの関係もない、バイトの話に終始してしまいましたが、皆さんも貧困バイト始めてみてはいかがでしょうか。
貧困バイト仲間大歓迎です!

3.最近の出来事
温泉が死ぬほど楽しくなったり、全然自分関係ないことで涙ぐんだり、疲労が取れなかったり、確実に歳をとってる
あんだけ岩盤浴語ったチョモが岩盤浴経験回数1回なの許せない

4.#29尾高への質問
人生で一桁ほどしか一人での行為に及んでいないというのは、さすがに嘘じゃないですか?

#28 下地政太

2017年11月14日火曜日

気づき


  昔と比べてア式に入ってからの方が、サッカーのためにするべき事柄が多い。高校まではサッカーのプレイにおいても、サッカーのために過ごす私生活においても、何かを考えて行ったりこだわって行動する機会は多くなかった。サッカーのための時間が増えたこと、サッカーのためのこだわりが増したこと、これはみんなも気づくア式での自身の変化だと思う。でも正直、自分はこうした行動をどこかマニュアルとして取り込んでしまっていた。食事も、体幹も、ウェイトも、先輩たちに教えてもらった通りに、ある種の慣習として行っていた。
  慣習を否定するつもりも無意味だと考えたこともなかったけれど、自分の中で強く必要としているという意識は薄かった。でもここ最近、自分の中でその必要性を強く感じるものがチラホラと出てきている。それは何かを克服するためだったり、人に刺激を受けてだったり、理由は色々とあるけれど、ア式の先人達が考え抜いた結果出来上がったシステムや慣習を、その過程ごと自分のものにできているような気がする。結果の根底にある感情とか合理性みたいなものを自分の中に見つけられた時、初めて本当の意味でその結果に辿り着けるんだと思う。
  まだまだ自分にはその過程を踏むことなくマニュアル化してるだけの行動が多いけれど、こうした気づきを日々一つずつ増やしてどんどん成長していきたいと思う。そしていつかは、そうした結果を残せる先輩になりたい。

最近の出来事
・別にちょっとはお金あります
・江口怖い
・追いコン班いよいよ決まります!

#28 下地政太

2017年4月24日月曜日

楽しさ

怪我をした。ヘルニアを疑われてMRIを取ることになった。ヘルニアのこと、MRIのこと、大した知識はなかったけれど、競技サッカーを辞める可能性を突きつけられて検査前夜は全然眠れなかった。怖かった。前回のブログでは苦しみながらサッカーをやっているなんてことを書いていたけど、辞めることになったら、なんて考えたら怖くて悲しくて仕方がなかった。
関西遠征のミーティングでは圭吾さんの班で話をした。「じゃあ下地はサッカーのどこが好きなの?」って聞かれて、「サッカーを通じてできる仲間が好き」と答えた。
結局怪我の原因は何もわからず、痛みは少しあるけど復帰もした。怪我の間練習を外から見ていて、すごく楽しかった。城所がドリブルして、恭平が得点を取って、尾高がめちゃ打点の高いヘディングをして、高山が綺麗なパス出して、深井が復帰して、チョモが調子乗って、いつきがシュート練で惜しいロングシュート打って。全部嬉しかったし、見ててめちゃくちゃ楽しかった。今のシュートのラストパス俺が出せたらもっと嬉しいのにな、a1で高山のパス受けたいなとか、あの大応援の中試合に勝てたらめっちゃ嬉しいんだろうなとか。
みんながサッカーをするうえで何を快感にしているのかは人それぞれだと思うけど、俺の場合はこういうことなんだと思う。嬉しいから上手くなりたいし、試合に勝ちたいし、上のカテゴリーにも行きたい。誰しもモチベーションが下がってしまう時はあると思うけれど、そんな時こそ自分が何を快感にしているのか、そんなところにも目を向けてほしいなと思います。

最近の出来事
始めて合コンの主催します


#28 下地政太

2017年2月25日土曜日

好きでいたい

関西遠征中のミーティングでの最初の質問はなんでサッカーをしているか?なぜこの部に入ったか?だった。みんなには答えやすかったかもしれないこの質問だけど、僕にとっては一番の難問だった。今までサッカーをしてきて漠然と考えていたこと、答えが出なかったことこそが多分、なんでサッカーをしているかだったんだと思う。
あまり人に話したことはなかったけれど、正直な話、僕はみんなに比べてサッカーが好きじゃない。もちろん嫌いなわけではない。サッカーは好きだ。でもサッカーが大好きで、サッカーをいつも楽しんでるんじゃない。自分のサッカー人生の大半は苦しい時間だった。苦しいというのも上にあがれないとか怪我とかそういうことではなくて、スタメンで試合に出られている時も元気な時もいつも苦しんでサッカーをしてきた。この間のミーティングの時はうまくまとまらなかったけれど、監督に怒られないように、ミスをしないように、そう思ってサッカーをしてきたというのが大きな理由なんだと思う
それでもサッカーが楽しい時はある。どちらが先かはわからないけれど、楽しんでいる時のプレーは大抵良い。
関西遠征中、色々と考えて試合に臨み、今日はこんなことを克服しよう、あんなプレーしてみよう、そんな風に思えた日や試合はいつもよりも楽しめたしパフォーマンスも少しは良かった。大教大戦の90分はいつもよりサッカーが楽しかったように感じるそれでも他の日は保守的な気持ちでサッカーをする自分のままだった。自分の良さを出したい気持ちよりミスをせずそつなくこなして試合が終わることを望んでいたと思う。
Aの選手は明らかに格上の相手と戦う機会が多い。それでもみんな自分のプレーができるし良さが出せる。技術、フィジカル、戦術理解度、色々差はある中で僕はこの姿勢の差を強く感じた。
「今は失敗してもいいからチャレンジしないとうまくならない」
岡谷さんにそう言われた。3つの理想にも挑戦の文字がある。
うまくいくかはわからないし、まだまだ難しいけれど本当の意味で挑戦を続けることがサッカーを楽しむ方法なんだと思う。
失敗しながら怒られながら成長していきたい。


最近の出来事
尾高のデビューがおめでたい


#28 下地政太

2017年1月19日木曜日

勝ちたい

今回ブログが回ってきて何を書くか色々考えた。父親と喧嘩して思ったこと、親しき中にも礼儀ありについての解釈、友達のこと、一年のこと、近藤さんも今日おっしゃっていたけどいつもなんとなく考えていることを言語化しようと色々考えた。考えてるうちに、自分は本当はそんなに意味のないことに、無駄に意味を持たせようとしていることに気がついた。必要のない深読みをして、物事それ自体をそれ自体として受け入れようとしていない。起こったこと、感じたことをむりやり何かの表れだと考えている。もっと自分の感情に純粋に反応したい。
 



サッカーのプレーについて考えることは重要だ。梶さんも今日改めて考えてプレーすることについての重要性を語ってくださった。一つ一つのプレーについて深く考え、試合にも考えて臨まなければトップには追いつけない。でも上のカテゴリーに上がりたい、良いプレーをして評価されたい、そんなことを思っているうちに、僕はいつの間にか一つ一つのプレー、一つ一つの試合に対する自分の純粋な感情を忘れてしまっていたと思う。プレーでミスをしたらなぜミスをしたか考える必要がある、それは間違いない。だけどもっと純
粋に、ミスして悔しいとか次は成功させたいとか、昔ならそんな気持ちの方が先に出てきていた。試合に臨む時、自分をアピールしたいとかよりもまず、その試合に勝ちたいって思うのが自然だった。変に冷静ぶって考えるフリをしていただけだった。そういった強い気持ちの裏づけもないのに頭で考えるなんてうまくいかないんじゃないかと思う。サッカーが上手い人はこういう単純な想いに純粋だ。



サッカーを考えること、それを支えるためにも、自分の感情の動きにもっと純粋に、素直に反応していきたい。
 
最近の出来事
いじられすぎた尾高が最近ついに怒り始めて、「私ヒラリーよ」とか訳わかんないこと言い出した。心配。

2017年1月6日金曜日

最近思ってること
「運も実力のうち」僕は最近この言葉の重さをよく実感している。もちろんサッカーに真剣に取り組むなかで、運ではなくて努力や準備といった、いわゆる実力の部分はとても重要だ。そんなことは誰もが知っている。でもこのア式蹴球部という大所帯で、上のカテゴリーへと這い上がろうとすれば、実力だけじゃ事足りない時もある。飛び抜けた能力を持たない僕は、今回運の手助けを借りて上のカテゴリーの景色を見ることができた。

あまり点を取る方ではない僕が運良くサタデーリーグで2戦連続ゴールを決め、そのタイミングでこれまた運良くIリーグメンバーではなく、サタデーのメンバーが東大とのTMに臨むことになった。a1メンバーに控え選手が呼ばれていなかったその日、先輩が怪我で試合を途中離脱した。同じチームの仲間、先輩の怪我を喜ぶわけではないし、チームとしてみたら大きな痛手であることは承知の上であるが、でもしかし、下のカテゴリーの選手からすれば上のカテゴリーの選手の怪我は大きなチャンスだ。そんな偶然が重なったなかで、本当に運良く僕は仮のa1デビューを果たした。

僕はこの時、この運の良さは自分が呼び寄せたものなのじゃないかとそう強く感じた。相対的にみたらどの程度のものかはわからないけれど、この部活に入り様々な刺激を受けるなかで、僕の中のサッカーへの思いは確実に人生で最高潮を迎えている。そういった気持ちや日々の見えない行いの一つ一つがこの運を引き込んだのではないか、そしてそれが自分の自信となりa1のピッチでのプレーをメンタル面から支えたのではないか、そう思えてならない。

運には幸運もあれば不運もある。僕は不運にもその後の試合で怪我をした。同じ理論で考えればこれは、僕の思いや努力がまだまだであったことの必然的な結果なのかもしれない。自分の取り組みにどれほど甘さがあったのか、ある意味客観的に評価された気分だった。自分の中ではやったつもりになっていた、それだけだったのかもしれない。確かに思い起こしてみればまだまだ、先輩たちはおろか同期の仲間にも及ばない。

運や偶然、そんなコントロールできないものの捉え方は人それぞれだと思う。でも僕は、そんなくだらないものでさえもモチベーションにしていける強さを磨きたい。メンタルが弱い自分だからこそ、その強さをこのア式蹴球部から学びたい。夏休み序盤から波乱の展開ではあったが、ア式蹴球部への、そして上のカテゴリーへの想いが強く募った数週間だった。

一度の幸運にうぬぼれることなく、小さな不運に腐ることなく、また一から精進していければいつかチャンスが巡ってくる、今はそう感じている。


最近の出来事
合宿の班穏やかすぎて逆に不安。ドスが本気出し始めた。