2019年9月30日月曜日

「最後に思うこと」

「最後に思うこと」


まず四年間を簡単に振り返ると、ここア式で過ごした四年間は自分のサッカー人生において言えば最もレベルの高いものだったと言えます。小学校の地元のチームからサッカーを始め、中学でも同じく地元のチーム、高校では日比谷高校サッカー部、そして大学ではア式という流れでサッカーというものを経験してきました。経験してきたチームの中でも特にこのア式の四年間はサッカーの奥深さを考えさせられるものでした。


入部して今まで知らなかった多くのことを知りました。


たとえば、
ボールを止めるときは次のプレーにつながるところに置かなきゃいけないこと。



ただのインサイドのパスにもちゃんと滑るようなパスなど「質」があること。



パスを出したらすぐ新しいポジションに動かなきゃいけないこと。



相手が長いボールを蹴りそうなときはDFラインを下げるなど細かい調整が要ること。



後ろからのコーチングが重要なこと。



挙げていけばきりがないです。

今となってはどれも当たり前に言われることであるけれど(できているか否かはまた別の問題です)、少なくとも高校サッカーまで経験した時点での自分は知らなかったことでした。より正確に言えば知ってはいたかもしれないけれど、それを意識したり考える必要があるような水準・レベルではプレーしてきませんでした。


高校までの経歴がすごい人たちからすればなんてことないような当たり前のことも自分には新鮮で、一年のときは「止めて蹴る、止めて蹴る」とか言いながら練習後ドスとずっと対面パスをやっていた記憶もあります。そんなレベルでやっていたわけだから当然何も通用しませんでした。

「井の中の蛙大海を知らず」と言うけれど、高校時代は進学校の日比谷サッカー部という狭い井戸の中でサッカーをしていた自分がア式に来て、まだまだめちゃくちゃ浅瀬ではあるけれど、より広い海があることを知ったような。そんな四年間でした。(下地みたいなことを書いてしまいました。)


小学生のときから一生懸命練習して、たくさんボールを蹴ってきたからそれなりには球の扱いはできるし、どのプレイヤーも(※一部例外を除く)足元の技術にめちゃくちゃ差があるわけではないし、何ならボールを指の上でくるくる回せるのはたぶん自分くらいなもんでしょう。じゃあ部内においてどういう所でプレイヤーとしての差がつくかと言えば、しゅうやが練習後によく言うけれど、上に書いたような小さなこだわり一つ一つの積み重ねなんだと今更改めて思います。進学校などに行って高校まで大海を知る機会がなかったというのは仕方ないとしても、ここで知ることができると思うし、自分が十分にできた訳でもないけれど、こうした経験を積める環境の貴重さに気付いてほしいし、活かしてほしいなと願っています。



読んでる方には長くなって申し訳ないですが、最後の一年間についても少し書かせていただきます。



一つ上の先輩方が引退し、東京都トーナメント・新人戦が終わり冬オフが明け、いよいよ新チームの始動となったタイミングで、自分は四年目にして空いたところに入る形でA2に上げてもらえました。A2のほとんどを先輩が占めていたこともあり大きくメンバーが変わり、自分をはじめずっとBチームだったメンバーも多く、かなり弱体化したために、紅白戦後に右田あたりが「練習にならん」と言っているのも聞こえ大変につらかった記憶があります。

スタートがひどすぎたため、関西遠征など数多くの試合をし、慣れないカテゴリー、慣れないフォーメーションの中で皆で話し合って様々な形を試し、徐々に形になっていくのは本当に嬉しかったし楽しかったです。ちょうどその頃とんとんがTwitterでアタランタの343モデルの解説をしていて、めちゃくちゃ勉強になったのも懐かしいです。そんなこんなで紅白戦でもたまに勝てる日が出てきて、たかが紅白戦なのにどれほど嬉しかったことか。

この経験のなかで失敗というものがどれほど重要かというのが身に染みて実感できました。たくさんの形を試して、たくさん失敗こそしたけれど、それを次につなげてきたし一定程度の結果も出たのかなと。PDCAとか巷では言うけれど、一番大事なのは失敗を恐れずにまずやってみることだと思ったし、だからこそ多少なりとも発言権が増す最高学年になった身としては失敗やミスを頭ごなしに責めることだけは絶対にしないようにしようと決めていました。(たまに言ってしまったこともあると思います。ごめんなさい。)当然適当なミスや次につなげない姿勢は断罪されてしかるべきですが、そうではなく何かを改善しようとしたミスはむしろ歓迎されるべきというスタンスで、ちまちまそんな考え方を発信しながら一年間やってきたつもりです。それは甘えだろうとか人により考えは違うだろうけれど、いい意味でのびのびとチャレンジできればいいのかなと思ってきました。誤解して欲しくないのは決して適当とは異なるということです。少しでも伝わっていたら幸いです。そんな一年間でした。

最後に。
四年間のうちほとんどずっとB2かギリB1くらいでサッカーをしてきました。それでもここまでで二試合くらいチャンスがあり、ちょろっとリーグ戦にも出られました。森山も書いていたようにチャンスは必ずあると思います。来年、再来年、三年後とかに今のBチームの人が試合に出ていたら嬉しいなと思っています。


最近の出来事

明日から増税です。。。

#6 尾高洸祐

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