2020年1月22日水曜日

「心持ちとしてはかくありたい」

「心持ちとしてはかくありたい」



1.「心持ちとしてはかくありたい」




 新年初のブログを任されました。身が引き締まる思いでいっぱいです。




 昨シーズン、とても有意義なものだった。新しいポジション。難しいことでいっぱいだったけど、これまでに比べて明らかに前進を感じた。初めてA2でプレーした。怪我人の穴埋めだけど、ベンチ入りできた。そして、その結果の一つとして貰ったジェラードのユニフォーム。本当に驚いたけど、本当に嬉しかった。感謝してもしきれない。




 その分悔しさもたくさん。ベンチ入りしたけど出番がなかったリーグ戦。スタメンに手が届きかけたけど、なす術なく手放した都トーナメント。ベンチで見守った大逆転劇。応援席で見た惜敗。




 自分が出てたら。と考えなかった試合はひとつもない。けど、自分が出ても。という思いもどこかにあって。最終節の武蔵戦。一点ビハインドの帝京戦。流れを変えたい場面で投入されない。特に後者は応えた。けれど、そんな選手なのも事実。そう認めてしまってること、それもまた悔しい。




 でもこの2年間は本当にいい経験をさせてもらった。感じることのできた悔しさは、1年ではずっとB2で燻って、2年で初めてトップに関わることができたからこそ。感謝しかない。でも、だからこそ残り約2年をどう過ごそう。近頃よく考える。







 先日「マチネの終わりに」という本を読んだ。その中にこのような一節がある。


「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでいる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えているんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」




 これを読んだ時、素直にいいなと思った。美しい考え方をするな、と。一見不変に思われる過去も、現在そして未来の自分次第でいくらでも変えることができる。目が開かれる思いだった。例えば、燻ってた1年時代を現時点で良いものだったと思える。それも今の自分があってのことなのだろう。



 けれど、同時に恐ろしさも感じた。どんなに素晴らしい過去でも、その後次第で苦いものに変わってしまう。過去はそれほどに繊細だから、自分のその時の価値観、捉え方で容易に左右されてしまう。






 いつのまにか残り2年。人間として大きくなるとか、上手い選手になってチームを引っ張るとか。そんな大層な目標は掲げない。普段適当な自分が言っても、分不相応だとされるのが関の山。けれど、これまでの過去はこれからの自分にかかっている。そう考えると、自然と身が引き締まる。その結果として色々なものがついてくれば、何もいう事はない。心持ちとしてはかくありたい。



 過去だって変える事はできる。自分次第で。もちろん未来は言うまでもなく。この考え方をぜひ共有したかった。悔しいと感じたこの過去を、将来の自分はどう捉えていくのか。見ものです。



2.最近の出来事



TSUTAYAプレミアム捗る。
・コバトレ目から鱗。
・日本四大涼子に今更ハマる。
・基礎計量バンザイ。
・誕生日おめでとうございます。



3.ぐへの質問


冬オフで楽しかったこと教えてください。特にクリスマスあたりで。


#27 森下昂

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