2020年11月4日水曜日

#73 北河耕太

 自己紹介(北河)


初めまして、ア式蹴球部一年の北河耕太です。今回が初めてのブログということで、まずは自己紹介をさせていただきます。


僕は父の転勤によりオーストラリアで生まれました。2歳の時に日本に戻り、それから東京都大田区で実家暮らしをしています。中高は神奈川県の浅野中学、高等学校です。そして、一橋大学に入学しました。


次に僕のサッカー歴について書きたいと思います。僕は日本に帰った2歳からサッカーを始めました。理由は、両親が球技をやらせたいと思ったらしく、地元の小さいサッカースクールに入れられました。小学校では地元のクラブチームに入りました。僕はこの時から背が大きいという理由からディフェンスをやっていたのですが、小4か小5の時にたいしてうまくもないのにAチームに入りました。しかし僕のチームは大田区一位でチームメイトにはその後マリノス、ベルディ、フロンターレのユースになった子もいるような勝ちにこだわるチームで、まだ仲良しこよしのサッカーをしていたかった僕にはコーチからの怒鳴り声が苦痛でした。そのため小6の時に中学受験を言い訳に逃げるようにしてチームを離脱して、受験後少し参加した程度です。


中学校に入学した僕はサッカー部に入りました。なぜなら両親が部活に入らなければ許さない考えで、あとは小学校の時にサッカーをやっていた流れで何となく入った感じです。浅野はチームとしては神奈川の中で強くはないのですが、個人としてうまい人は結構いました。顧問はかなり実力を持った方で、なぜ浅野サッカー部で顧問をしているの?と思うほどです。顧問のコネで毎年4人は横浜市トレセンに参加していましたし、そこから県トレセンに行く人もいました。そして、この浅野サッカー部に入った僕はまたしても全くうまくないのにAチームに入り、さらには部長も任されました。このときも中学入学時170cmという身長があったからですかね?しかし、Aチームの試合に出てもヘディングはすべてかぶり、(浅野はポゼッションサッカーをしていたのですが)ましてやビルドアップのことなどは知りもせず失点に直結するようなロストをして毎日怒られていました。部活が本当に嫌で、特に中三の時に高二の先輩にとても厳しい人がいて毎日罵声を浴び、毎日が地獄でした。僕はそこで初めてサッカーがうまくなるにはどうしたらいいのかを考えるようになりました。ヘディングも背がでかいから強いわけではないことに気が付き自主練を重ね、かぶることはなくなり競り勝てるようになりました。ビルドアップに関しても今なお練習中ではありますが以前に比べてだいぶ自信をもってプレーできるようになりました。そして高三7月の引退までサッカーをしていました。


そして大学に入学して、ア式蹴球部に入部しました。入部理由は、高校部活を経験してサークルでは物足りないだろうなと思ったからです。またこれだけ長く続けてきたサッカーをやめたくないと思い、国立大学に入ったら絶対に入ると決めていました。いざ入ってみると、小中高と同じで高いレベルの中でサッカーをさせてもらっていると思います。


このように僕のサッカー歴を書いてみて気づいたことがあります。それは周りにうまい人たちがいる中でサッカーをさせてもらっていることです。まだまだ実力不足な僕は、また小中高と同じように大学でもよく怒られるかもしれません。そうなったとしても高いレベルの中に何とか食らいついて小学校の時のように逃げるのではなく、中高の時のようにサッカーについて考えて自分自身の成長につなげてチームに貢献していきたいです。長くなりましたがこれからのア式蹴球部での4年間、よろしくお願いします。


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