2018年3月1日木曜日

17年目のシーズン


特に面白いブログとか書ける自信ないので、自分のサッカー人生について書こうと思います。しかし、選手としてのことを書き始めたらまとめきれる自信がないので、今回は、自分の別次元でのサッカーとの関わりについて書きたいと思います。自分史上最高に自己満足なブログです。好きな事について好きなだけ書いた、非常に長いものなので、適当に読み飛ばしてもらっていいです。

前回のブログにも書きましたが、僕はJ1のFC東京というチームを応援しています。いつきがマリノスサポを自称してるのとかとは全然レベルが違い、割とガチなサポーターです。きっかけはわかりません。味スタの目の前に住んでいるからか、本当に文字通り物心ついた頃からずっと応援しています。自分が覚えている1番最初の試合は、2002年の開幕戦の鹿島戦です。なので、今年で少なくとも17年目に突入するということになります。今年がクラブ創設20周年目なので、ほとんどクラブの歴史とともにサポーターとして歩んできたと自負したいところです。

この17年間を大別すると、

⑴何も考えず、とにかく応援していた時期(幼稚園〜小学校低学年)
⑵周りの目を気にし、純粋に応援できなかった時期(小学校高学年〜中3)
⑶サポ熱を取り戻していた時期(高1〜大学1年)
⑷再びサポーターに戻った時期(現在)

とこんな感じになります。それぞれについて順に説明していきますが、もしJリーグ全然興味ないよって方がいれば、本当に読んでもつまらないと思うので、この辺りで最近の出来事の欄に飛んでいただくのが賢明かもしれません。それでは、前置きが長くなりましたが、始めさせていただきます。

⑴当時の僕は、まだ子供で、サッカーがよく分からず、純粋にスタジアム行って応援するのが楽しくて、家族と、親友の家族と一緒に毎週ゴール裏に通っていました。当時のチームは、中村俊輔選手(当時マリノス)に"部活サッカー"と揶揄されていたようないわゆるイケイケサッカーで、泥臭くひたむきなプレーと、サイドからの速攻で点を取るといったスタイルでした。一度調子に乗ると、スタジアムの雰囲気含めどこも止められないようなチームになるけど、安定感は全くないという勢い任せのチームです。そのスタジアム全体がノリノリになる雰囲気が大好きでFC東京にハマっていったのだと思います。当時の知名度は低かったけど、今野、ルーカス、石川、梶山選手ら若手が躍動するアグレッシブなサッカーが大好きで、特に、当時16番をつけていたボランチの宮沢正史選手(現トップチームコーチ)が大好きで、それが今の僕の背番号の1つの理由でもあります。2004年にはクラブ初タイトルとなるナビスコ杯を制し、その時は、ますますのめり込んでいきました。

⑵小学校高学年頃から、自分のサッカークラブでの活動や中学受験などにより、少しずつスタジアムに行けなくなってしまいました。それでも数試合は観に行ってましたが、それとは別に徐々に周りからの視線を気にし始めるようになりました。小学校時代は、周りがヴェルディ派閥みたいなものを作っていたせいで、ヴェルディを応援せざるを得ませんでした。当時、フッキやディエゴがいたヴェルディの試合自体は面白かったのですが、そのせいでFC東京の試合をあまり見に行けずに、挙句には、東京ダービーをヴェルディゴール裏で観戦するという屈辱を味わいました。
中学に入ってからは、周りにあまりJリーグに興味ある人がおらず(よくよく話してみたらそんな事もなかった)、何より年頃の自分にとっては、ガチなサポーターとか恥ずかしいのではみたいな考えが生まれるようになりました。今思えば、本当にダサいし、恥ずかしい思春期特有のやつです。そんな中でチームは、2009年に2回目のナビスコ制覇を果たしたのに、それにも行かず、翌年には降格を味わいました。最終節、テスト期間で部活が休みだった僕は、涙目になりながら急いで家に帰り、同じく残留を争う神戸の試合をテレビ中継で見て、神戸が浦和に勝ち、テレビ下のテロップ速報で、既に降格が決まった京都に敗れて、西京極で泣いているサポを見て、自分も、その日の理科の授業で作ったガラス細工を壊して、泣きまくったのを覚えています。そして翌年、J2優勝を決め、天皇杯も制したのを見て、再び応援しようと決意しました。今でもこの時期の事は後悔していて、特に2つのタイトルを、観に行けたのに現地で見逃した事、2010年、11年の、チームが苦しい時期に試合を観に行かなかった事、何より自分の好きなものを自分でダサいと思いこんで、隠していた事を本当に後悔しています。

⑶高校に上がっても相変わらず、時間やお金の制約はありましたが、意外と皆がJリーグとかに興味があり、その中でも特に、自分の尊敬する人がレイソルサポである事を知り、自分も堂々と、時間を作って部活の後などに、試合を観に行くようになりました。ただ、その当時はバックスタンド観戦でした。そして受験も終わり、ア式に入ると、サッカー部の先輩マネージャーで同じサポーターの方がいたので、堂々とサポーターを名乗っていました。しかし、とにかくお金がなかったので、あまり試合には行けませんでしたが、その年、マッシモ体制で優勝争いをしたチームを見て、行ける試合は全て行こうと決意しました。

⑷大学2年になってからはバイトして貯めたお金の大半を費やして、試合を観に行くようになりました。16年はACL含め、20試合ほど、去年はアウェー含め25試合ほど参戦し、隣接アウェーは全て制覇し、1人でゴール裏に行くのも、別に何も気にならなくなりました。そして、僕が今まで1番お金と時間を費やした2年間の成績はというと、ビジョンもスタイルもブレブレのまま、実態の見えないような攻撃的で魅力的なサッカーを目指し、ただ選手をかき集めただけのチームとなり、一体感も感じられず、結果も内容も伴わないようなサッカーでした。特に去年は僕が17年間見てきた中で、降格した年も含め、1番ひどいシーズンだったと思います。そしてこの2年でボロボロに壊れてしまったチームですが(あくまで全て素人の見解です)、創設20周年の今年、新監督の下、クラブとして再び一体となって"強く愛されるチーム"へと歩んでいこうとしています。開幕戦のレッズ戦では、14年ぶりの味スタでの撃破は叶わず、来年にお預けになったけど、僕がこのチームを好きになった頃の、原点となるハードワークや闘う姿勢が見えた試合でした。これを続けて、心揺さぶるサッカーで少しでも上位を目指して、あわよくば節目の1年にタイトルも欲しいななんて思ってます。

今年はJリーグ25周年、クラブ創設20周年という節目の1年です。正直、就活そっちのけで行ける試合は全部行ってしまうのでしょう。でも多分後悔はしません。多分ですが。

とても長くなってしまいましたが、少しでも共感していただけたら嬉しいです。皆さんもまずは地元のチームを応援してみてはいかがでしょうか。

最後まで読んでくださった方、お付き合いいただきありがとうございました。

とりあえず、このブログがヤマハ行くか迷ってるひかるさんの背中を押すキッカケになれば僕は満足です。

最近の出来事
今年の目標はBMWとカシマ
城福さんのコメントが相変わらず面白くて安心した
気づいたらいつのまにか1人取り残されていた

質問の回答
散髪のとき、店員さんになんて注文するんですか?
→店員さんのおまかせで、毛先を少しあそばせてくださいと頼んでます

#17中野英司への質問
単位の取得状況は大丈夫なんですか?

#16 戸井純平

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