2017年2月18日土曜日

克ち方

 ミロのヴィーナスは手がないから、そこに想像の余地が無限にあって、その不在のおかげで魅力的になっている、みたいな文章を読んだ記憶がある。何かを始めたばっかりで、右も左もよくわからないときは、この先に何があるんだろうってすごいワクワクするんだけど、だんだんと、あ、こんなもんかって勝手に悟って、急速にさめていく。

 僕の人生は結構これの繰り返しで、何かにはまって熱中することはよくあるけど、大体すぐ飽きるし、たまに長続きすることがあっても、どこかのタイミングでさめてしまう。さめてしまったことを続けることはつまらないし、苦しいけれど、そこを我慢している間に、昔に感じていたワクワクがふと蘇ってくることがある。

サッカーはまさにそうで、あきたりはまったりを繰り返してここまできている。宗とかは、ほんとにそういう波がなくて、どうしたらそういうのなくせるだろうか、って考えてた時期もあって、色々工夫したけど、朝早起きするの嫌だなって思ったり、走り嫌だなって思う日だけじゃなくて、シンプルに練習嫌だなって日さえ、結局来る。

 だから、僕にとって、飽きている(楽しさを感じられない)ときにどれだけ自分に抗えるか、というのは昔からのテーマだった。そういうときに、きつい努力をすることで変化(進化)するって考えは、自分へのコンプレックスが強い僕にとって、ぴたっとくるものだった。

 その一方で、二年生くらいのころから、だんだんとこの考えの限界みたいなものを感じるようになってきた。楽しくもない練習をしても何も上手くならないし、プレーは消極的になるし、サッカーするのが怖くなっていく。だから飽きてる弱い自分を認めることが、自分に打ち勝つってことなんじゃないか、って考えるときもあった。

 それでも、弱い自分を認めるってことは、今までの自分の価値観とか積み上げてきたものを壊すみたいで、特に、他のものと違って、サッカーならつらくても我慢できるのは、サッカーが好きだからって潜在的に考えていた僕にとっては、それを否定するみたいで、どうしてもできなかった。

 「克」という、今年のスローガンを掲げるときに、果たして自分はこのスローガンに見合う人間になる覚悟があるのか、何度も考えたけど、正直自分のスタンスに自信がもてないまま今に至っている。

 自分の内面を言語化することはとてつもなく難しくて、僕が考えたり感じたりしてきたことは、もっと複雑でカオスで、あんまりうまくここに書けた自信はないんだけど、とにかく、弱い自分にどうやって克つのか、残り少ない時間のなかで、その克ち方を見極めて、スローガンを体現する姿を見せたいです。

最近の出来事
難波でタクシー使って秒で優勝しました

#20 佐々木錬

0 件のコメント:

コメントを投稿