2019年10月28日月曜日

「上手くなりたかった」

「上手くなりたかった」



「俺ってこんなもんか」

1019日の國學院戦、試合終了の笛が鳴った瞬間に自分の心に浮かんできた言葉です。「悔しい」という気持ちを通り過ぎて、心が空っぽになりました。

自分のサッカー人生最後の試合。相手は何回もボコボコにされてきた國學院。しかもAサブらしい。熱い。

自分なりに4年間積み上げてきたものをピッチで表現しようと思ったし、特にこの1年では間違いなく成長したという自信もありました。

けれど、試合が始まると、ロングキックの質、ボールの持ち方、ファーストタッチの置き所、全てにおいて相手に上回られていると感じてしまった。ちっぽけな自信が崩れていくような気がしました。

決して臆してた訳ではないけれど、消極的なプレーを選択してしまい、守備の出足も一歩ずつ遅れてしまう。

何もできないまま時間は過ぎていき、人生最後の試合が終わってしまいました。負け。引っ張るはずの4年生が情けない背中を見せてしまい、後輩には申し訳ないという気持ちしか残りませんでした。

しかし、ある意味自分の4年間の集大成とも言えるかもしれません。

自分のア式での4年間を振り返ると、ほとんどがBチームで悪戦苦闘する日々でした。

止めて、蹴るができない。状況判断が悪く、ボールを前に運べない。ア式のベースである球際・切り替え・運動量もままならず、高い強度で戦える選手じゃなかった。

入部してからずっと下手くそでチームに貢献できないことが嫌で仕方ありませんでした。

それでも、いつかは上手くなって試合で活躍したいという気持ちは常にありました。

週末の試合や前の練習でできなかったことを踏まえて、目標を設定する。悔しさを原動力に練習に臨み、また自分の下手くそなプレーにうんざりする。これを何度も繰り返して、気がついたら最高学年になってました。 

どうやったら上手くなれるんだろ。

高校3年間のブランクを持ち、試合経験が他の選手よりも圧倒的に少ない自分が上手くなるためには、自分なりにサッカーを勉強して考えることが必要でした。こんな大切なことに気づくのが遅かった。

この1年サッカーについて考えることが圧倒的に多くなりました。チームはどんなサッカーを目指していているのか。自分が最低限こなす戦術的な役割は何なのか。その中で自分の色をどのように出していくか。これらを考えていく中で、個人的にうまくいくことが増えました。

今はサッカーに関する情報を簡単に手に入れられる時代です。DAZNに入会すればサッカーの試合を見放題ですし、Twitterでも多くの人が戦術や技術的な知識を動画付きで分かりやすく発信しています。それに今は見城もいます。

サッカーを考えることの大切さにもっともっと早く気づいていれば、技術的にも、戦術的にも、よりサッカーが楽しめただろうにと本当に後悔しています。


「サッカーを考えて努力する」


本当に当たり前のことですし、多くの先輩方も言ってきたことだと思いますが、改めて自分が後輩に伝えたいことです。

最後です

上手くいかなくて悩み続けた4年間でしたが、サッカーとア式が好きという気持ちが繋ぎ止めてくれました。

下手くそでも「サッカーを楽しむ。」という自分の価値観は4年間貫き通すことができました。

ボールが足元にピタッと止まった時、相手の不意をつくスルーパスを通せた時、相手を上手くいなしてボールを捌けた時、自分が想像した通りに守備がハマった時、こんな瞬間があるから笑顔でサッカーを続けられたのだと思います。

4年間を通してア式が好きになりました。

多くの尊敬できる先輩に出会い、色々な感情を経験し成長しました。

訳わかんないくらい笑わせてくれた同期や後輩も大好きです、みんなのおかげで部活が楽しすぎました。

関わってくれた全ての人に感謝しかありません。

ありがとうございました。

最近のできごと
・単位欲しい。
・こっちの人はカップラーメンを「カップラ」って略さないらしい。通じなくてショック。
・追いコンで運転ぶちかますために教習頑張る。
・モラトリアムの最後はアイルランドで。

#14 石田洸

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