2018年11月27日火曜日

「これまでのこと、これからのこと」

1 西山の質問への回答
一番居心地のいい家はどこですか?理由とともにどうぞ
すべての要素において我が家が一番ですが、部員の家であれば帝王の家が好きでした。ただ、今回はあえて西山家をあげておきます。理由は全く気を使わなくていい、この一点につきます。ただ、賞味期限切れの食材しか入っていない冷蔵庫、至る所に見られる綿ぼこり、大量の髪の毛が排水溝に詰まった風呂、絶え間なく流れる節操のないEDM、そして強烈な刺激臭が漂い息をすることもままならないリビング等、他の人には全くお勧めできません。

2 ア式に入り、変わったことがたくさんあります。その中でも一番大きいのは、試合に対する思いの変化だと思います。自分は中高を通して、試合の勝ち負け対して強い感情を抱くことがどうしてもできませんでした。試合中は強烈に勝利を願う監督やチームメートに気兼ねしながらプレーし、勝っても「負けなくてよかったな」という漠然した安堵感しか感じられないし、負けても(うまく言えないけれど)冷めた淡泊な気持ちしか出てこない。当然、レギュラーに固執するといったこともなく、逆に試合に出ていながら、一個上の先輩達に対して責任を負うのが嫌でどうやって上手く怪我をして離脱しようかといったことばかり考えていた時期もありました。ずっと克服しようと試みてはいたけど上手くいかず、誰かに話すこともできませんでした。そんなんだから、高2のときも高3の時も一番大事な試合には出られなかったんだと思います。ア式に入り、何とかそんな自分を変えたいと思い、遠征でのミーティングや個人的な話の中で何人かの人に話を聞いてもらいました。しかし、6年間でダメだったものをそんな簡単に克服できるわけもなく、周囲に気兼ねしてしまう状 況は中々変わりませんでした。そして、今年、チームを代表して試合に出る機会が多くなり、この課題がより正面から突き付けられるようになりました。色々な試行錯誤の中で少しずつ勝負への意識を持てるようにはなったけれど、やっぱりどうしても腑に落ちず、朦々は晴れませんでした。結局大学でもこうなのかと自分自身に大きな失望を感じもしました。そんな中で、後期帝京戦が一つの転機になりました。急遽先発で出場することになり、心の整理も完全にはできないまま試合を迎えましたが、どこか吹っ切れた感覚がありました。秋季に入り試合に絡めない自分自身の状態、東大に大敗してからどん底のチーム状況、そして先発が決まって同期の選手にかけてもらった言葉など色々な要素が重なってそうなったんだと思います。そして、勝利した瞬間(勝ち方が劇的すぎたというのは勿論あると思いますが)。単純にすごく嬉しかった。ごく当たり前の感情だと思われるかもしれないけど、それでも自分にとってはすごく新鮮でした。そしてやっぱり、最終節の武蔵戦が一番大きかったです。四年生にとっての最終戦であり、負ければ降格の可能性もある一戦。これまでの自分であれば、その大一番を迎えるにあたり、どこかで逃げの姿勢に入りスタメンから外されていたと思います。その週のはじめに、ここで変われなければこの先も絶対に変われないと強く思ったのを覚えています。そして試合に勝った時、これまでとは全く違う種類の喜びを感じることができました。同時に、誰かに気負うことなく純粋に勝利を目指してプレーできたことが本当に嬉しかったです。



僕の中で強く印象に残っているブログがあります。

「価値という言い方は好きではないけれど、ア式がスポーツチームで、勝利を第一とする限り、そういう概念はどうしても生まれてしまう。誤解して欲しくはない。誰一人として欠けていい部員なんて絶対に存在しない。けれど、皆が平等だとも言うことはできない。何も働きかけなければ、何も返ってこない。この厳しい現実を理解し、直視することができるようになったとき、初めて自分に対して真剣になれる。」
「このチームの中で、自分の存在を証明するために、僕たちは自分の価値を高めなければならない。『俺はここでチームに貢献している』と胸を張れるように、自分なりのチームへの貢献方法を探さなければならない。」
「必ずしも誰もが理想に辿り着けるとは限らない。理想と現実の間に、自分の限界を見る時が来るかもしれない。残された時間が短くなるほど、突きつけられる現実は厳しくなる。
それでも、自分の存在証明を諦めてはならない。」
「ア式に捧げる4年間の持つ意味、それは自分の存在を証明しようと自分と向き合うという経験を通じて、人間として成長すること。」

自分のア式における存在価値とは何か。自分はどのようにチームに貢献できるのか。組織―特にア式という学生主体で運営され、個々の部員の担う役割が非常に重要なものである集団―に属している限り、いやでもこの問いはついて回ります。そして、自分自身の価値とは自分で判断するものではなく他者が見出すものである以上、自分の存在を証明するには他人に自分の価値を認めてもらう必要があります。でも、現実は自分の追い求めるものと他者が認める価値に大きな乖離があることが予想以上に多い。だから、他者の抱く価値観(何に価値を認めるか)と自分のそれの相違に向き合い、時には自分の価値観を修正しながら、作りあげた自分の理想と現状のギャップを埋めていくことが求められるんだと思います。長くないア式での時間の中で両方の作業を行い、自ら掲げた理想に到達することは非常に難しいし、価値の選定が他者によるものであり自分では完全に把握できるものではない以上、価値を証明するということに終わり自体ないのかもしません。だから結局、僕たちは四年間、試行錯誤を重ね、自分の価値を示すためにもがき続ける他ないんだと思います。自分自身に話を戻します。自分自身がア式においてどういう人間になりたいかという暫定的な考えです。ア式での三年間を通して多くの経験をしました。その中で、自分の心を一番強く動かしたのは、二つ上の二人の先輩の強烈な思いでした。一方の一人にとって、それは関東昇格への思い、ア式という組織への思いであったし、他方の一人にとって、それはフィジカル班のユニット活動への思い、サッカーへの思いでした。上手く言語化できず思いという抽象的な表現しかできないけれど、ア式で同じ時間を過ごし、二人のそれに触れた経験は、確実に僕のサッカーへの向き合い方を変え、ア式に対する考え方を変えてくれました。言うまでもなく、僕にとってそれは本当に価値あるものでした。自分もそういう存在になりたい。抱いている強い思いを自分の姿勢で表現することのできるような存在になりたい。何度も言うように、最終的にそこに価値を認めるか否かは他者による判断なので、現段階で自分の言う思いというものに価値があると言い切ることはできません(勿論、いろんな人と関わるなかで、ここに価値を見いだす人が一定数いると現時点では考えていますが)。そしてなにより、現状、自分の思いや取り組みはすべての面で不十分で、質的にも全くもって価値を認められるようなものではありません。それでも、少しでも二人に近づきたいしそのためにまだ一年あります。そして最終的に、自分が誰かの心を動かし、誰かにとって価値のある存在になれたらいいなと思います。

3 最近の出来事
一年の時は錬さん、せっきー、げんき君しかいなかった小平のウェイトルームが今では毎練習後人であふれかえっています。
「ちょも ラルフローレン モード 民主化」で検索。
ドス君、脳震盪(打撲)を機に完全に一皮むける。
ドス君と共に冬休みイギリスへ。
ドス君、このブログはリツイートしないでください。

4 森山への質問

一緒に森山連合軍を結成するなど、いつき君ととても仲が良いようですが、他の人がまだ知らないいつき君のいいところを3つ教えてください。


#2 中西望

0 件のコメント:

コメントを投稿