2020年8月3日月曜日

「ディスカッション」

1.遠藤の質問の回答
学芸の後輩木下にア式生活においてのアドバイスをするとしたらなんですか?
決して遠藤ポジにだけはならないこと、ですね。オイシいと思うなら別だけど(笑)


2.「ディスカッション」


 さて、春夏学期が終了しましたが、皆さんは初めてのオンライン/リモート授業、うまく乗り切れましたか。今回のブログでは、自分がこれまでのオンライン授業から感じた、「議論することの難しさ」について話していこうと思います。


 今学期、私はある講義で、事前に与えられた課題の文章を読んできて、それについて20~30人のクラス全体で議論する、というワークに取り組みました。授業内では、最初にレジュメを担当した人がその文章について説明し、論点を提示した後、それについて受講生がZoomの「手を挙げる」機能を使って順番に発言し、その一つ一つに対して教授からフィードバックがありつつ、最終的にその論点に対する何らかの答えを得ることが目的とされています。もちろん、受講生は全ての発言をリラックスした空間の中でメモを取って聞くことができるし、教授が議論を導いてくれることもあるので、一見スムーズにディスカッションは進みそうです。


 しかし、実際はそんなことはない。例えば、論点の設定の仕方が抽象的すぎると、それに対する見方も一人一人全く異なったものになるし、誰かの発言を受けたうえで次に出てくる意見も、やはり自己の視点に縛られたものになりがちです。時にそれが積み重なると、双方向的な議論、コミュニケーションというよりは、一方向的なプレゼンが連続するようになってしまいます。ましてやオンライン授業で、映像はミュートされているから、クラスメートの反応も分かりません。


 ここで大切なのは司会役としての教授のあり方です。司会は、そんな「ズレた」発言も、全体の文脈の中に位置づけて、それに意味を持たせつつ、論点に対する想定内の解答を超越した、新たな知見を生み出せるような議論を構築しなければいけません。私が受けた授業での教授は、自身の研究をもとに議論に対し一定の枠組みを与えながらも、学生たちが何とか自分たちの力で答えにたどり着けるよう、ファシリテートしてくれました。さすがは教授です。


 では、私自身の取り組みはどうだったのでしょうか。そこで、この授業、あるいはこの活動自粛期間中に行われた部内の様々なオンラインのMTGにおいて、自分の意見をきちんと提示しつつも、皆の意見、議論への主体性を引き出して、協働して何かを創出できるような議論の場を担う一員になれていたのか、そう自問してみると、やはりまだ課題を感じずにはいられません。自分の意見が誰かの思いを内側に押しとどめてしまったかもしれないし、もっとオープンな姿勢で議論に臨むべきだったかもしれない。そう反省したくなる場面が多々回想されました。


 自分が担うスタッフという仕事、あるいはその中での「フィードバック」といった活動は、選手、あるいは部員の皆に何らかの気付きを与えられてこそ価値があります。それは、自分からの一方的な情報提供の選手への強制ではなく、フィードバックした選手がその言葉に対して自発的な矢印を持った言葉を返して、スタッフからのフィードバックと、選手、部員の意見が融合して、新たな気付きが生まれてはじめて、「フィードバック」は意味を持つ、ということです。そのためには、オープンなマインドで、選手が「自分事」になって考えてくれるような問いかけを心掛けないといけません。提案者でありつつ、司会でもある、この二重の役割を上手に消化していくのは、そう簡単ではなさそうです。


 全体の枠組みをおさえつつ、仲間と共に新境地へ向かうために、私とあなた/みんな、を越境する、そんなディスカッションが生まれるよう、今日から、そしてオンライン授業が続く秋冬学期も、改めて頑張っていこう、そう思ったこの頃です。読者の皆さんはどうでしょう?そうしたディスカッションへの関わり方、消化できていますか?機会があれば、ぜひ教えてください。


3.最近あった出来事:
YouTubeで「巨大隕石が地球に最接近したときの、NKの防災放送」なる動画を観る。「逃げても無駄!」の表示に空しくなったと同時に、毎日大切に生きなきゃな、なんて変に考えさせられた。


4.福嶋への質問
オンライン授業で初対面の人とコミュニケーションを取るコツを教えてください!

#STF 見城貴大

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