2019年10月26日土曜日

「結果は偉大」

「結果は偉大」

この一年、どこかずっともやもやしていた自分がいる。
競技面、非競技面双方でア式蹴球部という組織に貢献することが今年の僕の目標だった。
自分は心の底からこの目標を達成できると思っていたし、なんなら大変だと思ったことは一度もない。普通のことだと思っていた。

それでもどこか大学スポーツのイベントに顔を出すと、
「へえ、いろいろ工夫しててすごいね。」という言葉に加えて、「選手もやってるんだ、大変だね。」と必ず言われた。
心の中では「いやいや当たり前だろ。」と思いながら、「そうです、両立しています。」と言ってきた。
たしかに振り返ってみれば色々やってきたのかもしれない。
それでもどこかずっともやもやしていたのはなんでだろう、そう考えたときに辿り着いた。

結果だ。

なにも成し遂げていないのにそこではプロセスばかりを評価された。僕が目指していたのはそこじゃない、結果なのに。しかも評価されるとたしかにすごいのかもしれないと自分に甘くなった。本当に弱い。

なんならこうやって言葉にするのも少し怖いが、今回この場を借りてブログに残しておこうと思う。


誤解を恐れずに言うと、「結果がすべてである」ということだ。
すべて、と言ったのは結果を持ってでしか自分は価値を証明することができない、という意味でだ。

そもそも価値というそれ自体がなにかの基準と比較したときの相対的な結果でしかないのだから、それは当たり前なのかもしれない。
日本一だとか、世界一だとか、これだけの売上をあげただとか、シェアが何%だとか、それらはすべてある基準と比較したときに初めてわかる価値だ。

無論その基準は人それぞれ違うし、組織によっても違う。もちろん社会とだって違うかもしれない。
自分の基準が組織や社会の基準よりも高いのならば全く問題ない。それを引き続き目指せばいい。
しかし自分の基準が組織や社会の基準よりも低ければ、それはやはりより高い方の基準を達成しなければ自分の価値の証明はできないのだろう。
常に人はだれかと関わり合いながら生きているからこそ、最低でもその組織内でだれもが共通認識している基準を相対的に上回るだけの結果を残さなければ、自らの価値を証明することはできないのだ。

別に価値の証明なんてしなくていい、と言う人もいるかもしれない。
けれどやはりスポーツという文脈で戦っているからこそ、そして大事な四年間の大部分を部活動に費やしているからこそ、そこにはこだわってほしい、そう思う。

結果は偉大だ。

なぜならまず人は結果に注目する。
真っ先に過程に注目する人はそう多くはない。普通は結果を見て、その後過程という順番だろう。
たしかにそう考えるとそうだ。どんな形であれ点を決めていたら「あいつめっちゃ点取るな」となるだろうし、どんな形であれ勝ち続けていれば「あのチームは強い」となるだろう。

あくまでも過程はその結果に付随して、そこに一層の価値を与えるものでしかない。
例えばラグビー日本代表のW杯ベスト8進出。
日本ラグビー界の苦しかった歴史、それは今大会のベスト8進出という価値をさらに意味づけるものだったが、結果がなければただの歴史に留まっただろう(言葉足らずの部分はあるかもしれません)。

そして人は結果を出す主体との関係が遠くなればなるほど、結果への注目度合いをさらに高める。
実際ラグビー日本代表がこれだけの注目を集めたのも、彼らが予選を勝ち続けたことでラグビーを知らなかった層が注目したからだと思う。
ア式蹴球部だってそう。
今年はア式に関わる人を増やす施策はできる限りやってきたつもりだが、それでもやはり四年前一部昇格を成し遂げたあの年ほど人は集まらなかった。
結果ほどわかりやすく公平なものはない、そう強く感じた。

さらに言うと結果は人の記憶に残る。その記憶は積み重なり、次の基準を作るのだと思う。
過程の多くの部分は実際忘れられることが多い。
たとえどれだけ素晴らしい準備をしようとも、試合で活躍できなければその準備を覚えている人なんていない。
そしてそんなことを続けていれば気づけば自分のポジションはなくなり、結果を残した別のやつが当たり前のように試合で使われ続けることになる。

結果の連続した積み重ねが、組織の当たり前を作るということだ。
そして一度その当たり前を作ってしまうと、それを覆すには一段と手間がかかる。
なぜかはわからないけれど、きっとそれは真実なんだろう。

準備が大事だなんて当然だ。
その準備の過程はたしかに自信を与えてくれる。
これから達成しうる目標に対して、自分を鼓舞してくれる。
しかしそれも結果が伴わないと報われないし極論意味がない。

人は結果がついてこなかったときにどうしても自分自身から逃げたくなる。
結果がついてこない原因を人に求めたり、過去の失敗を悔んだり、さらに言えばいままでの過程をもって自分を正当化しようとする。
これだけ頑張ったんだからやれることはやった、と。
自らの過程を振り返り始めたらそれは警告のサインだと思った方がいい気がする。
多くの場合、それは得られていない結果に対する正当化でしかないことが多いからだ。


幸い新チームが発足してまだ1週間。組織の中の当たり前はまだ完全には出来上がっていないはず。間違いない、いまがチャンスだ。
点を取る、トップで出る、ア式蹴球部を強くする、なんだっていい。
いまア式は東京都2部のチームという基準が当たり前になりつつある。本当に瀬戸際だ。
その基準が固定化されないうちに、結果をもって覆してほしい。

がんばれ、ア式。


最近の出来事
・引退してみんな何やってるんだろう。僕は基本大学にいます。
・勉強中、電話かけてくるの本当にやめてほしい、西山くん。
・『組織デザイン』沼上幹 去年出会いたかった、おすすめです。特に3年生。

#4 藤井俊輔

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