2017年10月30日月曜日

「向き合うこと」


チーム視点的な、後輩に向けて的なものをテーマに書き始めてはみたものの、途中から自分が書いた内容が陳腐なものに思えてきてやめてしまいました。

最後のブログですが個人視点に偏った内容になっています。

長く、伝わりづらい部分も多々あると思いますがご了承ください。

 

 

心が揺れること。

ここで言う「揺れる」とは、感情が生まれることだと思ってほしい。

すなわち、何かに対して嬉しい気持ちや楽しい気持ち、悔しい気持ちや辛い気持ちなどを強烈に感じることである。

振り返ると自分のこの部で過ごした時間は、いつの日もこの「心の揺れ」が原動力になっていたように思う。

 

入部した当時の野望はとてもシンプルだった。

スタメンをとって活躍する。

これ以外になかった。

(これは今も変わらず持ち続けているものではあるが。)

先輩達を知り、GMを知り、リーグ戦を知り、ア式を知った。

当時はとにかく自分の存在をチームに知ってほしかった。

だからアピールできていないことがほんとに悔しかった。

 

思えば自分はカテゴリー分けに常に敏感でいた選手かもしれない。

そして自分の調子に常にこだわっていたのだと思う。

誤解してほしくないのだが、カテゴリー分けが全てと言っているわけではない。

カテゴリーが上なら満足、下なら不満足というだけの話ではない。

チームの勝利、個人としての成果も大事に思っている。

ただ自分の場合は、カテゴリーを強烈に意識することで、嬉しさ、悔しさの感情を常に自分に忍ばせ、それをモチベーションへと変えてきた。

 

当たり前だが、入部から今まで順風満帆にこれるわけがない。

相対的に見れば、1年の頃からチャンスを多くもらっている方かもしれないが、そこに競争意識や危機感を欠いたことは一度もない。

全く仕事が出来ず後半開始早々に代えられたことも何回もあるし、活きの良い後輩にスタメンをとられたこともある。

お前には決定的な特徴がなく、正直スタートからは思い切って使えないとGMから言われたこともある。

こんだけサッカーに時間を費やしていれば、誰でもネガティブと向き合わなければいけないシーンが出てくる。

そんな時にどれだけそれを受け止め、向き合えるか。

悔しいと思えるか、くそっと思えるか。

心が揺れるか。

そこに成長の差が出てくると思う。

いったんネガを忘れてリフレッシュするのも当然ありだ。

だが自分は思っているよりもはるかに弱い。

一度目を背けてしまうとなんとなくまた火曜からの練習に向かってしまう。

日常は等しく流れていくから、さらっと次に切り替えていく方が気分がよく、楽なのである。

 

他の人から「お前はモチベーションの波が小さそうだし、いつも高いように見える」と言われることがある。

しかし、これは常に「サッカー大好き、楽しい」の状態を保ち続けているわけではない。

むしろ「サッカー難しい、わかんねぇ、うまくいかねぇ」の状態をガソリンにして、直向きに走り続けてきた結果でしかないと自分では思っている。

 

少しカテゴリー分けから脱線してしまったが、話を戻す。

 

カテゴリー分けはGMからの期待そのものだと思っている。

この部のGMはさまざまな想いを込めて、選手を選択する。

あのボードに並べられた一つ一つのネームプレートの場所には、GMからのメッセージが込められていると勝手に思っている。

それだけの覚悟と責任を持って評価していると、歴代のGMのもとでやってきて感じている。

選手の起用に関しては、どうしてもシステム上、GMからの一方的な通告と捉えてしまいがちだが、そのGMの選択に対してもっとこちら側が持つべきメンタリティや取り組み姿勢があると信じている。

だから自分はそれを真摯に受け止め、応えることを常に考えてきた。

その想いに応えることが出来た時、あるいは応えることが出来なかった時、心が揺れるのである。

 

初めて名前を呼ばれた時。

初めて試合に出た時。

リーグ戦に途中出場した時。

そこでなにも出来なかった時。

スタメンをとった時。

リーグ戦で活躍した時。

途中交代させられた時。

怪我から復帰後、なかなか元の場所に戻れない時。

 

ポジティブな気持ちも、ネガティブな気持ちもこの4年間でたくさん経験してきた。

そしていつからか、自分の心を揺らすだけでなく、他人の心を揺らしたいと思うようになった。

自分の取り組みやプレーを見て、人の心を打ちたいという欲が出てきた。

たどり着いたのが「球際、切り替え、運動量」だった。

派手さはないけど、誰よりもがむしゃらで、カラダを張って、献身的にプレーする。

こういう選手が1人くらいスタメンを張っていてもいいんじゃねーか。

そう思った。

 

 

自分は、多くの感情を伴ったものほど価値があると思っている。

せっかくこの部で過ごすことになったのなら、なんとなく過ごしているだけではもったいない。

情熱とこだわりを持ってサッカーや自分と向き合い、その分だけ嬉しさも悔しさも何度も味わうことは尊いことだと思う。

もっと自分の心を揺らすべきだと思う。

自分の場合は、「カテゴリー分け」という、ある意味一番シビアで体育会的な側面が強いものにこだわり、囚われながら、自分で意味付けをして、解釈をして、追い込んで、奮い立たせてきた。

なにかに執着することは、モチベーションの点で非常に有用だと感じている。

 

そして自分の心を揺らすために必要なこと。

それは必死になることであると思う。

自分が必死にならない限り、自分の心は揺れない。

経験的に分かると思う。

大した準備もしてない試験でまぐれで良い点数を取っても、得られる感情は大したことない。

でも大学受験の合格はとても嬉しい。

それは自分自身が必死に取り組んだからである。

リーグ戦とTMではどうしても1勝や1点の嬉しさ、悔しさが違う。

なぜか。必死さが違うからである。

 

大人になっていくうちにつれて、必死になることが少なくなったと感じる。

自分も部活をやっていなかったら、なにに必死になっていたか、どこで本気を出していたか、想像もつかない。

力が抜けていて、余裕のある奴がどうしても自分からはかっこよく見えてしまう時もある。

だがこのチームは、必死になること、本気を出すことが尊重され認められる空気感がある。

がむしゃらにもがき、ぶつかりながら前へ進む姿を、声には出さなくても見ていて、気づいてくれる仲間がいる。

サッカーがしたくて、上手くなりたくてこの部に入ったが、人間的にも成長できたと本当に思っている。

 

一橋大学ア式蹴球部は本当に良い組織だ。

この部の一員として、大切な仲間たちとここまで必死になれたことを誇りに思う。

 

 

 

最近の出来事

来春からの生活に向けて肝臓を鍛える必要があります。

オフに旅行に行けないのもう慣れました。

迷走中の卒業旅行はきちんと行きたいです。

 

#8 宗嵩久

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