2018年5月15日火曜日

「自分のサッカー人生」

1,質問への回答
髪型のこだわりはなんですか?
見た目の身長UP、見た目の威圧UPを常に狙っています

2.「自分のサッカー人生」
  自分のサッカー人生の始まりは厳密にいうと幼稚園まで遡ります。実際、ここがこの先10年間以上のプレーの質を変えるサッカー人生最大の分かれ目だったかもしれません。自分が通っていた幼稚園のクラブチームはかなり強くて、久我山からJリーグにいった名倉匠もプレーしていました。なぜ、この時期にこのチームには入らないで泣きながら空手をやっていたのか謎です。もしこのチームに入っていたらと思うと…自分も一回ぐらいエラシコで観客をざわつかせたかったです。

そんな感じでサッカーを始めたのは小学校のチームでした。当時はキーパーをやっていてオリバーカーンが大好きでした。この選手選びから自分の今のスタイルが徐々にでできていたかもしれません。

  そして、渋谷幕張に入学して本格的にサッカーを考えるようになりました。中学はストッパーというポジションをやっていました。自分が毎試合課される任務はただ1つ。相手チームのエースに80分間くっつき通す。冗談なくほぼの時間マーク相手との距離30センチを保っていました。この役割は結構気に入っていましたが、試合中は相手から気持ち悪い、消えろ、女々しい、死ねの罵詈雑言。言われるたびに真顔で距離を10センチ詰める。そうするとまた嫌な顔をする。今度誰かやってみてください最高です。

高校に進学して最初はそのままDFでしたが、ブラジル遠征の時に現地の監督にFWにコンバートされました。FWになった自分の試合でやるべきことは主に3つでした。1つ目は前線から大声を張り上げてプレス。2つ目は全てのクリアボール、ロングボールを自分を円の中心として半径1メートルの手前の半円内に落とす。この作戦のため自分の周りにはいつも味方のテクニシャンがくるくる回っていました。3つ目はクロスとこぼれに全精力をかける。高校3年の1年間でとった15点ぐらい全ゴールワンタッチでした。この3つの事と渋幕の異常な厳しさ(今は感謝してます)で今の自分があると思います。あと1つ言わせてください。西山が自分が練習中に足らへんのボールをヘディングしようとして怒られたと言っていましたが間違いです。死ぬほど怒られた直後のプレーで思いっきりスライディングを交わされた結果、パニックになってジョンテリーばりの頭のスライディングをしただけです。コーチには「木田、お前は頑張る方向性が違う」と言われだだけです。怒られたとは思っていません。

ア式において受け身では何も始まらないと痛感することがあります。自主的にこういうプレーをするためにはこういうことに意識してと頭を動かして、もっともっと自分の得意な部分を増やそうと思います。

3,最近の出来事
雨はもう変わってしまいました

4.♯63への質問
自分自身で思うクズポイント教えてください

♯62木田 力斗

0 件のコメント:

コメントを投稿