2017年4月3日月曜日

基準

これまでのサッカー人生において、心を揺さぶられた、価値観を変えられた、恐怖を与えられた等々、その後の自分の取り組みや考え方に多大な影響を及ぼした試合、チーム、プレーヤーというのは、誰しも記憶にあると思う。

ア式は球際・切り替え・運動量をプレーのベースに置き、その基準やクオリティは日々追求されている。
そんなア式のアイデンティティみたいなものになりつつある球際・切り替え・運動量を、チームで最も体現しようと、自分も日々がむしゃらにやっている。

僕には、球際・切り替え・運動量における自分の概念を覆され、心から感動した試合、自分の追求する基準が明らかに上がった試合というのがある。
2016シーズンのIリーグで主審をした、法政vs流経だ。
自分はこの試合のすべてに衝撃を受け、以降まだこれを超える試合はない。

出ていた選手は、トップではない。
Bチームか、おそらく3番目くらいの選手層だったと思う。
主審ということでピッチの中で彼らのプレーを見ていたわけだが、度肝を抜かれた。はっきり言って、引いた。
局面の厳しさがえげつない。バチバチだった。
本気で死ぬ気でボールを刈りにいってる。
サッカー用語で、相手を【削る】ってあるけど、まさにそれ。
取ったあと、取られたあとの運動量。
味方の球際・切り替え・運動量に対する厳しい要求。
それを両チーム全ての選手が当たり前のようにこなしていた
まだまだもっとやるぞと言わんばかりに。
立ち上がりから息の上がり方がハンパない。
中にいると、選手が激しく呼吸をする音がそこら中から聞こえた。
まだ開始5分も経ってないぜ、なんでそんなに息が上がってるんだ、まじかよ。
時計を見ながらそう思った。
彼らはこれが最低限の基準なんだな。
そう感じた。

この日以来、ハードワークの基準は明らかに変わった。
カテゴリーなんてものは関係ない。
ただ試合に勝ちたくて、点を取りたくて、目の前に相手からボールを奪いたくて。
だだそれだけである。
彼らはその気持ちがとても強く、渇望しているから、だからあんなに死にものぐるいでがむしゃらに直向きにプレーできる。
彼らからすれば特別なことではないと思う。
それらが彼らの基準だから。
でも自分は衝撃を受けた。
それもまた自分がそういう基準であったからである。
その試合の衝撃は今も風化せずに心の中にある。あの日見たものにどれだけ近づけているか。常に振り返っている。
ハードワークとは何たるかを間近で見せつけられた。自分がそれまでチームでハードワーカーと言われたりしていたのが恥ずかしくなった。

多分、こんな文面でつらつら書いたところで伝えるのは限界があると思っている。
記憶に残る、そんな試合があったのか。その程度にしか伝わらない。
それは重々承知しているし、言葉で全て伝わるようなものであっては困る。
だから自分はプレーで伝えていきたい。
あの日見たものにはまだ到底及ばないけど、それでも追求して、姿勢を見せていきたい。
練習中に、自分が周りからやりすぎと思われてるなと感じるシーンはよくある。見方によってはなんならファール気味だし、この練習でそこまでやる?みたいな視線や空気を感じることはしばしばある。
でも正直言って、そのとき自分はなんも反省してない。気にしてない。
これからも変えるつもりはない。

自分のレベルではとてもじゃないけどハードワークなんて言えないことを知っている。レベルが上にいけばいくほどそうだ。集団内での評価に満足してはいけない。
また、個人の基準を変えることは難しいが、それ以上に集団の基準を変えていくことは難しい。実際、球際・切り替え・運動量を掲げていても、うちのチームでもカテゴリー間、カテゴリー内でその差は存在している。集団の基準というのはすぐに変えられるものではない。でも基準が変わった1人目になり、2人目、3人目の基準を変えて、チームの基準を変えていくために僕はハードワークする。

最近の出来事
無事3年決めできました。
早く夏休みになってほしい。


#8 宗嵩久

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