2017年11月22日水曜日

サッカーとともに(ドイツ、日本編)

 

 何回もブログが回ってきましたが、毎回いいことが書けるかと言われると必ずしもそうではありません。これまではチームのことについて多く書いてきましたが、今回は僕自身がどういうサッカー人生を歩んできたか紹介したいと思います。(興味の無い方、ほんとにごめんなさい。)

ブログの内容が似通ってきてると感じたので、他の部員の皆もぜひ自分のサッカー人生について教えてください。一緒にサッカーやっているけど、どこでどういうサッカーをしてきたのか、知らないことも多いと思うので。

 

 

 僕がサッカーに魅せられたのは、5歳の時、ちょうど2002年の日韓ワールドカップが開催されていた時期です。当時、ドイツに住んでいた僕は、父親が見てるドイツ代表の試合を見て、衝撃を受けました。選手、戦術、ルール、いずれも詳しくはわかりませんでしたが、誰かが点を取ってパフォーマンスをして、大勢の観客が熱狂している、それに強烈な興奮を覚えたのを記憶しています。サッカーを知った僕は、小学校入学を待たずして、家から少し離れたところにある、警察署のサッカーチームに入りました。(Polizei Sport Verein Dusseldorf というチームらしいです。)

人生初めての試合で、後半に攻める方向が変わることを知らなかった僕は、自陣ゴールにトーキックシュートを突き刺し、飛行機のパフォーマンスをしていたらしいです。(母親談)

5歳から7歳までの間は、とにかくサッカーが楽しくて、家の前の公園で一人でボールを蹴ったり、父親にトラップを教えてもらったり、その様子をベランダから母親が見てたりと、幸せな時間を送っていました。

 

小学校2年生の時に日本に帰国します。そこでは、桃五SCという学校のクラブに入りました。小学校低学年は、スパイクではなく、トレシューをはいて練習をするというルールを知らず、どや顔でドイツ製Adidasのスパイクをはいていき、生意気な奴が転校してきたことになってたみたいです。そのチームはそこそこ強いチームでした。しかし、先輩に少し嫌なことをされたり、言われたりすることがあり、今でも大事にしているサッカーに対する考えが形成されました。

 

「プレーにおける味方の挑戦を尊重すること。」

 

自分がゴールを決めても、パスを出さなかったことにずっと怒っている先輩がいる一方で、「正樹、好きにやっていいぞ。」と声をかけてくれる先輩がいることに、感動したことが影響しています。普段のプレーでもそこは意識してるつもりです。みんな、気付いてくれてるでしょうか。

 

長くなりそうなので今回はこのへんで。

次回は、(マレーシア、西高編)お送りいたします。

(興味のない方、本当に申し訳ございません。)

 

<最近の出来事>

・ブログではいいこと書かなくちゃのプレッシャーから皆が解放されることを祈る。

・四年生ほんとにありがとうございました。

 
#35 中野正樹

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